その11 ミスを見つけてしまいました
ヒューイ・シモンズは十九歳にして侯爵家を継いだ。
元々は正妻の嫡子である異母兄のカイルが後を継いでいたのだが、三ヶ月前、馬車の事故で夫妻とも亡くなってしまった。
夫妻には十四歳の娘オリヴィアだけで後継ぎとなる男子がいなかったために、ヒューイが急遽呼び戻されたのだった。
ヒューイは十三歳で騎士を目指して王立学園の騎士科に入学、寄宿舎に入った。そして優秀な成績で卒業と同時に、王宮近衛騎士団に配属された。リフェールとは王立学園時代の同期で親友と呼べる間柄、卒業後も懇意にしていた。
正式な騎士になってこれから頑張ろうとしていた矢先、家の事情で惜しまれつつ退役を余儀なくされた。
騎士になること以外考えていなかったヒューイにとって、侯爵家の執務は苦痛でしかない。一からの勉強に四苦八苦していた。
アシュリーが執務室を訪れた時も、机上に山積みされた書類と格闘していた。
「お呼びですか?」
「ああ」
ヒューイは事務机から応接用のテーブルに移り、アシュリーにもソファーに座るよう促した。
そのテーブルには盗まれたアシュリーの鞄が置いてあった。
「これは!」
「そう、君の鞄が見つかったんだ、質入れされていたらしい」
アシュリーは鞄を手に取ったが、軽すぎて拍子抜けした。
「もちろん中身はない」
「そんなぁ」
「それだけでも戻って良かったじゃないか、その鞄、使い込んではあるものの、良い品だし」
「ええ、母から譲り受けたものなんです、母は祖母から」
アシュリーは大事そうに鞄を抱えた。
「ありがとうございます」
「いや、礼はリフェール殿下に」
「殿下が捜してくださったんですか?」
その時、机上に山積みされた書類が突然崩れてドサリと床に散らばった。
「くそっ!」
ヒューイは仕方なく拾い集めに戻った。
「えらく溜め込んでらっしゃるのね」
アシュリーも手伝った。
「侯爵家の執務がこんなにあるなんて知らなかったよ」
「他人事みたいに、あなたのお家でしょ」
「実際、三ヶ月前までは他人事だったんだよ、俺は家を出ていたし、戻るつもりはなかった」
声のトーンが沈んだのに気付いたアシュリーは、あまり立ち入らないほうがいいと察したが、
「あれ?」
その時、拾った書類の計算が合っていないのに気付いてしまった。
「これ、変ですよ」
「なにが?」
「計算が全然合ってないです、ここ」
「見ただけでわかるのか?」
「このくらいなら暗算できます、ほら、この書類も不自然です」
アシュリーは母亡き後、働かない父の代わりに伯爵家の資産管理から薬草の取引、使用人たちの雇用まで執務のすべてを取り仕切っていたので、爵位は違えど内容は理解できる。
「普通の女性は出来ないと思うけど、いったい、何者なんだ?」
アシュリーは不自然な笑顔で誤魔化した。
ヒューイは彼女が指摘した書類を受け取り、
「あとで見直すとするか」
と大きな溜息をついた。
「体を動かす仕事しかしてこなかったから、こういうのは苦手だ」
「専門家に任せればいいじゃないですか」
「その専門家がちょっとな……、そうだ、お前、手伝ってくれないか」
「私がですか?」
「これが片付いたら謝礼は弾むよ、ウィルトンまで行くんだったよな、そんな遠くまで女一人で?」
「向こうに親戚がいますから」
「そうか、じゃあ、そこまでの旅費だ、色も付ける」
「やります!」
その時、ノックがした。
「トンプソンです、よろしいですか?」
「入れ」
入室したトンプソンはアシュリーがいることに少し驚き、怪訝そうにした。
「なにか用か?」
「オリヴィア様の侍女ですが、また追い出してしまわれたので新しい人を手配願えませんか、なんでしたら私の実家の伝手で捜すこともできますが」
淡々とした早口で一気に話した。
「オリヴィアには教育係を手配しているところだ、決まるまでは君が面倒をみてやってくれ」
「私ですか? それなら他の者を」
「君に頼んでるんだ、しょっちゅうアルドを呼び付けているようだし彼も困っている。それに他の者にやらせてまた辞められても困るからな、君なら大丈夫だろ」
「は、はい」
トンプソンは不服そうになぜかアシュリーを睨んだ。
「それから、アンには執務を手伝ってもらうから」
「この娘にですか?」
ヒューイは吐息を漏らしながら、チラッとアシュリーに目配せした。
アシュリーはすぐさま大きく首を横に振った。
「言葉遣いには気をつけろ、彼女は使用人じゃないお客様だ、執務を手伝ってもらうのは、怪我が治るまでの暇つぶしだから」
正体をばらされるのを嫌がったとみて、ヒューイは言葉を選んだが、トンプソンは納得いかない顔だった。
「邸には高価な調度品もございますし、身元の不確かな者が自由に歩き回るのはどうかと思いますわ」
「身元は第三王子のリフェール殿下が保証してくださる、彼女のことは殿下に頼まれたんだ、聡いトンプソンなら、この意味、わかるだろ」
ヒューイは威嚇する笑みを浮かべた。
「口外はしないように」
(そんないい方したら、私がリフェール殿下と只ならぬ関係みたいじゃない!)
アシュリーは焦ったが、
「かしこまりました」
トンプソンはあっさり受け入れて、退室した。




