5-13 瑠璃と春空(2)
次の朝に登校すると、私の下駄箱にはそこら中からかき集めたような生ごみや紙屑が、これでもかと詰め込まれていた。
「―――うわ。何ソレ、嘘でしょう?」
たまたま一緒に歩いてきた同級生が、驚愕した顔でその下駄箱の中身を凝視する。
溢れ出たごみは、いくらかが足元に転げ落ちて、軽い音を立てる。
対して私は、何故だかそれほど驚くこともなくて、それどころか、『そこまで大袈裟に反応しなくても』とさえ思っていた。
「…退屈な人もいるみたいだね」
床に転がったごみを見ながら淡白にそう告げると、友人は「いやいや」と手を左右に振る。
「駄目だよ、絶対駄目だよ璃空。こういうのは、冗談でも許しちゃ駄目。今すぐ職員室行こう。証拠隠滅される前に、早く」
その友人は、同級生の中でも優しくて、しっかりしている、と評判の良い子だった。
今回の件などは彼女には当然見過ごせない問題だったようで、一大事だと言わんばかりに真剣な眼差しで私を説得してくる。
強気に言い張る友人に強引に手を引かれて、仕方ないな、と思いながら私は廊下を歩いた。
―――どうせただの悪ふざけだよ。私に対して、そこまで興味のある人なんかいないよ。
そう言っても、友人は怖い顔をしたままで私の手を引っ張って歩いた。
友達想いだな、と私はぼんやりと思いながら後ろを着いて歩く。
途中、誰かに見られている気がして、階段の踊り場を見た。
そこには、少し背の低い女子生徒の姿。
なんだか、見覚えがあった。
私の目が正しければ―――
あれは、この間私に告白をしてきた女の子だったような、そんな気がした。
「この間、璃空にひどい嫌がらせをする奴がいたんだって」
「下駄箱の中がゴミだらけにされてたって」
「一昨日も、移動教室で見ていない間に荷物を盗まれたらしいよ。その荷物、探したら体育倉庫の裏に捨てられてたって聞いた」
そんな噂話が、私の耳にも聞こえるような場所で囁かれている。
部活に行っても、どこにいっても。
大変だったね、大丈夫、としきりに声を掛けられて、どうにも肩身が狭くなった私は、ただ何も言えずに笑い返すことを続けていた。
―――思いやられていることの嬉しさよりも、噂されることへの窮屈な感覚のほうが強くて、苦しく感じてしまったことを覚えている。
ただ、噂になっていることは、全て事実だった。
加えて言えば、噂になっていない部分でも、色々と不可解な事件は起きている。
自宅の郵便受けに気味の悪い手紙が届いていたりとか、鞄の中にカッターの刃が入っていたりとか―――
そんな出来事もあったが、そういうのは全部、私が気付いた瞬間に、すぐさま無かったことにして、周りに気取られないようにしていた。
それ以上気を遣われたくない、というのもあったし。
なにより、その犯人が誰なのか、というのに半ば心当たりがあるから、というのが大きな理由だった。
ある日、同じ料理部に属する何人かの友人が、何か小さな手紙のようなものを複数人で回しているのが目に入った。
どうにも、私の目に入らないように意識しながらやりとりをしているらしいが、数名がうっかり、私が居る時にその受け渡しをしている所が見えた。
ちょっと、と小声で文句を言いながら、ちらちらとこちらを見ているような仕草を、私は気付かない振りをして見過ごす。
「―――璃空、相変わらず包丁さばきうまいよねぇ」
「手先、凄い器用だし。やっぱり、家でも普段から料理してるの?」
横から急にそう聞かれて、私は慌てながら「まあ、それなりに」と答えた。
彼女達は、すごいね、ともてはやすように声を上げる。
実際の所、春瑠はほとんど家に居ないし、父親も帰って来ず、母はほとんど何もしなくなってしまっているので、家事の殆どは私が担当している。
ただ、そんな家庭の事情を話しても仕方がないので、「作るの好きだから」とだけ答えて、質問されるたびにはぐらかした。
それからも、入れ代わり立ち代わり、他の同級生がしきりに私に話しかけに来る。
特に、いつもと大きく違うような事もない。
ただ、今まで殆ど疑問にも思わず、口下手な私に気さくに声を掛けてくれるいい人たちなのだ、と認識していた彼女達だったが。
どうにもその態度が、他の女子同士のそれとは異なっている、というのを、以前『あの子』に告白されてから、少しずつ感じ始めるようになっていた。
ある日の放課後。
料理部の部室、家庭科室のある校舎は殆ど人気も無く、廊下の電気も消灯されて、一帯は薄暗くなっている。
「―――あのさ。なんで、バレないと思ったの?こういうことやって」
たまたま通りかかった女子トイレのほうから聞き覚えのある声がして、私はその手前で立ち止まった。
見えないような位置で聞き耳を立てると、どうやらその声の主は、同じ料理部でいつも私によく接してくれている友人のように聞こえる。
先日の朝にも、下駄箱に詰められたごみを見て、真剣な面持ちで私を守ろうとしてくれた、その人の声。
「黙ってないでさ、答えようよ。言ってることわかんないの?」
