その37 逢引きではありません
邸内の出入口はすべて騎士団が閉鎖したので、地下通路から出るには、また外庭の小屋へ戻らなければならなかった。
「リーナさんは本物の魔術師じゃなかったってことですか」
アシュリーは遠慮がちに尋ねた。
「まだ言うんですか? あの落書きみたいな魔法陣を見たでしょ」
「ええ、でも」
確かにあそこからはなにも感じなかったが、アシュリーはモヤモヤする引っかかりが拭えなかった。
「そもそも最初の事件、フォンテーン家別邸の食事会などなかった」
「なんの話だ?」
アルドの唐突な話にヒューイは眉をひそめた。
「カイル夫妻が事故に遭った夜に招かれていたという食事会ですよ、フォンテーン家別邸へは山道を行かなければならない、それが罠だったのです」
「王都近郊の山道くらい、御者のマイケルはベテランだっただろ」
「薬を盛られてたら?」
「まさか」
「ただの事故で処理されたから、なぜあの場所にいたとか、御者の死因とか、なにも調べられなかったのですよ」
「真犯人の計画的な犯行だったと?」
「招待状を偽造したり、御者に遅効性の毒を盛ることなど姉には出来ません、魔術で作り出したとでも言うのですか?」
王宮魔術師ならそのくらい出来るかも知れないとヒューイは思ったが、そんな魔術師がいるならリフェールの片腕であるユーシスが見逃すとは思えなかった。
そうしているうちに騎士棟まで戻ってきた。
「ヒューイ様! どちらにおられたんですか、大変です」
ヒューイの姿を見つけた騎士が駆け寄った。
「ああ、聞いた、ジャックが自殺したと」
「デュラン隊長が地下牢でお待ちです」
「ヒューイ様、申し訳ありません、こんなことになってしまって」
地下牢に降りてきたヒューイを見て、デュランは頭を下げた。
ジャックの遺体は牢内に横たえられて、顔には打ち覆いがかけられていた。
「起きてしまったことは仕方ない」
「医者の手配はしました、検死が必要でしょう」
「そうだな」
デュランは後ろ手に拘束されているアルドを見て眉をひそめた。
「それは?」
「こいつ、地下通路に侵入者がいることを知っていて隠してたんだ、じっくり話を聞く必要があるから、今夜はここへ入れておく」
「そんなぁ! 自殺者が出た牢屋にですか!?」
アルドは焦った。
「なにもこの房に入れとは言ってないだろ」
「でも」
「怖いのか? あんな不気味な地下通路をうろついていたくせに」
「ヒューイ様こそ、こんな時間になぜ地下通路に?」
デュランが傍にいるアシュリーを見ながら尋ねた。
「逢引きしてたんですよ」
すかさすアルドが答えた。
「ほーぉ」
デュランはニヤニヤしながらアシュリーとヒューイを交互に見た。
「違うぞ!」
「違います!」
二人の声が重なった。
ヒューイはムッとしながらアルドを騎士に引き渡した。アルドは隣の房へ行くとき、ジャックの遺体に目をやった。
「話は聞けませんでしたね、ブラン氏を殺害した犯人を見たかも知れなかったのに」
「さっきから勿体つけているけど、さっさと教えてくれないか、お前が真犯人と思っている人物の名を」
「隊長!」
そこへ騎士が駆け下りてきた。
「今度はなんだ?」
肝心なところで遮られてヒューイはムッとした。
「なにかわかりませんが、東棟で騒ぎが起きているようです」
* * *
オリヴィアに刃物を向けられていると勘違いしたトンプソンは後退りした。
「私は取り戻そうとしただけなのよ、信じて!」
距離を取ろうとするトンプソンに、オリヴィアは銀のスプーンを握ったまま迫った。
「来ないで!」
ダリアの死に顔を目の当たりにして動揺しているトンプソンは、刃物を手にしている――見間違いなのだが――オリヴィアに恐怖を感じた。
「やめて!!」
刃物を掲げるオリヴィア目掛けて、トンプソンはランプを投げつけた。
ガシャン!
床で砕けたランプが燃え上がる。
その火はたちまちオリヴィアのドレスに燃え移った。
「キャァァァ!」
見る見るうちにドレスの裾から這い上がってくる炎に、オリヴィアは恐怖の悲鳴を上げた。
ちょうどそこへヒューイとアシュリー、そしてデュラント騎士たちが到着した。そして、階段下で火だるまになったオリヴィアを見た。
「オリヴィア!」
ヒューイとデュランは上着を脱ぎながら駆け寄ったが、
「キャァァァ!」
火に包まれたオリヴィアはパニックで激しくのたうち回り、上着を被せようとしても捕らえきれない。
まるで炎が躍っているような異様な光景にアシュリーはただ息を呑んだ。
エントランスには煙が立ち込めていたが、アシュリーは煙とは違う黒い靄が漂っているように感じた。
(これはあの時と同じ、呪いの思念?)
ブランの部屋に入った時に感じたものと同じだった。
「ギャァァァ!」
デュランは動き回るオリヴィアの足をかけて転ばせた。しかし、オリヴィアは倒れても転がるように動いた。ヒューイとデュランは上着を被せて火を消そうとしたが、燃えやすいドレスの生地は簡単には鎮火しなかった。