第22話 恩と感謝?
百貨店の帰り道、星周はめっきりと口数が少なくなってしまった。
疲れた? 元気がなくなってしまった? と胡桃はひそかに心配していたものの、「お腹空きましたよね」と言われて立ち寄ったレストランでは、オムライスとビーフシチューをきれいな所作で素早く完食していたので、食欲は問題ないらしい。
(身長は高いですが、大男というわけでもないのに、あんなに食べるんですね……兄様よりずっと大食。健啖家というのは、こういう方のことを言うのでしょう)
赤レンガの建物が立ち並ぶ、石畳の往来を連れ立って歩きながら、胡桃はそっと横目で星周の様子を窺う。
ばっちり目が合った。どうも、同時に視線を向けてしまったらしい。
何も言わないわけにはいかない空気の中、口火を切ったのは星周である。
「さきほど試着していたドレス、とてもお似合いでした」
言葉では褒めてくれているのに、なぜかまなざしがとても暗い。闇を帯びている。
「無理にお世辞を言っていただかなくても、大丈夫ですよ。素敵なドレスは、どなたがお召しになっても素敵に見えるものです。私は着慣れないので、変だったのではないかと……」
すっかり敦の変装に身をやつしている胡桃は「この格好のほうが、まだ落ち着きます」と言って笑ってみせた。
星周は、胡桃から目を逸らさずに、低い声で「そういうの、いいですから」と言う。
「敦の着物は似合わないわけではありませんが、男装に慣れたり、このほうが似合うなどと言って自分を抑えようとはしないでください。ご自分でもわかっているでしょう、あなたは着飾ったときに、とても映えます。どこも変ではありませんでしたし、俺には後光が差して見えました。あなたの場合、おどおどしているほうがよほど変に見えますよ」
星周の勢いに圧倒されて聞いていた胡桃であったが、最終的に「ひとこと余計では」という感想を持つに至る。
「そこまで、おどおどしていましたか?」
へえ、と星周が薄く笑った。細められた瞳に、剣呑な光が宿っていた。闇よりは幾分マシだが、凄みが増しており、胡桃はわずかに怯んだ。
近接戦向け「異能」持ちという星周は、まるで妖魔を睨みつけるかのような眼光のまま、胡桃の問いに答える。
「卑屈なことを言いました。店員さんたちは真面目にあなたに着付けたことと思いますし、俺だってあなたに似合うドレスを探して普段行き慣れない場まで行ったんです。恩を着せたいわけではありませんが、あなたのひとことでがっかりするひともいるのだということを、もっとわかった方が良いです」
反論しようとしたが、何も思い浮かばずに胡桃は口をつぐんだ。
(店員さんが真剣だったのも……星周さんが私のことを考えてお店を選んでくれたのも、わかっているつもりで……。「ドレスを用意して頂くのは、夜会に付き合うのだから当然」とも考えていません。ですが、ここで大きな顔をしては、謙虚さが足りないと言いますか……!)
卑屈? と星周の言葉を頭の中で繰り返し、彼から見たらそうなるのかと唇を噛み締めた。
歩き出しても、どうするのが正解だったのかわからず、頭の中でぐるぐると考え続けてしまう。
やがて、不意に閃くものがあり、胡桃は星周の上着の袖をがしっと掴んだ。驚いたように見下ろしてきた星周に向かって、精一杯の笑顔で告げる。
「ありがとうございます!」
「うん……うん?」
瞳に、大いなる戸惑いが浮かんでいた。どう対応すべきか、皆目わからないといった様子に見えたが、胡桃は構わずに押し切る。
「変に意地を張るとこじれそうなので、率直に申し上げまして、大変感謝しています! その『ありがとうございます』です!」
「感謝……」
「はい! 店員さんへのありがとうございますと、星周さまへのありがとうございますです。得難い体験だと思いましたし、お気遣い頂いたのもわかっていたのに、私が気にしていたのは自分の体面ばかりでした。似合うとか似合わないとか。ひとからどう見えるかとか。感謝の言葉もなく、そんなことばかり言っていたら、いけません。私のおごりに気づかせて頂いて、ありがとうございます!」
星周は、妙に困った様子でひとりごとのように呟く。
「俺はべつに大上段から、胡桃さんの間違いを指摘しようだなんて、思ってはいなかった。感謝されようとも思っていなくて……」
そこでふつっと言葉を途切れさせてから、顔を逸らして明後日のほうを向き、ごく小さな声で言った。
「君が素直になると言うから、俺もつられて素直になってしまう。感謝されると、嬉しい。俺の方こそありがとう。……たぶん、感謝されたかったんだ。というか、きっと俺は君の笑顔が見たかったんだ。だけど、ドレス着た君をどれだけ褒めても居心地悪そうにされるだけで、自分は間違えたことをしたのかと」
「そんなに褒めてくれましたか? ドレスをお見せしたときは、口数が少なかったように思いましたけど」
何か噛み合ってないような? その思いで胡桃が首を傾げると、星周はすぐさま居住まいを正して、やわらかな微笑みをその秀麗な美貌に浮かべる。
「とてもお可愛らしく、似合っていました。あなたと一緒に舞踏会へ行く日が楽しみです」
間近で見た破壊力のある笑顔に、息を止められそうになりながら、胡桃はなんとか答えた。
「遊びに行くわけではないのですから……。そろそろ真面目に打ち合わせましょう」
それを聞いた星周は、もっともだとばかりに頷いて「それでは、作戦を立てましょう」と仰々しく言うのだった。




