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第五話

 「――ぇちゃん……姉ちゃ……お姉ちゃん」


 うっすらと目を開けると、古ぼけた木の天井、そして、三人の幼い子供の顔がのぞいているのが見えた。あまりにも顔が近かったため、少女は驚いて大きく目を見開く。


 「わあ!」


 「ひゃあ?!」


 「のわ!」


 子供たちは三者三様に少女の反応に驚いて、黄色い、素っ頓狂な声を上げて部屋から飛び出した。


 「……え?」


 少女は彼らを呼び止めようと体を起こそうとしたが、体に妙な強張りが襲い、顔をしかめた。ゆっくりと体を起こし、改めて自分の置かれた環境を理解しようと周りを見渡す。

 どこかの民家であることは間違いないが、部屋が随分広く感じる。屋敷と言っても過言ではないだろう。窓から差し込む光が部屋の中を照らしている。


 少女の脳裏に閃きが走った。敵からの襲撃を受け、瀕死の状態だったこと。だが靄がかかったように頭は働かず、何故このような場所にいるのか思い出せない。


 怪我の所に手を持っていくと、包帯が巻かれている事が分かった。少女の格好も、先程の服装とは違い女性用の寝巻きに代わっていた。

 誰かに助けられたのだろうか。何か大事なことを忘れているような、そんなひっかかりを感じて軽い苛立ちを感じる。

 視線を泳がせていると、先程の子達が、部屋の入り口から遠巻きに、覗き見るように少女を見つめていることに気付いた。互いが見つめ合い、しばし沈黙が流れる。流れる空気の居心地の悪さを振り払おうと、少女は思わず声を掛けようとした。その時、部屋の外の廊下から足音が、少女の耳に届く。子供達が一斉に足音の方を見た。


 「お前ら、向こう行っとけって言ったろ?」


 そして届いた少年の声。その口調とは裏腹に、柔らかい響きが少女の鼓膜を揺らす。


 「「「兄ちゃん!」」」


 黄色い声を上げ、子供達はその声の下へ行った。姿は見えなくなったが、部屋のすぐそばにいるのだろうということは話し声から分かった。


 「兄ちゃん、あのね?」


 そう言う男の子の声は、悪戯が見つかり、言い訳をしようとする時のような、気まずさが伴っていた。

 「ん? どうした、起こしちゃったのか?」

 その声音を聞くだけで、その主が子供たちに視線を合わせるために、しゃがんで話をする様が頭に浮かぶ。その想像は、少女の心にゆっくりと温もりを与えるほど、微笑ましいものだった。




 「お姉ちゃん、泣いてたよ?」




 胸に広がる温もりが一気に霧散した。少女は自分の頬に手を当てる。未だ乾ききらない涙の跡に気付き、慌てて袖で拭った。


 「……後は俺と先生に任せて。お前らは、向こうの部屋行って、他の子と遊んでおいで。もうすぐおやつの時間だから、仲良く待ってな?」


 子供達の素直な返事と、部屋から遠ざかっていく足音。そしてもう一人の足音が部屋に近づき、その主が部屋に入ってきた。


 「あ……」


 そこに現れた少年を見た瞬間、少女は思い出した。光に照らされ煌く銀髪が印象的だった。あの時の表情は不安と戸惑いに満ちていたが、今はその黒い瞳に確かな安堵の色が灯り、笑みは柔らかなものだった。

 「起こしちゃったみたいで、ごめんね。あいつらうるさかったでしょ?」

少女の近くに座りこみながら少年は言った。少女は軽く微笑みながら、頭を横に振った。


 「いえ、そんなことありません」


 「……そ。なら、良かった」


 少年の顔が一瞬強張ったように見えたが、何事もなく話し続けたため、光の加減でそう見えたのだと少女は思った。

 少年は肩から提げた鞄から、黄色い林檎のようなものを取り出した。


 「アマリロ……ですか?」


 少女が尋ねると、少年は驚いたように少女を見つめた。


 「そう、アマリロ。市場じゃリンゴもどきなんて言われて相手にされないから知らないと思ったんだけど、君食べた事あるの?」


 アマリロの皮をナイフで剥きながら聞いた。


 「いえ、ただ本で読んだことがあるだけですから」


 「そっか。じゃ食べて見てよ。そこらで売ってるリンゴには絶対負けないと思うから」


 少年は一口大に切ったアマリロを少女に差し出した。おずおずと手を出し受け取る。黄色い皮と白い果実の対比が目にまぶしい。少女は恐る恐る口に入れた。

 程よい硬さの果実が、口の中で小気味良い音を立てる。そして瑞々しい果実から、甘く爽やかな果汁が口の中に溢れていった。


 「美味しいです」


 思ったままに述べられた言葉に、少年は嬉しそうに笑った。


 「本当? 口に合って良かったよ」


 そう言って少年はアマリロに丸ごとかじりついた。窓からふと、柔らかな風が流れる。少年の銀色の髪が揺れ、その度に髪の一本一本が光に当たって煌く。顔つきは細目な印象を受けるものの、黒い瞳が放つ光は力強く、健康的な肌色とも合わさって快活さが溢れる。美男子、と呼ぶには少しあどけなさが先立つだろうが、十分に魅力的だと少女は思った。何の気もなしに少年を見つめた。


