その30 心配をかけたようです
「アシュリー!」
目を開けると、ヒューイのアップが飛び込んだ。
「ここは?」
「丸一日眠ったままだったんだぞ、このまま目を覚まさなかったらどうしようかと」
アシュリーは状況が把握できずにキョトンとしたまま上体を起こした。
「無理するな」
「ええ、大丈夫みたいです」
ヒューイはベッドの端に腰かけて、枕をアシュリーの背中に当てて座りやすいようにした。
「ありがとうございます」
(そうだ、私は地下の通路で後ろから急に……)
思い出すと背筋がゾッとした。
「脳震盪を起こしていたんだ」
診察した医師によると命に別状はない。しかし、なかなか意識が戻らずに、ヒューイは心配でずっと付き添っていた。
「なんであんな危険な場所へ行ったんだ! 不審者の捜索をしているのは知ってただろ、殺されていたかも知れないんだぞ!」
いつになく感情的に怒鳴ったヒューイに驚き、アシュリーはビクッと身を竦めた。
自分でも危険を冒したことはわかっている、今となっては浅はかな行動だったと反省しているが、あの時は逃げ出すことしか頭になかったのだ。
怯えたようなアシュリーを見て、ヒューイは声のトーンを落とした。
「俺が悪かった、お前を不安にさせてしまったもんな」
目覚めたばかりの彼女を怖がらせてはいけないと、ヒューイは努めて穏やかに言った。
「でも、悪いようにしないと言っただろ、信じて欲しかったよ」
(信じろ? 実の父に蔑ろにされてきたうえ、婚約者に裏切られた私に、誰を信じろと言うの?)
アシュリーは俯いたまま唇を噛んだ。
(絶対戻りたくない、二度とあの人たちに会いたくない、考えただけで鳥肌が立つわ! こんなに拒絶反応が出るなんて……、ああ、私、思っていた以上に傷ついてたんだ)
そう自覚すると、急に目頭が熱くなった。
(ブルーノのことだって、恋愛感情はなかったけど幼い頃からの仲、心のどこかで私を裏切ったりしないと信じてたんだわ、それをあっさり見捨てられて、悲しかったんだ)
ずっと気を張っていた、前だけを向いて進もうとすることで辛い思いに蓋をしていたのに、プツリと糸が切れてしまい涙が溢れ出た。
そんな彼女をヒューイはそっと抱き寄せ、
「倒れているお前を見た時、心臓が止まるかと思った」
言葉を詰まらせた。
ヒューイの腕が微かに震えているのを感じて、本当に心配してくれたのだとアシュリーは思った。
「ごめんなさい」
「無事でよかった」
ヒューイは抱きしめる手に力を込めた。
腕の中にアシュリーの体温を感じながら、自分は何をしているのだと内心動揺していた。〝彼女はリフェール殿下の想い人だ、俺がこんなふうに触れていい人じゃないのに〟そう思いながらも手を緩めることが出来なかった。
(こんなふうに抱きしめられたのはいつ以来だろう? お母様が亡くなってからは人と触れ合うことなどなかったし)
彼の広い胸に顔をうずめたアシュリーは、彼の温もりが心地よかった。
(なにも考えずこのまますべてを彼に委ねることが出来たらどんなに楽だろう、彼の胸は大きくて温かくて安心する)
つい弱気の虫が顔を出してしまう、しかし、
(ちょっと待って、私、丸一日寝てたのよね、その直前は埃だらけの地下通路を這いずり回ってて……、ひえ~っ!)
アシュリーは突然、ヒューイの胸を両手で押し戻した。
顔は涙と恥ずかしさで完熟トマト。
「わ、私、臭いですよね」
「はぁ?」
突然押しのけられて臭いかと聞かれても、
「だって、湯あみもしてないし」
「気絶してたのに湯あみは無理だろ、でも、スーザンに着替えさせたから大丈夫だ、もちろん俺は部屋の外に出たぞ」
「当たり前です!」
アシュリーの元気な声を聞いて、ヒューイはホッと笑みを浮かべた。
「よかった、元のお前だ」
(危うく勘違いするところだった、ヒューイ様はリフェール殿下に依頼されて保護しているだけ、もしものことがあったら面目ないものね)
その時、ノックの音がした。
「デュランです」
「入れ」
入室したデュランはベッドで上体を起こしているアシュリーを見て微笑んだ。
「お姫様はお目覚めかな」
「姫? じゃじゃ馬だろ、人に噛みつく姫なんかいないし」
ヒューイは手に残った歯型を見せた。
「あれはヒューイ様が悪いんです、乱暴するから」
本当は謝りたかったアシュリーだが、つい反対のことを言ってしまう。
「乱暴なんかしてないだろ!」
「しました!」
顔を突き合わせる二人を見てデュランは微笑んだ。
「ほんと仲がいいですね、まるで昔からの長い付き合いみたいだ、一ヵ月前に出逢ったばかりとは思えないです、よほど馬が合うんですね」
「じゃじゃ馬だから」
「酷い!」
「それにしては、大事そうにお姫様抱っこしてましたね」
「仕方ないだろ、気絶してたんだから」
「えっ? ヒューイ様が運んでくださったの? お姫様抱っこって」
ヒューイに抱きかかえられて運ばれたと知り、アシュリーはポッと頬が熱くなった。
「それはもう大切そうで、あんな坊ちゃんを見たのは初めてかも」
「坊ちゃん言うな、それより、仕事は」
ヒューイは照れ隠しに話を逸らした。
「各部屋を回って通路の出入口がないかすべて点検しました。見つかった場所は応急処置ですが板張りで閉鎖しました、通路の方は入り組んでいて、まだ全容は掴めていませんが、探索を続けています」
「そうか、引き続き頼む」
なおもニヤニヤしているデュランに、
「早く仕事に戻れ」
デュランが退室し、静寂が訪れると、気まずくなったヒューイはなにか話さなければと焦って、
「お前を襲った奴は見たか?」
と聞いてから、怖い目に遭って震えていた少女に思い出させるような質問はまだ早かったと後悔した。
しかし、アシュリーはもう冷静を取り戻していた。
「後ろからいきなりだったから全く見てません、でも、黒マントの女は見ました」
アシュリーは彼女の顔を思い出そうとしたが、暗かったせいもあり、顔はハッキリわからない。ただ、
「私と同じ、紫色の瞳でした」
正確にはアシュリーよりも濃い紫に見えたが、暗かったせいかも知れないと思った。
「そうか、その瞳の色は珍しいから手掛かりになるかも知れないな、それと仲間がいるってことだな」
呪いの魔術か、人間が起こした事件か、まだ真相はわからないが、シモンズ家で良からぬことが起きているのは事実だ、解明しなければならないと決意を新たにした。




