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私達にも安寧な生活を!  作者: 枯木えい
五章:瑠璃と春空
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5-04 三千年前の雪落とし(4)




 それから、幾らかの時間が過ぎて。

 老いたガランサスは、いつの間にやら隠れ家に作り上げていた共用の寝床の上で、固くなった身体を動かしもせずに横たわっていた。

 その目は不健康に窪んで、もうその寿命は永くないことを悟った表情で天井を仰ぐ。


「そろそろか、ガランサス」

「ああ、その通りだが。人がその一生を終えようってのに、随分と簡単な物言いじゃないかい」


 傍らで机に向かっていたエフタは、何の気も無しに立ち上がってガランサスの顔を覗き込んだ。

「そりゃあ、永遠の別れという訳でもないからね。次に会うのは十年後か、百年後か、あるいは千年後か。それはわからないけど、僕達はまた必ず出会うことになる」

「そうは、言うけどさ。とても、そんな淡白な気持ちで、今世を手放そうという気分にはなれないよ。たった今、僕の脳は、僕に向けて、死が近いぞと警告を鳴らし続けているんだから」

「それは、仕方ないさ。僕達が人間であるうちは」

「…はは。そうだな、僕達は神様になる。いずれ、こんな悩みともおさらば出来るんだ、君が気に掛けるような事では無かった」

「さすが、長く僕と居るだけあるね。僕のことをそうやって理解してくれる人間は、きっと。後にも先にも、君だけだよ」

「光栄だ」



 実験器具の中で気泡が割れる音、瓶の中で今も動く心臓の音。

 それだけが、静かに聞こえる部屋。


 ガランサスは、腕を天井へ掲げて、何かを掴むようにその手のひらを閉じた。

「それじゃあ、また。次の輪廻で、また会おう」


 エフタは、静かに言葉を返す。

「ああ。また」


 彼に見送られ、神の子に魅入られた一人の少年は、その最初の一生を終えた。






◇ ◆ ◇






 ―――彼が前世の記憶を取り戻したのは、平穏な村に生まれ、その齢が十を迎えた頃だった。


 村の子供と遊んでいた最中に、特に何のきっかけも無しに。

 ガランサスは、エフタと過ごした、どれだけ前かもわからない記憶を突然に思い出した。


 あたりの大人に聞き回って、当時の暦から計算して。

 彼が次の人生を迎えるまでに、既に五百年近くが経過していることを知って、彼は大きく焦った様子でその養育施設を飛び出した。


 後で聞けば、その施設は村の中でもそれなりに裕福な家庭の子供が通うような修道院で、読み書きや算術も教え込まれる、教育水準の高い施設だったらしい。

 だから、突然彼が暦の表を読み始めたり、歴史の本を読みたがったりしても、周りの大人は不思議がりはすれど、それ以上の違和感を覚えることはなかった。




 その村は、当然ながら、エフタとガランサスがかつて過ごした集落がそのまま継続されたもの。

 気候は変わって雪は止み、街は以前よりもやや発展こそしていたが、地理的な情報は大きな変化がなく、彼は迷う事もなく『隠れ家』があった筈の場所へと走ることが出来た。


「…あった」

 その隠れ家は、今も変わらずに存在していた。


 ただ、少し違和感があった。

 五百年と言う長い時間が経っているにしては、その姿はあまりに当時と変わりない。

 安心感と僅かな警戒心を抱きながら、彼はその小屋の扉を開けた。


「エフタ?」

 小屋の中には、誰も居ない。

 今まで使っていた紙やペン、書籍の類はどれも残っていて、きっと今までもエフタの手で管理されていたのであろうことは伺えるような、そんな状態だった。


「…」

 無言のまま、彼は奥へと足を踏み入れる。

