その16 悲鳴を聞きました
アシュリーはオリヴィアが退出際に放った視線に痛みを感じながら苦笑した。
「あなたにかまってほしいんでしょうね」
「相手の気持ちはお構いなしだ」
ヒューイは吐き捨てるように言った。
「健気じゃないですか」
「演技だよ、今、俺に嫌われるのは得策じゃないとわかっているんだ、貴族令嬢ってのは自分にとって有益か無益か、そう言う物差しでしか男を見ていないんだよ」
「そんな人ばかりじゃないと思いますけど……、まあ、私は社交界に出ていませんから、貴族令嬢のお友達もいないし、わかんないですけど」
「出てない? そう言えば、社交の場で見かけたことはないな」
アシュリーは前髪を上げた。
額には三年前に負った傷跡がクッキリ残っている。
「こんな傷があるから、デビューも出来なかったんです、顔に傷なんて致命的ですから」
なんでそんな怪我を? とヒューイは聞きそうになったが思いとどまった。その勇気はなかった。これ以上彼女に深入りするのが、急に怖くなったのだ。
ヒューイはスルーして窓を開けながら話題を変えた。
「この部屋には来させないようトンプソンに言ってあったのに、あの香水、頭痛がする」
不自然に話を逸らしたヒューイを見て、
(同情されちゃったかしら、そりゃそうよね、婚約者を奪われた上、傷物だと暴露しちゃったんだから、関わり合うのは面倒な女だと思われたかも)
アシュリーはしゃべり過ぎたことを少し後悔した。
(まあ、怪我が治るまでの付き合いだし)
「よほど苦手なんですね」
確かに、オリヴィアが入ってきた瞬間から、部屋が甘い香りで満たされていた。
「ああ、お前はつけないんだな」
「実は私も苦手で」
窓からそよいだ微風が書類を靡かせたので、アシュリーは慌てて押さえた。
そして、バラバラにならないよう封筒に入れた。
その時、
「キャアァァァ!!」
けたたましい悲鳴がドアの外から聞こえた。
ヒューイとアシュリーは、悲鳴に驚いて部屋から飛び出した。
「あっちだ」
ヒューイが悲鳴のした方向へ駆けだしたので、アシュリーも続いた。
程なく廊下の真ん中に、オリヴィアがアルドにしがみ付いている姿を見つけた。
「大丈夫ですよ、誰もいません」
アルドが怯えるオリヴィアをなだめていた。
「なんの騒ぎです? お嬢様」
先に到着したトンプソンが彼女に声をかけると、
「誰かいたのよ! 黒マントの魔女みたいなのが!」
オリヴィアは演技ではない本物の恐怖が浮かべた真っ青な顔で叫んだ。
けたたましい悲鳴は邸中に響いたようで、まだ後片づけなどで本館に残っていたメイドや下働きもゾロゾロ集まってきた。
「私は見えなかったのですが」
しがみ付かれているアルドは困ったように首を横に振った。
「本当なのよ、スーッと向こうに消えて」
廊下の奥を指さしながら、泣きそうな顔で訴えた。
「侵入者がいると言うことか?」
オリヴィアは抱きつく先をヒューイに変えた。
「ヒューイ叔父様、本当に見たんです!」
避ける間もなく抱きつかれたヒューイは露骨に嫌な顔をしたが、オリヴィアはグイグイ身体を押し付けた。
「恐ろしい顔で私を睨んだんです!」
オリヴィアはヒューイの胸に顔をうずめた。
「私怖くて」
「わかった、わかったから、警備の騎士に確認させるから」
ヒューイは嫌悪感露にトンプソンに目配せした。
「お嬢様はこちらへ、部屋まで送ります」
ヒューイにしがみ付くオリヴィアを引き剥がした。
「怖いわ叔父様、傍にいてください」
それでもまだ縋ろうとするオリヴィアに〝臭いんだよ、お前!〟とヒューイはブチ切れそうになったが堪えた。
「大丈夫だ、今夜は君の部屋の前に護衛騎士をつけておくから」
侯爵家領地の騎士団から派遣された優秀な騎士が邸の警備に当たっている。
「さ、行きましょ」
オリヴィアはトンプソンに無理やり連れていかれる。
それをホッとしながら見送るヒューイは、抱きつかれた時に移った香水の匂いに顔を歪めた。
「大袈裟なんだから」
遅れて来て、その様子を見ていたダリアがバカにしたように言った。
「でも、本当だったら?」
若いメイドのスーザンは不安そうに廊下を見渡した。
一瞬の沈黙が、不安を伝染させたかのように、集まっていた者たちも気味悪そうにお互い顔を見合わせた。
呪いの噂や不可解な出来事はみんな知っている。普段は気にしないようにしていても、ひとたび騒ぎが起きると思い出して恐怖が沸き上がるのだろう。
「こんなところに集まってたってしょうがないだろ、持ち場へ帰れ」
ヒューイが打ち消すように声を上げた。
「さっきも言ったように、邸内をすべて確認させるから」
ヒューイは駆け付けたデュランに目配せした。
「隅々まで点検するように、あとで報告を頼む」
「承知しました」
デュランが部下に指示を出そうとした、その時、
「わあぁぁぁ!」
今度は男性の悲鳴が響き渡った。
戻りかけていた使用人たちが足を止めた。
「今度はなんなんだ?」
ヒューイはうんざりしたように言い、
「みんなは持ち場へ帰れ、俺とデュランが見に行くから」
とデュランに視線を向けた。
ヒューイが歩き出した時、アシュリーは彼の服の裾を掴んだ。
「ん?」
振り返るとアシュリーが真っ青になって震えている。
「どうした?」
アシュリーにもわからなかったが、急に悪寒が走り、全身が凍り付いたように硬直した。さっき聞いたオリヴィアの悲鳴とは違う、今度は本当に何かが起きたのだと直感した。
「お前も部屋に戻ってろ」
「でも」
「心配ない、アルド、彼女を部屋に」
「はい」
そしてヒューイはデュランと部下の騎士二名だけを連れて、声のした方へと向かった。
アシュリーは言い知れぬ不安を抱えながら見送った。




