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私達にも安寧な生活を!  作者: 枯木えい
五章:瑠璃と春空
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5-12 瑠璃と春空(1)




 例年より少し遅咲きの桜が咲き始めた季節。

 私は、高校生になった。



 中学生の頃までは同じ公立学校に通っていた春瑠はるは、私よりもずっと偏差値の高い市立高校に入学して、文化や歴史に関わる研究を行うような研究室に所属。


 姉と私とで、明確に『住む世界が違うんだ』と感じるようになったのは、その頃だった。




「―――好きです」


 入学して、丸一年。

 高校生活で二回目の春が来た頃、私は、同じクラスの生徒に告白された。


「…私、女子だよ」

「知ってます」


 相手も、自分と同じ性別を持つ人。

 ただ、それはどうにもからかいで言っている訳ではないようで、私はどんな反応をしたらいいのか分からないまま、校舎裏でやり場のない視線を左右に泳がせていた。



 告白してきたのは、過去、付き合っていた男性に何やらひどい裏切りをされたことがある、と噂の立っている女の子だった。

 その子は周囲の視線を強く気にする様子もよく見られていて、日頃の挙動の不審さゆえに、クラスでは徐々に浮き始めていたのを憶えている。


 ある頃を境に、周囲からの視線は、彼女と関わる人物に対しても厳しくなっていた。

 ただ、私はそういう噂とか、周囲の目を気にするのがどうにも馬鹿らしく感じてしまって。

 その女の子を無碍にするような態度は取れないまま、今日に至るまでの日々を緩慢に過ごしていた。


 その結果が、今の状況で。


 好意を寄せられるのは構わなかったが、恋愛対象として認識されるとは夢にも思っていなかった私は、意表を突かれて何も言えなくなってしまっていた。


「…えっと。その、気持ちはさ。本当に、私に向けてで、いいの?」


 分かっている。

 彼女が持っている手紙は明らかにその恋心を綴ったもので、その言葉が意を決して発したものであること。


 顔を真っ赤にして、拒絶される恐怖すらも押しのけて、どうしても言いたくて仕方なかった思いを、勢いに任せて伝えてきていること。


 ただ、今の私は。

 同性か、異性か、とか、そういう問題ではなく。

 人からの好意を受け入れて、それに答えられるほどの自信や、心の余裕みたいなものを、まるで持ち合わせていなかった。


「だめ、ですか」

「…ごめん」


 目の前の同級生は、もう既に溢れ出していた涙を袖で何度も擦るように拭いて、嗚咽しそうになるのも抑えて鼻を啜る。


 ごめんね、という言葉も、私から伝えることはできないまま。


 その子は背中を向けて歩き出して、校舎裏に私を残して、ゆっくりと姿を消していった。




◇ ◆ ◇




 私達が中学を卒業するよりも、少し前の話。


 事情は深く教えてもらえなかったが、父親が、唐突に家に帰って来なくなった。



 多分、他に女が出来たんだと思う。

 母との関係はもうずっと良くない状況で、彼はとっくに母に対しても、私達に対しても、愛想が尽きてしまったような態度を続けていたのを理解していた。


 もう彼の心が戻って来ることがない事は、子供ながらにわかりきっていて、彼を止めることを誰もしなかったのだから、当然の結果だとも思う。


 ただ、いざ彼が姿を消せば、母は途端に情緒が狂ったようにおかしくなってしまって。

 私達が幼いころに向けてくれた笑顔は何処かに行ってしまって、今まで触れもしなかった酒や煙草に思いついたように手を付けては、疲れ切ったように私や春瑠に「ごめんね」と繰り返すようになっていた。


 誰かに対する愛情というものに『怖い』という感情を覚えたのは、その頃が初めてだった。

 一度執着したものを失うというのは、人をここまで破壊してしまうものなのか、と。



 一度、母を精神科に連れて行った方がいいのではないか、と姉に相談したことがあった。

 ただ、そう私が提案した頃には、姉は「それはもう試した」と話し、もう無駄だと言うようにその考えを棄却して取り合ってくれなかった。


 昔から感情の読めない姉だったが、その時は本当に母に対する愛情も無いように思えてしまって、春瑠という人物に対して感じていた人ならざる雰囲気にさえ、私は怯え始めていた。



