第17話 作戦決行。打ち合わせなし
菜津の目が、値踏みするかのように、敦に扮した胡桃を見つめる。
その視線の鋭さに、胡桃は射抜かれたように動きを止めてしまった。
大学で実の妹を「天女」などと言う敦とは違い、胡桃は女学校で兄自慢などしていない。
胡桃と菜津のように、お互い見かけたことはあれど、会話をする間柄になかった場合、胡桃に双子の兄がいることなど知らないほうが自然だ。
(男性の着物を身に着けた胡桃らしき人物が目の前に現れても、兄弟と考えるよりは「男性の姿をしている高槻胡桃」と考えるのが自然では……)
これはもしかして、状況的にとてもまずいのでは? 胡桃がそう考えたのと、敦がそこに思い至ったのは、おそらくほぼ同時だったに違いない。
「楠木さんッ!!」
器用に声を裏返した敦が、ばたばたと走り込んできた。
菜津と星周の間に入り込んで、二人の顔を交互に見てから、何を思ったか突然星周の右腕を掴んで肩を寄せ、しなだれかかる。
「!!」
胡桃と菜津はもちろんのこと、他にも複数名分、声にならない悲鳴が上がった。普段そのようなふしだらな光景を目にすることのない女学校の生徒、並びに「噂の天女」にひそかに思いを寄せていた男子学生たちが、こぞって息を呑んだ気配である。
(兄様……! この場では、ご自分に視線を集中させる必要があると判断したのでしょうけれど、さすがに私の姿でそれをされてしまうとですね……!)
胡桃と敦が同じ場所に揃ってしまった場合、交互に見比べられるといろいろと不都合がある。そこで敦は、まずは自分に注目を集めよう、と考えたのだろう。
その際、直立ではなくしなだれかかる体勢で長身の星周と並ぶと、身長差を男女に錯覚させやすい効果がある。袴の中でさりげなくかがんで、身長調節もしているかもしれない。
意図はわかる。効果も抜群。
騒ぎ立てるわけにはいかない胡桃は、言葉を呑み込み、唇を噛みしめる。
敦は、堂々とした裏声で菜津に向かって言った。
「柿原さまが、踊らないと言っているのです。断られているのに、無理にお誘いするものではありませんわ」
菜津のこめかみに、ぴしりと青筋が立つ。
「あなた、高槻胡桃さんでしたかしら。離れなさい、いやらしいったらないわ」
これにはまことに遺憾ながら、胡桃も同意見である。
衆人環視の場で、堂々と星周にまとわりついている「胡桃」が視覚的にも辛すぎるのだ。
一方、敦は菜津の嫌味を「ほほほほほほ」と高笑いでいなして言い放った。
「婚約者でもないのに、婚約者気取りで殿方にダンスを迫る楠木さんこそ、はしたなくもいやらしいのではなくて? しかも断られた。断られたのになおも迫る。助平親父も真っ青の下心丸出しですわ!」
「なんですって。あ、あなたこそ、そんな遊女のような」
「あらあ? 遊女ってなんのことです? 楠木さんは女学生が普通に生活する上ではなかなか耳にすることのない言葉もよく知ってらっしゃるんですわね! お勉強家ですこと!」
に・い・さ・ま。
口をぱくぱくとして、声に出さずにそれだけを言ってから、見ていられずに胡桃は横を向いた。
笑顔の絹が視界に入ってきて「あなたもですか」と追い詰められた気持ちになり、痛む胸を片手で押さえる。
(絹さん、ではなく玲さん! その笑顔は共犯ですよ……!)
胡桃とて、女学校に友達はいる。
中でも一番親しくしているのは、絹だ。その絹が、胡桃に扮した敦の言動を、びっくりするどころかにこにこと見守っているので、他の女学生の間に「え? 高槻さんって、普段からそういう……?」という誤解がみるみる間に広がっているのを感じる。
何から何まで訂正したいのだが、敦のように裏声を駆使する器用さのない胡桃としては、文字通り静観するしかない。
せめて、玲がだめでも星周はどうにか場の空気を変えるくらいのことはしてくれないものだろうか。
ちらっと見ると、星周は何やらとても嬉しそうな顔を胡桃の姿の敦に向けて、優しく諌めているところだった。
「胡桃さん、あまり人前でこういったことは……だめですよ?」
「はーい!」
敦は可愛らしく返事をして、さっと星周から離れる。日頃から友人として親しくしている二人だけに、まことに息の合った動きであった。まさに阿吽の呼吸。
二人揃って、胡桃を振り返り、ばちっと片目を瞑ってくれるのも忘れない。
(これはこれで大変良い仕事をしてくれているのは、頭ではわかるのです。私の固い頭でも……)
常日頃の胡桃とは似ても似つかぬ言動なのだが、普段の胡桃を知らない菜津と男子学生たちにはまさしくこれが高槻胡桃と強く印象付けられただろう。敦の人柄ともあまり関連性がないはずなので、入れ替わりに関して、目眩ましの効果が期待できる。
さらには、晩餐会の場で「想い人がいる」と打ち明ける星周の作戦に、実に利用しやすい状況でもあるはずだ。敦はその件そのものは知らないはずだが、星周があえて止めなかったのは、おそらく後々の利用を考えてのことと胡桃にもわかるので、とやかく文句を言うところでもない。
胡桃は自分自身にそう言い聞かせ、なんとか納得しようとしていた。
そのとき、菜津の目が自分へ向いていることに気づいた。
「そこのあなたは……高槻胡桃さんの、ご兄弟かしら?」
顔が似ているだけに、その推察は可能だろう。
胡桃は、「自分、硬派なので女学生と話すのは苦手です」という男子学生を想定しながら、声を出して返事をすることなく、ただ黙って頷くにとどめた。
菜津の目が、細められる。
(なに? 今度はなに?)
いまにも「兄たちが大変失礼しました」と謝りそうな胡桃に対して、菜津は突然ぱっと花が咲くような笑顔を向けて言った。
「ご覧の通り、私は胡桃さんの言葉と、婚約者候補であった柿原の若様に袖にされてしまったことに、大変傷ついておりますの」
謝ろう。
これは完全に敦兄様が悪い、と胡桃は腹を括った。
菜津は、胡桃が口を開くより一呼吸早く言い放った。
「あなたが私と踊ってくださらない? 断らせませんわ、もちろん踊ってくれますわよね。妹さんから私が受けた傷の分、しっかり償ってくださいね?」




