第七話
本当に久々投稿します。受験勉強で大分ご無沙汰だったので、文章力の下がること下がること(泣)。
感想、アドバイス、お待ちしてま~す。
居間のテーブルには、ルナと、三人の子供たちが席に着いていた。
「ごめん、遅くなった」
そう言って、イセルは席に着く。子供たちからは黄色い声で、
「兄ちゃんおそーい」
と非難する声が上がる。それに対し、軽く詫びを入れるように手を合わせる。
「イセル、セラちゃんは?」
ルナが尋ねる。しばし口をつぐみ、困ったように笑いながら、イセルは言った。
「……少し、一人になりたいってさ。先に食べちゃって良いと思うけど」
何か言葉を続けようと口を開きかけたルナだが、すぐに微笑み、
「それじゃ、先にいただいちゃいましょうか」
ルナのその言葉をきっかけに、全員が手を合わせ、夕食に手を付け始めた。
「イセル?」
しばらくして、ルナが呼びかけた。イセルが驚いたように、ルナを見る。
「食事、冷めちゃうわよ?」
そう言って、先ほどからあまりその量を減らしてない皿に目を向ける。いつの間にか考え込んでしばらく経ったらしい。
「ごめん。ちょっとボーっしてた」
素直に謝り、ぬるくなったスープにスプーンを沈めた。
「じゃあ、兄ちゃんのチキン、俺がもらい~!」
そう言って、男の子は木製のフォークを掴んだまま手を伸ばす。それをすかさずイセルは叩いた。予期せぬ痛みに、思わずその手を引っ込める。
「アホか。自分で食うわ。誰がお前にやるか」
そう言ってイセルはフォークで自分の料理を突き刺し、大きく口を開けて一口で頬張った。
「やーい、怒られてやんの~」
男の子の向いに座る女の子が、痛そうに自分の手をさする男の子に、憎たらしく言う。それに対して男の子もイラついたように、舌を突き出した。
「うるせー。バカ女」
「バカって言うヤツの方がバカなんだよ~だ」
負けじと思いっきり舌を突き出して言う女の子。
「じゃあ、お前もバカじゃねーか。バーカバーカ」
不毛且つ無限に続く論理の下、罵り合いを続けようとする二人。その時に、バンッという音が響き、二人の言葉が止む。恐る恐る二人がそこへ首を向けると、ルナが微笑みながら、けれどまったく笑っていない冷たい目をしながら、逆らいがたいオーラをその身から放っていた。
「ロラン、リリー、食事中に喧嘩しない。それからフィン」
リリーの隣に座る、もう一人の男の子が、驚いたように肩を震わせる。そして目を擦りながら大きく間延びした欠伸をつく。
「……食事中に眠らない。三人ともちゃんと食べないと、夕飯抜くわよ?」
厳しい口調で言うルナに、三人は一様に返事をし、各々手を伸ばした。
いつも通りの賑やかな日常。どこまでも暖かく、そして心地よさを与える光景。それでもイセルの心の中は、星月の下で涙を流した少女を気にかけていた。
セラが、目覚めた時から見せている微笑み。イセルの目には、とても乾ききったものに映っていた。初対面の者に対する戸惑いとも違う、別の何かが、笑顔に感情を灯らせることを妨げている。
感情を、自分の心を、相手に見せるのに抵抗する者が作る、痛々しい笑みだった。
己自身に重なる所があったからか、あるいは、やはり夢に出る女性との何らかの繋がりを意識してしまったからか。いずれにせよ、イセルは少女を放ってはおけなかった。何とかしてセラの本当の笑顔を見たいと、思ってしまったのだった。
子供たちとの触れ合いで徐々に心の壁を溶かし、先ほどの会話でようやく笑わせることができた。楽しげに体を揺らすセラを見て、内心してやったりと拳を突き上げるほどだった。
だからこそ、先ほどの少女の涙に言葉を失った。夢に出る女性の、悲しげに微笑む様がそこでも頭をよぎり、切なさに胸が締め付けられる。口が乾き、頭の中が白く染まる。涙ぐむ彼女の言葉を聞いて、何の考えも無しにその場を去ってしまった。こういった経験に乏しい少年には、そうすることしかできなかった。
去って良かったのか。その場で、話を聞いた方が良かったのか。自分はどうすれば良かったのかと、ひたすらに考えていた。
やがて思い立ったように、皿を掴み、スープを口に流し込む。ルナが呼ぶ声、子供たちの「「「兄ちゃんお行儀悪い!」」」という指摘を無視し、スープを飲み干す。
こうしている間にも、セラはまだ泣いているのだろうか。胸に突然広がった不安が、イセルを急き立てた。
「ごちそうさま」
皿をそのままに、イセルは席を立った。そしてセラがいるであろう庭の縁側に向かうために居間を出ようとして、
「うわっ」
「ひゃっ」
そこでセラとイセルがぶつかってしまい、セラが体勢を崩しかける。咄嗟にイセルが体を掴み、倒れるのを防ぐ。