 ただ、母はそんな姉のことを何故だか強く愛していて、何か不安になるような出来事があれば、春瑠、春瑠と名前を呼んでは助けを求めていた。


 そういう時に、私の名前を呼んだことは一度も無かった。

 私よりも春瑠のほうが賢くて頼りになるから―――だったのか、どうかはわからない。


 とにかく私は求められていないのだ、というのは常々感じていながらも、私は、酒に入り浸り、日に日におかしくなっていくその人をどうにか昔の姿に戻そうと躍起になって、自身も心を摺り減らしたのを覚えている。


 ある日に学校から帰って来た私が、台所に置かれていた注射器を見ない振りをしたことも、記憶に強く残っている。




 そんな日々を繰り返しているうちに、私は『誤魔化す』というのが上手くなっていたようで、高校生活においてはそんな内心を誰かに悟られる事もなく、何事も無い平穏な日々を過ごすことが出来ていた。


 流されるように入った料理部で友人と実習を楽しみながら、淡々と。


 私に告白してきた女の子は、次の日から部活に来なくなっていた。

 それも、私は知らない振りをして。


 日々、自分の中の何かが削れていくのを感じながら、私は顔の表面に笑顔を張り付けたままで、味のしない日々を過ごし続けた。






「―――ねえ、璃空。璃空はさ、もし生まれ変わるなら、次はどんな人生が送りたい?」

 珍しく休日に家に帰ってきていた春瑠は、藪から棒に、私にそんな質問を投げかけた。


「…どうしたの、急に。そんな事聞かれても、よくわかんないよ。考えたことも無いし」

 ぶっきらぼうに、私はそう答える。


「いいから。別に、過去の世界に生まれ直して、歴史的な瞬間に立ち会いたいとか、そういうのでもいいんだよ。あるいは―――来世でも自分として生まれ直したいとか。そういう、願望があるかどうかを知りたいの」

「…」


 私は、ソファにもたれて雑誌を胸元に構えたままで、天井を仰いで少し考える。


「自分として生まれ直したい、って訳じゃないけど。かといって、来世で他の何かに成り代わってる、っていうのもなんか嫌だな、って思う。なんだか、今の私はもう要らない、って言ってるみたいで。せめて、今の私は、今の私を大事にしていたいって、そんな感じがする」


 春瑠は、それを聞いてなんだか面白そうな表情を浮かべる。

 彼女は子供の頃から、口角だけを上げて、目は驚いた時のように見開く、といったような少し気味の悪い笑い方をする癖があった。


 彼女が人間離れしているような印象を持たれる所以は、そういう節々の所作に起因するところもある。


「…何?私、なにか面白いことでも言った?」

「いや、違う。ただ、やっぱり璃空は璃空らしいなって思っただけ」

「なにそれ」

 どうにも春瑠の考えが読めなくて、私は不満全開の顔を彼女へ向ける。


「聞いて、どうすんのさ。占いでもするつもり?」

「いや、違う。今のうちに、聞いておきたかったの」

「なんで」

「今はまだ、秘密」

 サプライズを隠すように、春瑠はにこにこと笑っていた。



 ふと、あまり聞いたことの無かった質問を投げかけてみる。


「ねえ、春瑠姉ってさ。歴史とかだけじゃなくて、神学とか宗教についてとか、そういうのも研究対象にしてるんだよね」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、そういう儀式みたいなものとか、逆にやっちゃいけないまじないみたいなものもよく知ってるの?」

「うん」

 春瑠は、短く頷く。


「都市伝説とか、どこかの集落の祠がどうこうとか、そういうのも?」

「研究で、そこまで調べることは無いけど。単純に趣味でそう言う話を漁ることはよくある」

「…論文として出すわけでもないのに、自発的に調べてるの?」

「そう。もしかしたら、そこで思いがけない情報が手に入るかもしれないし」

「情報…って。そんな、人探しや事件の捜査みたいな」

 春瑠はくすくすと笑う。


 こういう話をする時の彼女は、妙に活き活きとしていることがある。


「いつも、随分熱心に調べたり、考えたりしてるけど。何か、やりたいことでもあるの?」

「…あるよ。でも、それが何なのかは、まだ璃空には言えない」

「なんでよ」

「まだ、その時が来てないから」


 彼女の性格柄、それ以上根掘り葉掘り聞こうとしても、納得のいくような説明をしてくれることは無いと私は知っていた。

 だから、ああそう、と私はいい加減に会話を投げ出して、もういい、というのを露骨に態度に出して見せる。


 春瑠は、それも見越していたように笑う。


「大丈夫だよ、いずれ分かるから。さっき、私が投げかけた質問の意味も、理解できる時が来ると思う」

「よくわかんないよ」


 思わせぶりな彼女の言い方に、私はげんなりとして、不貞腐れたように視線を逸らした。





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