その36 突き落としてしまいました
ジャックの首吊り遺体を見てショックを受けたオリヴィアは、部屋で茫然としていたが、そこへ、ノックもなくドアが乱暴に開けられた。
「こんな呪われた邸にいられないわ!」
ツカツカと入って来たのはダリアだった。
騎士たちに地下牢からつまみ出されたダリアは、死んだジャックのことよりも、自分が生き残ることを選んだ。
それには一刻も早くここから出なければならないと考えた。
ジャックのことは愛していたが、死んでしまった者はしょうがない。それに、自分に内緒で薬物に手を出していたのは裏切り行為だ。
「ジャックは呪い殺されたのよ、こんなところにいたらみんな呪い殺されてしまうわ、早く逃げなきゃ」
オリヴィアがいるのを無視して、ドレッサーの引き出しを開けた。そこに食堂から盗み出した銀のスプーンセットが隠されていることを知っていたからだ。
「なにをするつもりなの!」
「退職金代わりにもらうのよ」
「ダメよ、返して! それはシモンズ家が昔から大切に使っているものなのよ」
取り返そうとしたオリヴィアをダリアは突き飛ばした。
「なにするのよ!」
尻もちをついたオリヴィアは睨みつけたが、ダリアは怯まず睨み返した。
「侯爵令嬢の私にこんなことをしてタダで済むと思っているの!」
「なにが令嬢よ、ただの我儘娘のくせに! 今までアンタの勝手にどれだけ苦労してきたから! もう辞めるんだから関係ないわ!」
ジャックが死んでしまった今、もうオリヴィアの機嫌を取る理由はない。ダリアは銀のスプーンセットを手に、オリヴィアの横を通り過ぎて部屋から出て行った。
「お待ちなさい!」
オリヴィアは慌てて立ち上がり、ダリアを追いかけた。
夜も更けたこの時間は、廊下の照明も落とされて薄暗かった。もちろん誰もいない。
「誰か! 泥棒よ!」
オリヴィアは甲高い声を上げながら、ダリアに追いついた。
彼女の腕を両手で掴んで止める。
「放せ!」
必死で振り払おうとするダリアだが、オリヴィアの抵抗も激しくもなかなか突き放せない。それでも体格的にはダリアの方が勝るので、オリヴィアを引きずるようにして歩を進めた。
「誰か! 誰か来て!」
オリヴィアの叫びが静かな邸内に響き渡った。
ちょうど階段のところまで来た時、
「放せってば!!」
ダリアはオリヴィアの腹に強烈な蹴りを入れた。
「キャッ!」
蹴られたオリヴィアは一瞬、ダリアの腕を掴んだ手が緩んだ。しかし、それでも服の袖を引っ張った。
ビリッ!
袖の肩のあたりが破ける。
ダリアはバランスを崩した。
「あっ!」
その時、足を踏み外して身体が傾いた。
ちょうど階段を背にして、後ろ向きに落ちる。
伸ばした手はなにも掴めない。
オリヴィアの目にスローモーションで落ちていくダリアの驚愕した顔が見えた。
そして、ゴツン!!
大きな音がした。
「ダリア!」
下を見ると、後頭部を強打して仰向けに倒れているダリアが見えた。
息を呑むオリヴィアの目の前で、ダリアの身体の下に鮮血が広がった。
「キャァァァ!!」
階下で悲鳴をあげたのは、〝泥棒!〟と叫んだオリヴィアの声を聞いて駆けつけたスーザンだった。
階段下に倒れているダリアを見、そして、階段上から顔面蒼白で見下ろしているオリヴィアを見た。
目が合ったオリヴィアは慌てて、
「勝手に落ちたのよ!」
悲痛な声を上げた。
そこへランプを手にしたトンプソンが現れた。
「なんの騒ぎです」
恐怖のあまり立ち尽くしているスーザンの視線を追って、階段下に倒れているダリアを見つけた。
「なんてこと!」
トンプソンはダリアの元へ駆け寄って、彼女の顔をランプで照らした。
両目はカッと見開いたまま、素人が見ても即死だとわかる有様だった。
トンプソンは階上で震えているオリヴィアを見上げた。
オリヴィアはトンプソンを見て階段を駆け下りた。
「違うの、私はただ」
オリヴィアはダリアが持ち出した銀のスプーンが散らばっているのに気付き、それを拾い上げた。
「ダリアが盗んだのよ!」
と言いながら、握ったスプーンを掲げた。
トンプソンが持っているランプの灯がスプーンに反射して煌めいた。
「ヒッ!」
その輝きが、トンプソンの目には刃物の煌めきに見えた。