「ごめん、大丈夫?」
慌ててセラに言葉をかける。しかしセラの言葉は無く、目を何度も瞬かせ、白い頬に朱色が差していく。
その反応を訝しむイセル。するとここで、セラの顔がやけに近いことに気づく。そして自身の今の状況を見つめ直す。
セラの体を支えるために咄嗟に出した右手はセラの腰に回り、更に左手はセラの右肩をつかんでいる。結果、イセルがセラを抱きしめ、体が密着する形になり、自然と両者の顔が近づくことになる。その様はまるで、本の中で出てくるような、若い男がうら若き麗嬢に、我が身を焦がす愛を伝える接吻の場面。
顔に熱が一気に集中するのを感じ取る。意識し出せば止まらない。戸惑いや驚きのせいであろう、頼りなく揺れる瞳はどこまでも蒼く澄み、水の帳が降りたようにわずかに潤む。豊かな髪と同じ色の長い睫毛が、その瞳にさらに華を添える。薄く形の良い唇がわずかに割れ、吐息が漏れる。
それらを含めた少女の全てがそれぞれの美しさを主張しながらも、互いを打ち消すことなく見事に調和し、目の前の少女の可憐さを形作る。セラの美貌が、少年から思考を奪う。落ち着こうと思って目を固く閉じたイセルだったが、すぐに痛切に後悔した。
視覚情報が遮断された分、他の感覚が暴力的なまでにジークを責め立てる。密着している体から、男の自分には到底ない体の柔らかさが伝わる。胸から伝わるその膨らみは些か心細くはあるものの、それでも確かな質量と柔らかさを伝えるには十分だ。イセルが呼吸をする度、花とも石鹸ともつかない甘い匂いがセラから立ち、鼻腔を刺激する。少女の不規則で弱々しい吐息は、艶かしい響きとなって鼓膜を揺らし、脳を痺れさせる。
この間三秒もなかっただろうが、イセルは見事なまでに狼狽していた。八方塞がりの状況を打破したのは、子供たちの、正確にはロランとリリーの黄色い歓声だった。
我に戻ったイセルは、弾かれたようにセラと距離を取る。
「あ、えと……、ごめん!」
弾かれたように頭を下げる。
「いえ、私の方こそ、ごめんなさい。よく見てなくて」
呼吸が乱れているものの、セラの声音に怒りがないことを知ると、イセルは安堵した。
「ヒューヒュー!兄ちゃんやるぅ!」
からかいの言葉に反応し、ロランの真後ろにイセルはすかさず移動する。
「へ?」
気づいたときには遅く。イセルは両手で中指を少し立てた拳骨を作ると、その中指をこめかみに当たるように拳骨を合わせ、思い切り力を入れた。その時に拳を捻るように回すのはもちろん忘れない。
「いでデデデで! ちょっ、い、痛い!? 兄ちゃん!? ものすごく痛い!」
「やかましい。何がヒューヒューだ! 指笛吹けないくせにこのクソガキ!」
居間に笑いが満ちる。毎日耳にする楽しげな響き。その中に、蒼眼の少女の涼やかな声が交じっているのを、イセルも笑いながら感じた。
「ごめんなさいね、騒がしくて。お腹空いたわよね。座って座って」
皆がひとしきり笑った後、ルナが言う。皆がひとしきり笑った後、ルナが言う。ようやくイセルの万力から解放されたロランは未だに頭を抱え悶絶している。
「はい。ありがとうございます」
セラはリリーの隣に座った。リリーがニヤニヤ笑いながらセラの耳元で何事か呟き、セラが顔を赤らめる。出会ったときよりも素直な反応を示すようになったセラを見て、イセルの顔が緩む。
「あー、セラ可愛いなー」
「はぁっ?」
イセルにだけかけられた突然の言葉に、驚いてルナに向き直る。ルナの顔に浮かぶいたずらっぽい笑みは、その年齢を十数年若返らせるほど明るく、魅力あるものだった。
「イセルの心の声。どう? 合ってる?」
「~~っ、うるさい。体洗ってくる」
ルナがクスクスと可笑しげ笑うのを背に感じながら、居間を出ようとする時、一瞬だけセラに視線を向ける。リリーと話しつつもその視線がイセルのそれと交わる。セラが軽く微笑むのを見て、イセルは軽く手をヒラヒラと振りながら居間を出た。少なくとも少女の中で何か吹っ切れたのだと、少女の晴れやかな、明るい表情を見て安堵した。それでも、
「吹っ切れてないのは、俺なんだよなあ……」
いまだに拭えない心のわだかまり。ため息とともに吐き出される言葉は、薄暗い廊下の中、床板の軋む音に紛れて消えていく。細かい造作や雰囲気は異なるものの、夢の女性にあまりにも似すぎている少女。
偶然ではないと、言葉にできない感覚がイセルの中にはあった。
それは確信と呼ぶには脆すぎて、けれど、気のせいや杞憂と切り捨てるにはあまりにも確かな形を持っていた。
捨てきれず、行き場のない感情を持て余したまま、イセルは深く息を吐いた。