問い詰められている誰かは、とにかく黙秘を貫いているようで、何の声も発さない。
「わかった。あんた、ただ単に目立ちたいんでしょ。自分が個性のない陰キャだから、いつも目立ってる璃空に嫌がらせして皆に噂されたいんだ」
急に自分の名前が聞こえてきて―――それも、やけに自分を持ち上げるような言い方をしているのがかえって怖くなって、私は肩を揺らした。
どうやらその誰かを問い詰めているのは一人ではないようで、代わる代わるにそう責め立てる声が聞こえる。
どの声も、いつも私に優しく接してくれている料理部の部員の声に聞こえた。
「でなきゃ、あんた、なんで部活来なくなったの?バレたくない陰湿なことやってたから、顔見せできなかったんでしょう」
少しの沈黙の後に、また立て続けに問い詰める声が聞こえる。
「違う訳、ないよね。そんなもの持って璃空の下駄箱の前に居たもんね」
「答えないって、卑怯だと思わない?言っておくけど、沈黙は肯定だよ」
尚も返事をしないのか、返答を待っているらしき沈黙が何度も繰り返される。
いくら待てども返答が無いやり取りに苛立ちが増したのか、一人が声を荒げて何かを投げつける音が鳴り響いた。
「なんか答えなさいよ、早く!」
空き缶が地面に打ち付けられるような、硬く軽い音がする。
その音に、私は驚いて。
無意識に、身体はその現場へと動いてしまっていた。
「…璃空」
いつもは穏やかな目をしている友人が、驚きと焦りに満ちた表情で私の顔を見る。
相変わらず私が人を疑えない性格だから、かもしれないが―――
友人のその目からは、どうしても悪意と言うものは感じられなくて。
そこには、純粋な怒りや焦燥、あるいは正義感と表現するほうが正しいと思えるような、友人想いな彼女故に行き過ぎてしまった結果としての、一種の熱が籠っているように見えた。
彼女の両隣には、やはり同じ部活、同じ学年の女子生徒の姿もある。
そしてその奥では、想像通りというべきか、先日私に意を決して告白を行った女の子が、尻餅をついて倒れ込んでいた。
友人は、咄嗟にその女の子を指差す。
「―――この子。この子が、璃空にずっと嫌がらせしてた!」
半ば涙目になりながら、彼女は訴えかける。
尻餅をついたままの女の子は、確かにその証拠と思わしきビニール袋を手に持っていた。
その中身は、恐らくはゴミ捨て場か何処かから集めてきたもの。
私と目を合わせても尚、何も言わず、否定も肯定もしないままに、ただ恨めしそうな顔をしてこちらを睨み続けていた。
「…あの」
私が声を掛けようとすると、彼女は突然立ち上がってビニール袋を握り締める。
こちらが何の対応も取れないうちに、私に向けてその袋を思いきり投げつけると、彼女は全力疾走で、今居る女子トイレから駆け出して逃げ去っていった。
床には、袋から飛び出したごみが散乱する。
「ちょっと、待て、待てって!!」
友人は聞いた事もないような大声を上げながら、それを追いかけようと踏み出す。
このままではマズいと思った私は、咄嗟に彼女の行く手を阻んでいた。
あれだけ優しかった彼女が怒りに満ちた表情と声で走り出そうとするのが、怖くて仕方なくて私は頭が真っ白になる。
予想外に進路を阻まれたことに驚いて、彼女は目を見開いて私の顔を覗き込んでいた。
「―――なん、で?」
自分でも、何故彼女を引き留めたのかがよくわからかった。
ただ、そのまま息を切らして、こちらを見上げてくる友人と視線を合わせる。
訳がわからなくなって、心臓が痛くて、涙が出そうになる。
「…今、なんで、私のこと止めたの?」
「や、やめようよ。よくないよ、これ以上は」
「それ、言う相手、違うじゃん」
「えっと、その」
心外極まりないという面持ちで、彼女はぼろぼろと涙を流し始める。
どうしよう、といくら私の足りない頭を回しても、全てが上手くいくような選択が思い浮かばなくて。
そうしてただこの場に立ち尽くして彼女の行く手を阻めば阻むほど、今まで積み上げた信頼のような何かは、大きな音を立てて崩れ落ちていった。
「守る相手違うじゃん、あいつじゃないじゃん。私、璃空の為に怒ってたんじゃん」
「わかる、わかってるよ。でも、だから、その。これ以上、私の為に争って欲しくなくて」
「争いを起こしてるの、私じゃない!なんで、なんで私がそんな目で見られなきゃいけないの、意味わかんない!!」
その大声は、廊下全体にまで響き渡って、誰も居ない空間をただ寂しく揺らした。
友人は、力任せに私の身体を押しのけて。
もう先程の女の子を追う気にもならないのか、どこか違う場所へと早足で歩き去っていくのを、私はただただ見送った。
取り巻きのように並んでいた他の二人も、気まずそうな顔をしながらその後を着いて行く。
結局、私は最後までどうしたらいいか分からなくて。
ただ諦めるように、やっぱり私は人から愛されるような正しい行いは出来ない人間なのだと、そう思いながら、友人の後ろ姿を眺め続けていた。