 机の上には、見覚えの無い文様やら呪文やらが書かれた古い紙が置いてある。



「―――それ、私と彼で作ったの。凄いでしょう?あの人は、本当に神様になろうとしているし、それができるだけの力があるみたいなの」



 突然耳元で聞こえた声に驚いて、ガランサスは部屋の端へと飛び退いて、声の主を探した。


「…誰だ?」

 そこに居たのは、見覚えの無い女性の姿。

 プラチナブロンドの、ウェーブのかかった長い髪。

 彼女は、にこにこと笑いながら手を後ろに組んで、尻餅をつくガランサスのことを見下ろしていた。




 彼女は、アゼリアと名乗った。

 よく見れば、彼女の身体は少し宙に浮いていて、重力など忘れてしまったかのように自由に揺れている。


「私、元々は神様だったからね」


 そんなことを話す彼女のことを、ガランサスは最初、信用しないで鼻で笑おうとした。


「何よ、あなたも簡単には信じてくれないのね。彼と一緒」

 彼女は、そう言って不満気に鼻を鳴らした。


「龍神様に会った時は、すぐ信じたんでしょう?」

 その言葉で、ようやく彼はまともにアゼリアの言い分に取り合い始めた。


「何故、それを?」

「龍神様からも、エフタからも聞いたわ。貴方達が随分と気に入られて、神様になろうとする意志も認めてもらえたんだ、って話も」

「…あんたも、龍神と話したことが?」

「だから、言ってるでしょ。私も、二百年前までは神様だったんだって。会うも何も、それまではずっと一緒にいたわ」


 ガランサスは、地についていない彼女の足を見ながら、少しずつその言葉を信じ始める。

「…悪かった。龍神とは、その。随分と違うなりだったから」

「それも、エフタから言われた。神と言うには随分と知性に欠ける、って」

「は。言いそうだ」

 彼がそう笑うと、アゼリアは猶更不満気な顔になって、思い浮かべたエフタの姿を睨んでいた。


「何故、そんな元神様がここに?どうして、エフタのことを知ってるんだ」

「なぜ、かぁ。改めて聞かれると、難しいけど。その、要は…人間に、なりたかったから」

「人間に?」

 驚いた顔で、彼はアゼリアの顔を見る。


「本当、彼と全部同じ反応。彼から、根掘り葉掘り聞かれたわ。何故、神の立場を捨てたんだ、勿体ないって。全てを知る力を持っていたのに、君はそれを自ら捨てたのかって、半ば怒られるくらいに問い詰められたわ」

「…そりゃあ、怒るだろうね。だって、彼の憧れを蔑ろにしたんだ。彼が最も求めるものを捨て去って、人という非力な存在に身を落とすなんて。エフタという男にとっては、無意味そのものだ」

「無意味なんかじゃ、ないのに」

 ゆっくりと机の上に腰を降ろしたアゼリアは、足をゆらゆらと遊ばせながら窓の外を見た。


「彼と出会ったのは、本当に只の偶然だよ。人になって、取り敢えず誰かに会おうってなった時に。最初に会ったのが、彼だったの」

「随分と運命的だ」

「そうでしょう。実際、運命だったと思うわ」

「あれだけ酷い物言いをされたのに?」

「あれは、その…まあ、彼の気持ちのあっただろうし。別に、目指すものの違いは気に掛ける事じゃないわ」

 彼女は自分の髪を指で巻きながら、言い訳のように話す。


「私はね。他の誰よりも、彼が人間らしいと思ったの」

「…他の、誰よりも?」


 一体何を言っているんだ、と、口に出すまでもなく。

 ガランサスが大きく口を開けて黙っている様子で、彼女はその意図を察したように笑った。


「思想も死生観も、彼は常軌を逸していた。だから、あなたたちから見れば、きっと彼は最も神様に近い存在だったのだろうと思うけど。そうやって、彼が神様に憧れて、一心に研究に向かう姿が。思い描く理想に思いを馳せる彼の姿が、私には誰よりも人間らしく見えたの。それって、一つの『恋』でしょう?」


