5-10 因果応報 - 収束
バルベナ南西部。
冥界の魔女と厄災の魔女が暴れて、そこにいた住人達はすべからく避難した。
誰も居なくなった、静まり返った集落に、少しずつ機械音が聞こえてくる。
不安定に火を吹くジェットエンジンの音。
転がり込むように着陸したレヴァは、その拍子に負傷した左腕を押さえながら立ち上がった。
「…」
振り返って、街の中心部のほうを見る。
追手が居ないことを確かめると、彼は力が抜けたように肩を落とす。
彼の面持ちは、決して満足した顔でもなければ、安堵する顔でも、怒りや悔恨を含む顔でもなかった。
ただ、空しいだけの感覚を、どうしたらいいかわからずに座り込んでいる。
誰かが、歩いてくる音がする。
「…満足したか?積年の恨みを果たしたのだろう。我に受けた恩を、最大限の仇で返す形で」
ニヴァリスの問いに、彼は答えない。
ただやつれた顔で視線を返す彼に対して、ニヴァリスはそのまま歩み寄った。
敵意を感じたレヴァは、咄嗟に妨害装置で魔術を無効化する。
ニヴァリスは、魔術など使わずに。
そのまま、全力で腕を振りかぶって、レヴァの顔面を殴った。
倒れ込むレヴァに対して、立て続けに蹴りを入れる。
容赦なく、顔を狙って。
何度も、何度も蹴りを入れる。
「―――貴様は、一体、どれだけ、エフタの意志を蔑ろにすれば、気が済む!たかだか、人間如きが!貴重な魔女を出に使い!我が兄が用意した被検体を人質にし!」
レヴァは、余りに鬼気迫るニヴァリスの様相に躊躇し、そのまま成す術もなく蹴られ続ける。
「我が兄の意志に賛同したという話はどうした!?今までの魔女教への助力は何だ!?ただの私欲か!?貴様はこれまで何を考えて我に従っていた!」
怒りの余りに、ニヴァリスは息を切らす。
半ば失神しかけて、そのまま横たわるレヴァを、彼はもう一度踏みつけようと足を上げる。
「やめてあげてくれ、ニヴァリス。彼は、僕の言う通りに動いただけだ」
背後から聞こえた声に、ニヴァリスは動きを止めた。
「…?」
声の主に視線を向けるが、その正体を理解できずに、ただそれを睨みつける。
「よく頑張ったね、レヴァ。君はいい働きをした。君が市民に植え付けた恐怖は、今後彼らの行動を変えるだろう」
男の声に、レヴァは安心したように視線を上げる。
「…先生。僕は、意味のあることを、やったんだよな。母さんも、バベットも、これで報われたんだよな」
「勿論。そのために、ここまで準備してきたんじゃないか」
クリス・ラカミエの姿が、そこにある。
彼は、いつもと変わらない笑顔を見せている。
レヴァに笑いかける彼のことを、ニヴァリスは見据える。
「…貴様は。只の、一介の医者だろう。何故ここに居る。何故、我の名を知っている」
「悪かったね。実は、魔女教にも幾らか顔を出していたんだよ。訳あって君には気付かれないように振舞ってはいたが―――パリの街で、君が僕の姿に化けた時には驚いた」
ニヴァリスは眉を顰める。
「まだ、わからないか?賢い君だったら、今までの出来事を思い出せば分かる筈だ」
「…」
彼からの問いかけに。
ニヴァリスは、僅かな間、口を開けて、呆けたようにその男の顔を見て。
何かに気が付くと、打って変わって、額を押さえて笑い出した。
ひとしきり笑った後、彼は心底嬉しそうに、その男に数歩、歩み寄って。
「帰って来たのか。ガランサス」
「ああ。ただいま」
今まで、クリス・ラカミエを演じていた男。
ガランサスは、背の低い弟を見下ろしながら、かつての不気味な笑顔を浮かべた。
その会話の意味を理解できないレヴァは、横たわったままで口を開く。
「…何を言ってるんだ、先生。あんたは、クリス・ラカミエだろう。魔女教に入った後で、僕のことを見つけ出して、助けてくれた人だ。魔女教の一員として活動しながら、街で医者もやってる。そういう、表と裏の顔がある人間なんだって、あんたそう言ってたじゃないか」
ガランサスは振り向く。
「そうだよ。僕は、クリス・ラカミエだ。肉体は」
「は」
「魂は、そうじゃない。だって、彼は一度パリの街で死んでしまったから。数年前に、僕の失敗で死なせてしまったんだ。だから、悪いと思って、僕の依り代に使うことに決めた。そのほうが、お互いに都合がよかったから」
レヴァの息が荒くなる。
「じゃあ、マリーは」
