その13 薔薇を再生させたいです
「あの子のことが気になるなら、邸に来ればいいじゃないですか、オリヴィアとは鉢合わせしないようにしますから」
ヒューイはリフェールに呼び出されて、母親の実家の食堂へ来ていた。
「それだけじゃないよ、シモンズ侯爵家は呪われてるだろ、そんな邸に足を踏み入れたくないんだ」
リフェールは冗談っぽく返した。
「昨日はただの噂だって言い切ってたくせに」
早朝にリフェールから、盗まれて質入れされていた鞄と一緒に伝令が届いた。忙しいが王子の呼び出しを無視するわけにはいかない。
「それで、アンの様子はどう?」
「平民のふりをしているから、さっそく侍女長に意地悪されてました、だからリフェール殿下の大切な人だと言っておきましたよ」
「シモンズ邸はろくな使用人がいないんだね」
意地悪のつもりで言った〝大切な人〟の部分はスルーされて、ヒューイは肩透かしを食らった。
「で、彼女はいったい何者なんです?」
「何者とは?」
「第三王子と面識があるってことは、高位貴族ですよね」
「面識があるって言ったの?」
「子供の頃にと」
「覚えていたのか」
リフェールは嬉しそうに目を細めた。
「それに彼女、執務が出来るんです、俺が三ヶ月もかかってやっと気付いた違和感に、彼女は一瞬で気付いたし」
「執務を手伝わせたの? 昨日の今日で」
「偶然、机上に積み上げられていた書類を見る機会があって」
「自分のことについて彼女はなにか話したかい?」
「聞かれたくないようなので詮索はしませんでしたが、執務を手伝うことは嫌そうではなかったので頼むことにしました」
「ま、それでよかったのかも、無理に聞き出そうとして逃げられたら困るからね」
「一文無しで、しかもあの怪我ではどこへも行けないでしょ」
「それにしても、君は大丈夫なのか? 女性と二人きりで部屋にこもることになるんだよ」
「不思議と彼女には不快感がないんです」
デュランにも不思議そうに見られたことを思い出した。
「昨日も抵抗なく馬車に同乗してたもんな、もっと嫌がるかと思ってたのに」
「女を感じさせないからかな」
無神経なヒューイの発言にリフェールは吐息を漏らした。
「絶対彼女に言うなよ、見かけによらず繊細な子だと思うから」
「でも、自分でそう言ってましたよ」
「ちゃんと彼女を見た? けっこう綺麗な顔しているよ、化粧をして着飾れば化けると思うよ」
と言って、ハッと思いついた。
「そうか化粧だ」
「化粧?」
「白粉の匂い、それに香水も付けてないだろ」
「確かに」
「匂いと記憶には密接な関係があるからね」
むせ返るような甘い香水の匂いが、ヒューイの忌まわしい記憶を想起させることをリフェールは知っていた。
「彼女は、草の匂いがします」
「草?」
「草原の匂い、日向の匂い、そんな感じだから、なんか子供の頃を思い出しますね」
リフェールに指摘されてはじめて気づいた。アンと一緒にいても嫌悪感がないのは、彼女からは自然の香りがするからだと。
「彼女が何者か知ってるんでしょ」
「確認しているところだよ、なぜ家出したのか実家の事情も合わせて。今言えることは、我が国から出してはいけない人だってこと、隣国へ行かせてはダメだからね、しっかり引き留めておいてね」
リフェールの右眼が厳しい光を放った。
「ところで、頼まれていた会計士、とびっきり優秀な人材を手配しているからね、一週間後には派遣できる予定だよ」
リフェールは表情を戻して、笑みを浮かべた。
「アンの指摘で君の懸念が裏付けされたね」
「間違いであれば良かったんだけど」
* * *
(なにがいけなかったのかしら?)
今朝のヒューイはあきらかに変だった。無愛想な人ではあるが、冷たい人ではないはずだ。
(奥様をお迎えできないって言葉に反応したように思うわ。女性にこっぴどく振られた過去があるとか、裏切られたとか? いいえ違う、もっと深刻だった……恋人を亡くしたとか)
アシュリーは気になってしょうがなかったが、聞く勇気もなかった。
彼が戻るまでやることもなかったので、荒らされた薔薇園に来ていた。惨憺たる状況だったが、全滅したわけではない、難を逃れた苗もある。アシュリーはなんとか助けられないか、試みてみたくなった。
(まずは散乱した花や葉の残骸を片付けなきゃね)
箒でかき集めれば早いが、それでは生き残った苗を傷つけてしまう。
アシュリーは屈むと、素手で拾いはじめた。
「なにをしてるんだ?」
後ろから人が近寄っていたことに気付かなかったアシュリーはギクッとして振り返った。
「ヒューイ様、お帰りでしたか」
「つい今しがた、で?」
「再生できないかなと思って」
「庭仕事もするのか? 算術と言い、変わったことが出来るお嬢様だな」
「お嬢様じゃありません」
「片手じゃやりにくいだろ、手伝おう」
ヒューイはアシュリーの横に屈んだ。
「汚れますよ」
「かまわない」
ヒューイは花壇の中に落ちている花を拾いはじめた。
「棘に気を付けてください」
「ああ」
思いのほか距離が近かったのでアシュリーはドキドキしていた。それはヒューイも同じ、女性とこんなに接近して嫌な気がしないのは初めてだったが、それゆえに好奇心もあった。
「やっぱりお前、草の匂いがする」
「えっ?」
「いや、なんでもない」
「勝手なことしたら、庭師の方が気を悪くされるかしら」
「大丈夫、専属の庭師はいないから」
「えっ? こんなに広いお庭なのに?」
そう言えば、騎士棟奥の外庭も荒れ放題だった。
「この邸は評判が悪いから腕のいい庭師が見つからなくて、必要な時だけ通いの者が来てくれるんだ」
「呪いの噂のせいですか?」
「いいや、それは関係ないもっと前からだ。俺が寄宿学校へ行っている間の話だけど、トラブルがあったらしい」
「なんかいろいろあるお邸なんですね」
「悪いな、巻き込まれないように気をつけろよ」
「もう巻き込まれている気がします」
アシュリーは少し離れた木の影からオリヴィアがのぞき見しているのに気付いていた。もちろん、ヒューイも気付いていた。