 「どうかした?」


 見つめられていることに気付いた少年が、少女に言った。


 「え……いや、あの」


 少年の方は不思議そうに少女の反応を眺めていた。少年の顔を見ていると、妙な小恥ずかしさを感じ、少女は視線を逸らした。

 また沈黙が流れたが、先程の子供達との間に流れたそれとは違い、少女は何となく居心地の良さを感じた。しばらくはこのままでも、そう思った時だった。

 廊下が軋み、部屋に近づいてくる足音が、沈黙の中、やけにはっきりと響く。そして現れたのは黒髪で小柄の、人の良さそうな笑みを浮かべた女性だ。女性が少女の方を向きその笑みを穏やかに深めると、少女は胸の中に安心感を抱いた。


 「先生」


 少年は姿勢を正して座りなおした。その改まった態度、そしてその呼び方から、少女は思わず身構え、軽く頭を下げた。


 「こらこら、楽にしてなさい。お客さんが固くなってるでしょう?」


 そう言って先生と呼ばれた女性は少年の横に座った。その時に彼女が少女に向けてウインクしたので少女は親近感を覚え、緊張を解いた。


 「私の名前はルナ。ルナ・ファルザー。この村の医者です。で、こっちにいるのがイセル」


 ルナがそう言うと少女は二人に向けて頭を下げた。


 「体の調子はもう良いみたいね。まだ体の強張りと痺れが残るでしょうけど、じきに良くなるわ。安心して」


 その声は落ち着いた深いアルトで、聞く者に心地よさを与える響だった。

 少女は再び、今度は先程よりもゆっくりと、そして深々と、感謝の意を込めて頭を下げた。ルナも同じように礼をした。


 「さてと。傷の方を診るわね。イセル、あなたは子供達をお願い」


 「うん、分かった。何かあったら呼んで、先生」


 そう言ってイセルは立ち上がり、部屋を後にした。


 「それじゃあ、横になってもらえる?」


 ルナはそう言うと、治療用具が入っている箱を広げ始めた。少女は言われた通りに横になる。ルナは少女の掛け布団を足元まで下げて、服の足元をはだけさせた。そして太腿に巻かれている包帯をゆっくりと外していく。手際の良さもさることながら、傷に障ることがないように慎重に、丁寧に処置していく。


 「どう、まだ痛む?」


 傷跡に手を軽く置きながら、少女に尋ねる。痛みはすっかり消えていた。傷の応急処置は済ませたとはいえ、それだけではやはり不十分だ。助けられた後、かなり十分で適切な治療を行ってくれたのであろう。


 「いえ、もう平気です」


 ルナの目を見て言うと、彼女は微笑みながら頷いた。


 「そう。良かった。この分だと傷跡も残ることは無いでしょう。もう大丈夫」

 そう言ってルナは、今度は包帯ではなくガーゼをテープで貼って、服を戻した。


 「もう包帯する必要もないでしょう。後は、まだ体内に残留する毒のせいで軽い痺れと強張りは当分残るでしょうけど、解毒はできたから安心していいわ」

 

 「はい。あの……」


 「ん?」


 穏やかな表情でルナは言葉を待つ。


 「ありがとうございました。皆さんに助けていただけなければ、今頃……」


 「いいのよ。私は有り合わせの薬草でちょこちょこってやっただけだから。でもそうね。なんとかなったけど、もうちょっと遅ければ分からなかったわね。イセルにもちゃんとお礼を言ってあげてね。ここまであの子が頑張ってくれなきゃ、もっとひどくなってたと思うから」


 ルナの言葉に、少女はまだイセルに礼の言葉一つ言ってなかったと恥ずかしく思った。そして唐突に、ここまで運んできてくれた時の状況を想像し(いわゆるお姫様抱っこ)、顔が熱くなるのを感じた。少女を見るルナは楽しげに微笑んでいた。

 穏やかで、温かくて、優しくて。見る者に安心感を与えるその笑顔。


 少女には、それが心苦しかった。見ず知らずの自分の事をここまで手厚く介抱してくれたのだ。事情を言わなければ、目の前にいるルナも、自分をここまで運び、助けてくれたイセルも裏切ってしまうことになる。

 それでも、言い出すことを躊躇い、奥歯を噛む。巻き込んでしまうのではないか。

 旅の途中、同じように助けてくれる人々はいた。その人達を信用し、素性を打ち明けたことで、ある時は拒絶され追われた。ある時は敵に密告された。

 それだけならまだ良かった。少女を信じ、匿ってくれた人が、目の前で殺される。それを助けられず、己の無力さに打ちひしがれ、逃げることしかできなかったことが、少女にはなにより辛く、苦しいものだった。

 言うわけにはいかない。裏切られる絶望も、救えないやるせなさも、二度と味わいたくない。この人たちと関わらず、できるだけ早く去ろう。

 ルナから投げかけられるであろう問いをどうかわすかと考えていた。だが、


 「疲れたでしょ。ゆっくり休んでて。ご飯できたら、持ってくるから」


 そう言ってルナは立ち去ろうと、腰をあげかけた。


 「あ、あの」


 追及がないどころか、体を労ってくれる言葉をかけられ、思いがけない態度に、とっさに声を上げてしまった。

 言葉の続きを言わない少女に、訝しげな視線を向けるルナ。少女は、意を決した。



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