「気が付いていないよ。兄が死んだなんて、知らせたら悲しむだろうし」
「俺は、今までずっとあんたに」
「復讐は果たせただろう?僕としても、君が今こうして騒ぎを起こしてくれると、丁度いい陽動になって都合がよかったし。双方、得じゃないか」
レヴァは、必死で立ち上がる。
「なあ、教えてくれよ。二年前のセブレムの事故の時、あんた一緒にいたよな。あの時、何をやってた?魔女の子供に、何か余計なことをしたか?」
「ちょっとした実験は、したよ。魔女の心臓の活性化に、放射線を使うというのはよかった。君達が居なければ気が付かなかったことだ」
「サラのことを魔女だと、噂を流したのは」
「レリアに市民のヘイトが向いたらいけないだろう。彼女は貴重なサンプルなんだから」
「ああ、そうか、お前、本当に」
頭を押さえて呻くレヴァのことを、ニヴァリスは一瞥する。
「哀れだな」
ガランサスは、立て続けに言う。
「君の役目は終わった。僕の目的は果たされた。後は、そこでゆっくり休んでいるといい」
二人は、レヴァに背を向けて立ち去ろうとする。
それを逃すまいと、レヴァは懐にしまっていた、拳銃の形をした機械武器を取り出した。
「お前らも、同類だ。己の都合で人の幸福を奪う。自分が報復を受けるだなんてまるで考えていない、浅薄な有象無象の一人だ。駆除の対象だ、人間の屑が」
彼は引き金を引こうとする。
ガランサスは、軽く振り返ると、表情を変えないままに言葉を返した。
「それは君も同じだろう」
―――突如とした振って来た巨大な岩石に、レヴァは虫のように押し潰された。
砕けながら転がっていく岩の下から、彼の遺体が現れる。
少し遅れて、そこには、見覚えのある純白のドレスを着た魔女が姿を現していた。
彼女は、興奮気味な笑顔で、目には憤怒の炎を浮かべながら、その亡骸を何度も踏みつける。
ガランサスは、無表情でそれを眺めた後、少し不愉快そうに目を細めた。
「…気持ちはわかるが、それくらいにしてくれ、シリル。その姿で残酷な仕打ちをされると、僕としては気分が悪い」
ニヴァリスは驚いたようにその姿を眺める。
「あれは、アゼリアの街に居た魔女だろう。神の肉体を継承した、重要な庇護対象だった筈だ」
「中身を入れ替えたんだ。用があるのは外側だけで、脆弱すぎる魂は必要なかったから」
「…ああ。確かに、やることが我が兄らしい」
ニヴァリスさえもが顔を引き攣らせるようなことを言い放った後、ガランサスはシリルの前まで近づくと、今までのクリスに近い笑顔で声を掛けた。
「折角元気になったんだ。最後のお祭りをする前に、少し街で遊んでおいで。君の欲しいものが、きっと山ほどあるだろうから。気が済んだら、君の力で冥界に行こう。そこで、影の魔女が守っている冥界の箱を貰って、僕達は世界を作り変えるんだ」
エリアの姿、アゼリアの姿を我が物にした厄災は、目を輝かせて頷く。
遊びへ出かける子供を見送るように、ガランサスは彼女の背を眺める。
その横を、見覚えのある赤髪の魔女が駆け抜けていった。
「―――シリル!」
名を呼ばれて立ち止まる厄災に、ダリアは嬉しそうに駆け寄る。
「シリル、シリルだよね!また会えた、また会えた!私のシリル!」
跳ねて喜ぶダリアのことを、シリルはぼんやりと眺める。
ダリアはその様子を気にせず、捲し立てるように話しかける。
「あなたも魔女になったんだね、私とおんなじだね!あの人に直してもらったの?身体ごと入れ替えちゃうような魔術があったのかな?」
シリルは、無言のまま、ガランサスのほうへと視線を送った。
ガランサスは、笑顔で口を開く。
「好きにしていいよ」
シリルは、華が開いたように笑って。
ダリアへ視線を合わせて、その胸元に手を添えて。
心底喜びに満ちた顔で、魔法を使って、彼女の肺を潰した。
ダリアの口から血液が噴き出す。
「…?」
声が出なくなって、激痛がして、ダリアは訳が分からないままにシリルに視線を返した。
彼女の身体は浮き上がって、ガランサスが居る方へと流されていく。
「ねえ、ねえ、この子の魔法、欲しい。どうしたらいい?」
シリルにそう問われて、ガランサスは助言する。
「力は心臓に宿っている。それを君のものにすればいいよ」
「食べるの?」
「それでもいい」
ニヴァリスは、苦い顔をしてそのやり取りを聞く。
