第29話 兄妹
夜会当日。
前日に手元に届いていて、体にあてて合わせてみていたドレスを本格的に着付けて、胡桃は星周が迎えに来るのを待つ。敦と入れ替わらずに支度をするのは久しぶりであり、しかも着慣れぬドレスということもあって、落ち着かない気分で何度も鏡を見ていた。
肌が露出しない型で、白く柔らかな絹地で作られたそれは、一見すると異国風のドレスだが、光の加減で別の糸で織り込まれた手毬や鼓、桜や橘の吉祥文様が淡く浮かび上がり、着物地を使っていることが知れる凝った意匠だ。
髪もきっちりとまとめあげて、リボンを結んでいる。
「可愛い、可愛い。そういうのいいね。兄の欲目じゃないよ、本当に似合っている」
縁側を通りすがった敦が、軽い調子で声をかけてきた。
ここ数日、胡桃が扮していたのとそっくり同じ着物に袴姿であるが、それこそ双子の贔屓目ではなく、自分よりもずいぶん様になっている姿に胡桃もまた感心して見とれてしまう。
「やっぱり、兄様はそういうお姿が似合いますね」
敦は苦笑いをして、唇の前に指を一本立てた。まだ胡桃の部屋では片付けをしている女性たちがいるので、迂闊なことは言わないようにという警告であった。
素早く部屋を出た胡桃は、敦と板敷きの縁側を歩きながら、小声で会話を交わす。
「兄様は、今日も玲さまとご一緒ですか?」
「うん。目を離せない」
さらっと答えてから、敦は自分の言葉に首を傾げて「危なっかしいんだよ、あいつ」と言い添えた。
胡桃の見た時点では、決して仲が良くなれそうにもない二人であった。それが、この入れ替わりの期間に、ごく自然に相手の心配をするほど友情を深めたということだろうか。
半分人間で、半分妖魔だという玲。
女学校での潜入捜査の役目を終えた以上、もう「葉室絹」として戻ってくることはないだろう。
胡桃は友人としての絹と会うことは二度とないかもしれないが、この先は敦が玲の友人でいてくれるのなら、ただ縁が切れるわけではないと報われた思いもある。
「あの方の『異能』と、兄様は相性が良いでしょう。今日は玲さまは警備側でしょうし、兄様が一緒にいるのは、とても良い組み合わせですね」
思ったままを口にすると、敦は目を細めて胡桃に視線を流してきた。並ぶとやはり身長差があり、少しだけ見下ろされる角度となる。
目が合ったところで、優しく微笑まれた。
「胡桃も、星周と仲良くなったみたいで何よりだよ。そのまま結婚すればいいのに。星周が義弟なら、望むところだ。思いっきり弟扱いしてやる」
さらっと言われて、胡桃はとっさにうまく返すことができず、言葉を詰まらせる。
恋人として名乗りを上げた時点で、星周の義母に何をされるかわからないという事情の本当のところは、まさに前日聞いたばかりだ。
柿原の家を義母の好きにはされたくないが、その企みを砕けたら駆け落ちしても良いと星周が言っていた理由も、飲み込めたつもりである。
まだはっきりと聞けていないのは、胡桃に対して、重い思い入れを持ったきっかけくらいだ。
(兄様は何か、知っているのでしょうか……?)
実際に星周と二人で過ごす中で、胡桃も彼自身も互いに抱いていた第一印象を改める会話が幾度となくあり、距離が近づいた感がある。
胡桃としては、もはやきっかけはどうであれ夜会の場で彼の「恋人」として振る舞うことに、いまとなってはなんの躊躇いもない。自分を選んでくれてありがとうございますと、本気で思っている。一方で、発端がまったく気にならないわけでもない。
さりげなく、当たり障りなく敦に確認をする。
「兄様と星周さまの間で以前、私の話題が出たことは、あるのでしょうか?」
敦は、即座に答えた。
「なに? 妹をくださいって言われたことがあるかってこと? 無いよ。でも星周は僕のことを好きだから、胡桃のことも好きだと思ってた。あいつも何か目を離せないところがあって……」
自信家というほどの押し付けがましさを感じさせないのに「星周は僕のことを好きだから」と言い切る敦の嫌味のなさに、胡桃は少しばかり圧倒される。真似できるものではない。
ただ、言い淀んだ部分が気になって、思わず聞き返した。
「目を離せないというのは、玲さまと同じような意味で?」
今度は、敦は難しい顔となり、言葉を選びながら言った。
「玲さんは……、この世に自分をつなぎとめるものを必要としているように、思える。そうでなければいつ異界に連れ去られても、不思議はない。人間であるために、僕のような口の減らない相棒をそばに置きたいんだろう。星周も、同じような意味でどこか不安定なものを感じる。僕が玲さんのそばを離れられないとして、胡桃は星周の側にいるのが良い。高槻の『異能』は戦い向きではないが、ああいう戦わざるを得ない異能持ちに求められる『何か』なのだという気がする」
もともと、敦は胡桃に星周を推していた向きもある。以前から、引っかかるものがあったのかもしれない。
(星周さんの正体が妖魔ということは……。玲さんのような半人半妖が、玲さんひとりとは限らないということは、十分に考えられることですが)
冗談では済まされない内容だけに、たとえ敦が相手でも口にするのは抵抗がある。
黙り込んだ胡桃の横で、敦もまた慎重な口ぶりで言った。
「玲さんと知り合ってから、葉室要さんのことも少し調べた。特殊な『異能』持ちだったらしい。妖魔に言葉を教えようとしただけある、祝詞の扱いにも通じていた。それと……怪我を治癒する力もあったようだと」
それはまるで。
いまは敦と胡桃に分かれた能力のような。
「妖魔がなつきたくなる『異能』」
敦がうまく言うことができなかった部分を引き継ぎ、胡桃が真顔で言うと、敦はひっそりと笑った。
「生まれ変わりなんてあるのか知らないけど、玲さんや星周を放っておけないのは、性分なのかもしれないな」
それを、胡桃は考えすぎと否定することはできなかった。
なんと言うべきか悩み、敦を見て真剣に告げる。
「双子で良かったですね。二人いて、あの」
くす、と敦は笑う。
そのとき、玄関に迎えの馬車がついたと、胡桃へ知らせが入った。