 悪戯っぽく笑うアゼリアの表情に心なしか魅入られながら、ガランサスは口を開く。

「…神様の眼には、彼はそう映るのか」

「そう」


 そんなエフタの生み出した知識の山、棚に積まれた本を指でなぞるアゼリアへ向けて、ガランサスは問いかける。

「君は、なんの神様だったんだ」

「私?私はね」


 少し考えてから、口を開く。

「自分では、何者でもないと思っていたけど。お友達からは、『人の神』であり、『愛の神』だと言われたわ」

「人の、神」

「そう。人の心や感情を最も愛する神様」


 だから、人間に憧れたのか。

 それは、問うまでもなく明らかな話だった。


「…教えてくれ。この五百年、エフタと共に何をしていたのか」

「いいよ。あなたも、大切な彼の友人だものね」


 彼女は、相も変わらず、にこにこと微笑んだままで視線を返していた。




 ◇ ◆ ◇




 連れてこられた場所は、何の変哲もない、只の森林地帯―――の筈だった。


 突然開けた視界に現れたのは、天を突くような高木に包まれた神秘的な領域。

 遥か頭上に見えるのは、木々の間を渡す木製の足場、重力を忘れたように立ち並ぶ家屋や櫓。


 アゼリアは、その空間を『魔女の里』だと言った。


「ここには、女性の姿しか見当たらないが。男はどうしているんだ?里の外へ?」

「ここに、男の人はいないよ。貴方のほかにここに来られる男性は、エフタだけ」

 辺りに視線を映しながら、アゼリアは淡々とそう答えた。


「…それは、おかしい。生物学的に考えて、一方の性別だけで成り立つ集落なんて―――」

「細かい話はあと。それよりも、もっとこの場で知るべきことが沢山あるでしょう」

 納得のいかない顔を浮かべながら、ガランサスは彼女の後を追う。



 しばらく歩けば、彼の周囲では不思議な現象が次々と巻き起こった。

 一瞬にして成熟する農作物、動力も無しに動く昇降式の滑車、風が吹けど消えることのない蝋燭の灯り。

 そこに住まう彼女達は、何一つ驚く様子もなく、当然のものとしてそれらを使って生活を続けていた。

 アゼリアが地に足をつけず、宙に浮いて移動をする姿にも反応は無い。


「なあ。もしかして、ここって」

 ガランサスが何か言おうとすると、アゼリアは静かに振り向いて言葉を待つ。


「…」

 考え込んで言葉を飲み込む彼に、アゼリアはほんの少し笑顔を見せて振り返った。


「合ってると思うよ、あなたの考え。ここに居るみんなが、私とよく似ているって言いたいんでしょう」

「ああ」

 ガランサスは今も絶えず周囲を見渡している。

 新たなものが目に入る度に、考え込むように歩みを遅くする。


「何が、起きてる。僕は、神の世界に足を踏み込んだのか」

「神様の、世界…とは、ちょっと違うかな。言ったでしょう。ここは魔女の里だって」

「そうは、言っても。魔女なんて、伝承の生き物だ。その力も在り方も、僕の知るものとはまるで違う」

「名前を借りたんだって。神様と、それに近い人間を明確に区別するために」

「…エフタが?じゃあ、彼女らは、エフタによって作り出された存在だっていうのか?」

「私も、詳しくはわからないけど。大体、そんなものだって彼からは聞いた」

 アゼリアは、半ば他人事のように、辺りで和気藹々と過ごす魔女達の姿を眺めた。


「彼が私と出会うよりももっと前。彼は、協力者を見つけたの」

「協力者?」

「魔女の素体になってくれる、ごく普通の人間。彼は、自分の思想に賛同してくれる人を被検体にして、世代を跨いで、少しづつ『魔女の心臓』に耐える身体を持つ人々が生まれるように、実験を繰り返した」

 そう話すアゼリアの表情は、あまり快くない思い出を話すように濁る。


「後から知って、私、怒ったわ。なんてことをするんだ、って。結果的には不幸になる人はいなかったけれど。一つ間違えれば、彼女達は人間としての在り方を見失っていた」

「…」

「彼は失敗しない。今ではよくわかるけど、あの時の私はまだ彼を信頼していなかったから」


 アゼリアの表情を眺めながら、ガランサスは問いを続ける。

「魔女の心臓はきっと、魔獣の心臓をベースにして作られているんだろう。それなら、彼女達の力は、神よりも獣に近いものになるんじゃないかと思ったけど、違うんだな。彼女達は、獣に成り果てることは無く、神に近しい力を身に着けた」

 

 よく見れば、魔女達は、髪の毛に紛れるような獣の耳を携えている。

 それ以外は、何処を見ても人間そのもの。


「現世に住まう魔獣たちは、獣の神…冥界の神様の遣いだよ。ここに居る魔女達の力は、その力の模造品っていうことになる。魔獣が知性を持ち合わせていないのは、こうやって神の力を好きに扱えないようにするためだった」


 アゼリアは、小さく息を吸い込む。

「それを実験に使って、あまつさえ自分達のものに変えてしまうだなんて、身勝手なものでしょう?でも、私は、彼を引き止めようと思えなかったの。そこまでしてでも憧れに辿り着こうとするのであれば、私はその邪魔をしてはいけないと思った。何より、そうして理想に向かう彼の事が、私の眼には美しく見えてしまった」


 ガランサスは、頭上の足場や家屋を眺めながら呟く。

「…でも、まあ。結果的に生まれたのがこの世界なら。きっと、彼は正しかったんだろう」

「そう、だね。今、この瞬間。ここは、誰にも邪魔をされない、完璧な世界。飢えることも争う事もない、罪も罰も存在しない。そんな、美しい世界になっているんだと思う」


 木々の隙間から、日の光が漏れる。

「でもね、私、わかるんだ」


 目を細めて、アゼリアは天を眺める。

「この完璧な世界が、永遠には続かないってこと。きっといつか、全てが破綻する時が来る」

「…それは、女神の勘か」

「そう。この世界は、神の世界には届かない。エフタは、神様にはなれない。それを、わかっていて尚、彼を止めようとしないのは。私が、ああして理想に向かう彼をずっと見ていたい、そんな我儘を続けているせいなの」


 ガランサスは、彼女と同じように木漏れ日に視線を映して、眩しそうに目を細めた。

「勘が外れる事だってあるさ。僕は、彼が本当に神様になるって、そう信じている」

「…そうだね、私も、それがいいと思うよ」


 少し黙り込んだ後、アゼリアはまたガランサスのほうへ振り向く。

「エフタから、貴方に会ったら見せておくように言われた物があるの。それを見に行きましょう」


 ガランサスは、少し驚いたように目を見開いた後、何も言わずに頷いて彼女の後を追った。






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