シリルは、迷うことなく、渡されたナイフでダリアの胸元を突き刺した。
◇ ◆ ◇
騒ぎが収束したセブレム中心地では、アディが落ち着かない様子で辺りを歩き回っていた。
それから数分も待たずに、エドが空中から降りて来る。
その腕には、眠ったままのベルティーユの姿。
「姉ちゃん!」
駆け寄るアディの声にも応えず、ベルは眠っている。
「怪我は無いよ。ただ、何かの魔術で無理やり眠らされているらしい。どこか落ち着ける場所で解呪する」
エドの言葉に、アディは周囲を見回して、病院のほうを指差した。
「外は危ないからさ、どっか空いてる病室、探すよ。そこに寝かせてやって、早く」
アディに連れられて、エドとベルティーユは病院内へ入っていく。
レテも病院に入っていくので、そのまま着いて行くか迷っている様子のレリアだったが、結局彼女らの事は見送って、暗い面持ちをしているサラのほうへと視線を送った。
「…」
黙ったままのサラの裾を引いて、「大丈夫?」と声を掛ける。
サラは、何と答えようか、考えた後で。
しばらくレリアの瞳を見つめた後、膝を折って、彼女と視線を合わせた。
「急にいなくなっちゃってごめんね」
「…死んじゃったかと、思ってたの。また会えた時、嬉しかったのだけど、混乱してしまって」
「あの夜、ちゃんと見ててあげられなくてごめんね。私が起きてたら、怖い思いしなかったよね」
「勝手に部屋を出た私がいけなかったの。研究員さんは何にも悪くないわ」
「今まで、会いに来れなくてごめんね。ごめんね、ごめんね」
レリアのことを抱きしめて、ぼろぼろと涙を流し始める。
同じようにレリアからも抱き返されて、サラは声を出して泣き始めた。
既にアンリは姿を消していて、それに気付いて戸惑っているギャレットのもとには、また別の人物が駆け寄っていた。
「あっ!えっと…確か、ギャレットさん!?」
声の主は、息を切らして走って来たクロだった。
その背後には、フェリスと、どうやら救出されたらしいマリー、ユアンの姿。
「お、おお。無事でよかった、みんな」
驚いた表情のまま走って来るユアンと目が合って、何とも言えない様子でギャレットは目を泳がせる。
「兄貴。目、覚ましたのか」
「…ああ。その、なんだ。悪かった、急に所長の席を開けちまって」
それは構わねぇけどよ、とユアンは後ろ首を掻いた。
マリーは、そこにいる面々を見て、驚いたように足をばたばたさせている。
「あ、わ、おわぁ。レリちゃんもいる、サラちゃんもいる。ギャレット君も起きてる」
ユアンは、短く「レヴァは?」と聞く。
取り逃した、と聞くと、彼は困ったように溜息を吐いた。
「悪い。俺が、もっと正しく動けてたらここまで大事になってなかった。ましてや取っ捕まって何もできないなんて、情けない他ねぇな」
「何言ってんだ、お前が無事なんだからそれでいいんだよ」
そう励まされつつも、斬撃で滅茶苦茶にされた街を見て、ユアンは心苦しそうに肩を落とした。
横で、フェリスが訝しげな顔で呟く。
「あ、あの。あそこで蹲ってるカミヤさんは一体何があったんですか。とても話しかけられる雰囲気ではないんですけど」
カミヤは道の端で蹲って、「ウチはニコニコ本社じゃねぇんだよ…くそぉ…」と呟いている。
ギャレットが何とも言えない顔である方向を指差すので、フェリスはそれに従って視線を上げた。
「あんなになるまでカミヤさんがダメージを受ける事なんて、滅多になウワァァァァァ!!ウチの店がァァァァァ!!」
フェリスの絶叫が辺りに響く。
病院の中から戻って来たレテは、先程まで居なかった面々の姿に気が付くと、また小走りで走ってきて辺りに声を掛けた。
「マリー。ベルが病院の中にいる。大事は無いと思うが、診てやってくれ。一階の奥の部屋にいる」
マリーは、短く頷くと病院内へと走っていく。
それを見送った後、レテはクロに声を掛けた。
「その様子だと。リュックとエリアは、見つからなかったか」
口調からして、数時間前に読んだ手紙の差出人が彼女だと気が付くと、クロはばつが悪そうに視線を落とす。
「…すいません。二人共、街の外に行ってしまったって。魔獣もそこら中にいた、危険だからそれ以上は行くなと、エドさんに止められました」
ぬう、とレテは顔を顰めた。
