その24 怒り心頭のようです
「おーい、拗ねてないで出て来いよ」
部屋に閉じこもったアシュリーとちゃんと話をしようとヒューイはドアをノックした。
しかし、返事はない。
彼女は一大決心して家出し、身分を隠して旅をしようとしていたのに、あっさり暴かれれば動揺もするだろう。勝手に調べられたことに腹を立てるは無理もない。もっと話し方を考えればよかったとヒューイは後悔した。
「どうされました?」
そんなヒューイの姿を見つけたトンプソンが声をかけた。
「アシュ、アンを怒らせてしまって」
「怒る? 侯爵様に対して?」
その言葉の中には、平民が貴族に対してそのような態度を取るなど、無礼にも程がある、という意味が含まれていた。
「俺が不用意なことを言ってしまったからなんだ、いろいろと事情を抱えているんだよあの子は、強がっていてもまだ子供なのに」
「十六歳は子供ではありません、分別があって然るべき歳です」
「そうだな、彼女にも子ども扱いするなと怒られたっけ」
ヒューイは思い出してクスっと笑みを零した。
その表情を見たトンプソンは片眉を上げた。
「そんな顔もなさるのですね」
「えっ?」
「ここのところいつも眉間に皺を寄せて厳しい表情をなさっているから、そんな優しい顔もされるんだと、……そう言うお顔はお母様によく似てらっしゃるわ」
「トンプソンは母を知ってるんだったな」
「ええ、長く務めさせていただいておりますから」
「どんな人だった? 俺はあまり覚えていないんだ」
「無理もありません、亡くなられたのは坊ちゃんが三歳の時でしたからね」
「お前も坊ちゃんと呼ぶのか」
「申し訳ございません、つい、昔のことを思い出しまして、可愛らしいお子様でしたからね、お母様はとても美しい人でしたよ」
トンプソンはヒューイの顔を見るたびに、思い出さずにいられなかった。美しかったばかりに不運に見舞われた可哀そうな少女、同時に、トンプソンの幸せを奪った憎らしい女でもあった。
ヒューイの母ロザリーがこのシモンズ邸に下働きのメイドとして邸に来たのは十六歳の時だった。まだあどけなさが残る無垢な少女だったのに、美しさに心奪われた当時のシモンズ侯爵が、無理やり自分のモノにした。
軟禁状態にされた彼女は毎日泣き暮らしていた。ロザリーの家族は連れ戻そうとしたが、侯爵家の権力に貧しい平民が適うわけもなく、どうすることも出来なかった。
ロザリーの部屋に足しげく通う公爵を、トンプソンも黙って見ているしかなかった。それまでは愛人だった自分には目もくれなくなった男の姿を、歯ぎしりしながら見るしかできない自分が情けなかった。
〝悪いようにしないから〟そう言う侯爵の言葉を信じて、後妻に迎えられると期待して待ったあげく婚期を逃したトンプソンは、捨てられたとわかっても邸を出る勇気はなかった。もう若くない貧乏子爵家の娘は実家を頼ることも出来ずに行く当てなどない、侍女として邸に留まるしかなかった。
宝物のように扱われるロザリーがトンプソンは妬ましかった。憎しみがこみ上げる。しかし、彼女が幸せでないこともわかっていた。儚げな笑み、淋しそうな笑み、すべてを諦めてしまった笑み、彼女の絶望が垣間見えていたので、同情も感じていた。
でも、トンプソンから侯爵を奪った憎い女であることには違いない、その美しい顔で……。
「どうした?」
昔のことを思い出して、ついトリップしていたトンプソンは声をかけられてハッとした。
「いえ、あなたとお母様のことを思い出しました。とても可愛がっておられましたよ」
「憎い男の子供でも?」
「ええ、ヒューイ様は愛されていましたよ」
「そうか」
ヒューイは照れたように目を伏せた。
その後もアシュリーがドアを開ける気配はなかったので、仕方なくヒューイはあきらめたが、逃げ出されては面倒なので、ドアの前に騎士を見張りに立たせた。
「知られたらきっと腹を立てるだろうな」
* * *
ガチャーン!!
花瓶が壁に激突して砕け、破片と花が散らばった。
怒り心頭のあまり肩で息をするオリヴィアは般若のごとく恐ろしい形相だった。
それだけでは気が収まらないオリヴィアは、続いてドレッサーの上に並べらていた化粧水や香水の瓶を鷲掴みにして投げだした。
引き出しごと引き抜いて、それも壁に投げつける大暴れぶり。
「お嬢様、落ち着いてください!」
ダリアは止めることも出来ずにただオロオロするばかり。
ヒューイから領地へ行けと言われたこと、恥を忍んで縋って見せたのに通用しなかったことが腹に据えかねていた。
「物に当たっても解決になりませんからぁ」
誰がこの後片付けをすると思っているんだ! とダリアは言いたいのをグッと堪えた。
「なんの騒ぎです」
そこへ入室したトンプソンは散らかった室内を見て唖然とした。
「お嬢様、これはなんなのです」
「どうせ領地へ追いやられるのよ、この部屋ももう使うことはないわ!」
「お可哀そうに、でも大丈夫ですよ、ヒューイ様に従う必要はありません」
トンプソンの言葉に反応して物を投げる手を止めた。
「えっ?」
「オリヴィアお嬢様こそ、シモンズ侯爵家の正当な後継ぎなのですから、ヒューイ様の勝手は許されません」
「トンプソンぅぅ」
オリヴィアはトンプソンに抱きついた。
「あなたは私の味方をしてくれるのね」
「当然です、そもそもヒューイ様は平民の愛妾の子、本来なら侯爵の座につける身分ではないのです、お嬢様が領地へ追いやられるなんてとんでもない話です」
「そうですよ、あんな人たちにのさばらせてはいけませんよ!」
ダリアもトンプソンに乗っかった。
「あの女、貧弱な体でどうやったかは知りませんけど、色仕掛けてヒューイ様をたぶらかしているんですよ」
「やっぱり、あなたもそう思うでしょ!」
「放って置くとロクなことありませんよ、平民のくせに愛人にでもなったつもりでいるんですよ、あんな奴が居座ったら侯爵家のお先真っ暗ですよ」
「ヒューイ様の母親も平民でしたが、侯爵夫人の座を狙う厚かましい女でした。もしかしたら母親が叶えられなかったことをご自分がしようとして……」
トンプソンはこれ見よがしに言葉を濁した。
「まさか! お父様たちの事故は!」
「それはわかりません、証拠もございませんし、でも、ヒューイ様はカイルご夫妻に冷遇されて領地へ追いやられましたから、今回のことは仕返しとも取れますね」
「負けてたまるもんですか! 私こそが正当な後継ぎなのよ! これでよくわかったわ、あの人こそ排除しなければならない存在なのよ!」
オリヴィアは鼻息荒く言い放った。
「それでこそシモンズ侯爵家のご令嬢です、毅然としていてください」
「わかったわ、叔父様の言いなりにはならないから! 私が女主人になってもあなたを見捨てたりしないから力を貸してね!」
オリヴィアが不用意に口にした〝見捨てる〟という言葉にトンプソンは引っかかった。この娘の祖父に見捨てられた自分の過去を知っていて言ったのか?
「もちろんですわ」
トンプソンは平静を装ってそう返したが、もしそうなら許せないと拳を固く握りしめた。
そんなトンプソンに気付かず、オリヴィアは笑顔で決意を新たにした。それをみてトンプソンとダリアは目を合わせて頷いた。




