第18話 四角?五角?
(償い……償いの好機!?)
いまにも「兄たちが大変失礼しました」と、あたかも一同の代表のような顔で謝りそうになっていた胡桃であったが、菜津からの提案に目を見開いた。
菜津は「いずれ婚約すると周囲に言い聞かせられている柿原の若様」と親交を持とうと、わざわざ自分から近づいてきてくれたのだろう。その菜津に対して、敦と星周の言動は、作戦のためとはいえ後ろ足で砂をかけるがごとく無礼千万であったように思う。
胡桃としては、謝って挽回できるのであればぜひともそうしたいところであったが、菜津から償い方法が提示されたとあらば、渡りに船というものではないだろうか。
自己満足に終わるかもしれない謝罪を押し付けるよりも、要求通りダンスに応じるのが一番場を丸く収める解決方法なのかもしれないと、得心する。
胡桃は、発声を気にしながら言葉少なく応じた。
「ぜひ」
声を出せない分、せめて表情では友好的な態度を示したいと思い、にこりと菜津に微笑みかける。
ざわっと空気が揺れた。「高槻さんのお兄様って」「きょうの敦はまた、格別」と、いくつかの囁きを耳が拾った。
視線が自分に集中するのを感じて、胡桃は表情に出さぬまでも焦っていた。
(なに……!? 何か変だった……!?)
さりげなく辺りを窺うと、なぜか「あ~あ」という苦笑を浮かべている絹がいて、「ああ……」と、いかにも物言いたげな敦、そして難しい顔をして眉間を指でつまんでいる星周と三者三様の反応が目に入った。
甚だ不安になる。
さらに、ひとの気配を感じて目を向ければ、満面の笑みを浮かべた菜津が迫ってきていた。
「さすが名門高槻家の若様。お近づきになれて嬉しいですわ。とっても……上品でお優しい表情をなさるんですね。菜津は、高槻さまのような方が大好きですわ!」
うふふふふふ、と目の前で笑いながら腕を伸ばしてくる。
(え、捕まる!?)
ダンスをするとなれば、手を触れたりすることはあるものと心得てはいたが、まさか菜津からその場で率先して取り押さえられるとは思っていなかった胡桃である。しかも「大好き」とは? 動揺した胡桃は硬直してしまい、逃げるのが一拍遅れた。
いまにも菜津に捕まるかと思われたとき、ぐいっと肩を抱き寄せられて、思いもしなかった人物の胸元に背を預ける形になる。
「いけないな。敦は俺の親友だ。色目を使うのはやめてほしい」
耳元で響くのは、凛々しくよく透る声。
遠慮なく胡桃を腕で囲い込んでいるのは、誰あろう星周である。逃げようとしたら、腰に手をまわされて完璧に捕まってしまった。
(星周さま。助けてくれたつもりかもしれませんが、やりすぎでは!?)
腕の力強さや、背に触れる胸板の硬さに男を意識してしまい、胡桃としては落ち着かない。
一方、目の前で胡桃を奪い取られた菜津は、顔を歪めて星周を睨みつけていた。
「親友だからなんですの? 将来を誓いあった仲ならいざ知らず、ただの親友! 柿原様こそ、その手を離すべきではなくて?」
正しい。
百歩譲って、星周が菜津の婚約者であれば「色目を使うのはやめてほしい」には正当性はあるものの、まさしく袖にした直後である。しかも胡桃(に扮した敦)と、恋仲である匂わせまでした後だ。
それで敦(に扮した胡桃)まで掌中に収めようとは、周りから何事かと思われることだろう。
胡桃のその思いをすかさず言葉にしたのは、誰あろう、絹(に変化している玲)であった。
「柿原さま。いけませんよ、いくら顔が好みだからと言って、両手に高槻兄妹とは。さすがに、節操というものがなさすぎるのでありませんか」
その通りです、と我が意を得た胡桃は深く頷く。それは単なる賛意であり、それ以上でも以下でもなかったのだが、まるで「承認を得た」とばかりに近づいてきた絹が、胡桃の手を取った。
「!!」
胡桃が驚き、星周も息を呑む。
周囲には緊迫した空気が漂う中、絹はにこにこと笑いながらも、胡桃の手首をがっちりと掴んで強引に引きずって自分の元へと手繰り寄せた。
「高槻兄妹のひとり、絹にもくださいな」
「犬の仔のように言う」
「何を言います。元はと言えば、柿原さまが胡桃さんが欲しいと露骨に態度で示しているではありませんか。であるならば、胡桃さんのお兄様は私が頂いても構いませんでしょう?」
自分を通り越してやりあう二人の、謎の理屈を耳にして、胡桃は首を傾げていた。
(楠木さんが星周さまに近づいて袖にされ、星周さまは高槻妹の手を取った。めげない楠木さんが高槻兄に愛想を振りまいたら、星周さまがなぜか異を唱え、最終的に絹さんが回収しにきた……で、合ってます?)
……ド修羅場では? と思い至ったときには、嫌な汗が額に浮かんでいた。
ここで見た目上、柿原星周と高槻胡桃、高槻敦と葉室絹という二組の恋人関係が成立していることになる。
実際のところ、兄妹の中身は入れ替わっているし、絹の中身は玲であってどこにも恋仲たる要素はないのだが、この状況ではもうひとつ、忘れてはならないことがあるのだ。
積極的に振る舞った楠木菜津が、結果的に全員に袖にされて良い面の皮となっている。虚仮にするにもほどがある、というもの。
さすがにこれは意地悪が過ぎると思った胡桃は、さっと絹の腕から飛び出して菜津の手を取った。
「踊りましょう。そのために、今日ここに来ました」
目を見て真剣に言った。
女性の中では上背があり、菜津よりもわずかに視線が上になる胡桃は、そのまま優しく手を取ってホールの中程まで進み出る。
踊るために女学校へ来たというのは、その通りである。嘘はない。
さらに言えば、女学校におけるダンスの授業で男性側を踊ることも多い胡桃は、その立ち位置に慣れている。
自分に合わせて、とばかりに菜津を導いて踊りだした胡桃を見て、女学生たちが「お兄様素敵……」「楠木さんがうらやましい」とため息をつき、男子学生たちが「今日の敦は妙に色気がある」「高飛車な天女の妹御も良いが、やはり我らが敦は至高」という妙な波紋を呼んでいた。
踊ることに集中している胡桃は、周囲の雑音に気づかず、ステップを踏む。
その胡桃を、菜津がうっとりとした顔で見ていた。
外野に取り残された敦は「こんなにダンスがうまかったのか」と胡桃の立ち居振る舞いに感心しきりであり、星周は片時も目を離さず見ていた。
玲のような表情を浮かべた絹は、星周の腕を軽くつついて、笑いながら囁いた。
「おかしなことになってるみたいだけど、大丈夫? 私は楽しいから良いけど!」