「おかしい、おかしいぞ。何故、魔獣が余にとって都合の悪い行動を取る?冥界の魔女はそこまで力をつけたか」
その独り言の意味はよく分からず、クロは小さく首を傾げる。
「自ら帰って来るのを待つしかないか。あるいは、レリアをエドに任せて、余が探しに行くか」
「危ないですよ、もう少し落ち着いて考えないと」
「案ずるな、魔獣と余には明確な上下関係がある。逆らってくる獣など―――いるなぁ…ケルベロスとか…」
迷いの領域での出来事を思い出して、彼女は苦い顔で踏みとどまった。
額を押さえながら、フェリスが戻って来る。
「戦える人がいないと、街の外に出るのは危ないですよ。正直、エドさんの力を借りたいですけど…」
「おい、何の話をしてる。事態はまだ解決してないのか」
急に聞こえる、青年の声。
一同が視線を向けると、そこには衛兵団の制服を着た二人の青年の姿があった。
以前、リュック達と共にパリの街へ遠征した、ウィリアムとテオドール。
クロは、小さな声で「げ」と声を漏らした。
―――リュックとエリアの行方不明の話を聞いて。
ウィルがすぐさま彼女達を探しに行こうと動くが、同期のテオがそれをすぐに引き留めた。
「今、どこも手が足りてない。手掛かりのひとつも無い個人の捜索に、時間をかけてる余裕は無い」
テオがそう話すのを聞いて、クロは肩を落とす。
話を聞いていたフェリスが、口を挟む。
「…何人か、だけでいいの。護衛になってくれる人が居れば、捜索自体は私達がやるから」
「何人か、ね」
不服そうに、テオは鼻を鳴らした。
「お前ら、何も状況わかってないんだな」
他の面々の視線も集まる中、彼は続ける。
「レヴァが派遣した、偽物の騎士団から受けた被害がまだ尾を引いてる。その正体は武装した魔女教徒だったわけだが、気が付かずに接近した衛兵団が何人も負傷させられてる。街で暴れていた暴徒たちから危害を加えられた隊員もいるし、この騒ぎに乗じて盗みを企ててる犯罪者がそこかしこにいる」
「…」
「その状況で、数人貸せ、だと?騒ぎの原因になった人間の身内が、猶更俺達の戦力を削ぐつもりか?」
そこまで言わなくても、とフェリスがたじろぐ。
「リュックさんなら大丈夫だ。というか、はっきり言って。見習いでも衛兵団員なら、自分の面倒はある程度見てもらわないと困る。負傷した俺達の仲間だって、襲撃してきた魔女教徒は自分たちで取り押さえて何とかしてるんだ」
冷たくあしらうテオに、ウィルは「お前、ほんとに、言い方がさ」と言葉を漏らした。
考え込んだ様子のクロが、少し時間をおいて口を開く。
「わかった。悪かった、こっちが提案を変える」
不満そうに目を細めるテオの目を、彼は見据える。
「俺達が、衛兵団の支援をする。セブレムとしてどれだけ支援できるかはわからないが、俺単品なら、多少は自由に動ける筈だから」
そう言いきった後で、彼はユアンのほうを振り返る。
ユアンは視線を返すと、首を縦に振った。
「…そうしてくれると、俺も助かる。悪いが、俺と兄貴は、病院やら何やらのシステム修復でしばらく手が空かないだろうから。他の技術者の安否が分かれば、そいつらに任せられるんだが」
テオは、聞こえない程度の舌打ちをする。
「優先は、まだ発見出来てないセブレム職員の捜索か。リュックさんとエリアさんはその後だ。まだ敵が街に潜んでる可能性もある、警戒して動けよ」
小さく頷いたクロは、他の面々をその場に残して、衛兵団の二人と共に姿を消していった。
残されたフェリスは、頭を悩ませてその場に立ち尽くす。
同じく考え込んでいる様子のレテのほうへ視線を向けるが、彼女も行動を決めあぐねている。
ふと、レテの足元に、彼女を見上げるレリアの姿があることに気付く。
「…ねえ。エリアは、何処に行ったの。私、そんな話、聞いてないよ。エド、何も言ってなかったもん」
事件は解決したのだと思い込んでいたレリアの目に、不安の涙が浮かんでいるのが見える。
レテは咄嗟にしゃがみ込んで、彼女を抱きかかえて落ち着かせた。
「なに、大丈夫だ、心配するな。エリアの事だ、またいつもみたいに道に迷っているだけだろう。待っていれば、すぐに見つかる」
「…」
その様子を見ていたフェリスは、もう自分に出来る事は多くないと悟ると、カミヤに声を掛けて、そのまま安全な場所へ身を隠すことに決めた。




