5-03 三千年前の雪落とし(3)
翌日。
エフタは、隠れ家には現れなかった。
夕刻になっても姿を現さない彼に、今日は来ないのかと肩透かしを食らったガランサスは、何もしないままに自らの住む家へと引き返していた。
集落の中心地にある、日頃から人通りのある道。
そこを横切る時にふと目をやると、通りの先で、何かの催しでもあるように人々が群がっている様子が窺えた。
彼らは、大人の肩ほどの高さの演壇、その上にある何かを眺めている。
少し気になりはすれど、目を細めてみても、彼の視力と、雪の影響で立ち込めた靄のせいで、演壇の上にある何かはよく見えず。
雪道を歩いて身体が冷えていたガランサスは、それを然程気に留めずに、早く家に帰ろうと視線を戻して、脇道へと足を進めようとした。
そのまま、数歩歩いて。
何故だか、「本当にこれで良かったのか」、という疑念が彼の頭をよぎった。
今、自分は重大な見落としをしたのではないか。
そう思った途端に、気になって仕方が無くなった彼は、踵を返して、その人だかりが見えたほうへと早足で近寄った。
近付いたら近付いたで、まだ背の低い彼からは演壇はよく見えず、上手くその人だかりの隙間から見えないかと体を左右に揺らしては、険しい顔つきで先にあるものの正体を探した。
ほんの一瞬、人の間に隙間が出来て。
彼は、少し無理やり気味に、その隙間を抜けて、幾らか前のほうへと足を進めた。
その先、少しずつ見えてきたのは、見覚えのある、白髪の少年の姿だった。
「エフタ?」
その声が聞こえたのか、それとも偶然か。
少年は、顔を上げて、ガランサスの居る方へと視線を向けた。
彼は、いつも通りの穏やかな笑顔をしていた。
両隣に居る、斬首用の剣を持った男達のことなど気に掛けることもなく。
己を拘束する枷も気に掛けることなく、毎日会う友人に、今日も挨拶をするように笑っていた。
心臓が跳ねて、ガランサスは近くにいた大人の袖を掴む。
訴えかけるように、目を見開いて必死に訴えかける。
「―――なんですか、なんですか、あれ。何で、エフタがあそこに居るんですか。あれじゃあ、まるで。まるで、罪人みたいじゃないですか」
急に掴みかかられた男性は、驚いたように彼の眼を見た後、ああ、と険しい顔へ変わった。
「お前、あれの友人か何かか。まさか、お前も穢れた子供じゃないだろうな」
意味が分からず、ガランサスは男の目を凝視し続ける。
「穢れ、って何ですか。返して、エフタを解放してください」
「無理に決まっている。龍神様の信者を片端から殺して回った殺人鬼だぞ。話を聞けば、奴は龍神様に会ったのだと、ありもしない嘘を吐いた。信者たちは神を裏切り冥府へ送られたのだと、言うに事を欠いて、死者に罪を着せるような事までをも主張した。魂が穢れてしまったんだ。許されることではない、奴はこの集落が崇拝するものを虚仮にしたんだ」
信じられないという顔で彼は声を荒げる。
「違う!あれはエフタがやったんじゃ―――」
演台の上で。
処刑人と思わしき男の一人が剣を台に叩きつけて、強い金属音を鳴らす。
肩を揺らしてそちらへ振り返れば、その男は強い眼差しでガランサスを睨みつけていた。
騒々しい、黙っていろとでも言うように。
ガランサスは、男が持つ剣を恐れて、言葉を詰まらせる。
そのまま視線を逸らすと、エフタは変わらず落ち着いた様子で、観衆を眺めて笑っていた。
彼を庇おうとするガランサスさえも、その理解不能な笑顔に狂気じみたものを感じて、唾を飲んでたじろぐ。
周りからは、「見ろ、笑っているぞ」と気味悪がる誰かの声が聞こえる。
声につられて、周りの観衆の様子を眺める。
そして、ようやく気付く。
彼らがエフタに向ける視線のすべてが、その狂気に対する恐怖や嫌悪であること。
思い出す。
彼らは、今までもずっと、エフタに対してその視線を向けていたこと。
彼らは、その呪われた子供を排する理由を探していた。
超越した存在としてただ受け入れるべき神を、知として理解しようとする彼を、漠然と『気持ち悪い』と蔑んで。
際限なく知識を溜め込み、新しい概念を生み出し続ける彼が、本当に人智を超えた何かになってしまうことを恐れ続けていた。
何を言ったとしてもきっと覆せない状況。
どうしたらいいのかがわからなくなって、ガランサスは、いつも助けを求めていた人物、つまりは、今助けなくてはならないエフタその人へと視線を送った。
エフタは、変わらずにそこにいる。
彼は、少し息を吸うと、最後の挨拶のように口を開いた。
「残すべきものは、残すべき場所に用意しました」
その場の誰もが、理解できずに顔を見合わせる。
「話すべきことも、話すべき人に伝えました」
続けざまにそう言いながら、彼は、立ち尽くすガランサスへと目を合わせた。
「少し迷うかもしれないが、今やっていることを、そのまま続けてくれたらいい。きっと、またその意味を伝えられる時が来るから」
ガランサスは、それが自分に向けた言葉であるとはわかっていながらも、その真意までは理解することが出来ずに、ただエフタの顔を見つめ続けた。
「…待って」
無意識に前に出ようとするガランサスを、周囲の大人たちが引き留める。
「待って!」
一心に、周りから伸ばされる腕を振り払おうと藻掻きながら、彼はエフタを引き留めようと声を上げる。
そんな彼に、エフタはいつもの笑顔を向けたまま。
振り下ろされた剣に、首を落とされてその一生を終えた。
◇ ◆ ◇
そんな、トラウマにも近い少年期を過ごした彼は、大人になり、齢三十にもなろうという頃にもまだ、件の『隠れ家』に通い続けていた。
埃を被った机。
彼が本やら紙やらを広げている部分だけがやけに綺麗な状態で、そんな有様を気に留める事もなく、ガランサスは狂ったようにエフタの遺した資料の山を読み解き続けていた。
二十年近く読み漁り、研究を続けても尚、理解の及ばない部分のある情報の山。
きっとその全てをこの生涯のうちに理解しきることは出来ないのだろうと感じながらも、彼は無心でそれらを複写し、時には野生動物を検体にして、その中身の真偽を確かめ続けた。
それが何を目指すためのものかさえ、わからないまま。
エフタの残した『そのまま続けていればいい』という言葉を信じ続ける事だけが、彼の生きる理由へと変わっていた。
何日も、何日も、繰り返し。
彼は、ふと、自分の武骨な右手に視線を落として。
今の自分の年齢と、エフタが死んだ日の自分を思い返して、誰にも聞こえないような溜息を落とした。
「…まだ、教えてくれないのか」
彼があの時見せてくれた魔獣の心臓は、今も瓶の中に入れられたまま。
どれだけの夜を越えようとも、まだ生きていると訴えかけるように動き続けていた。
相変わらず雪と曇り空で薄暗い窓の光に照らされたままで、膝をつく。
彼の膝が床について、埃が宙を舞った。
そのまま、幾らかの時間が経つ。
もう、やめてしまおうか。
やめることは即ち、エフタの後を追って生を終える事だとはっきりと理解した頭で、ガランサスはじっと床を見つめ続けていた。
「ああ、捨てないで取っておいてくれたんだ。助かるよ、君に任せて正解だった」
彼は潮時を悟った。
この歳になって、十数歳の時の友人の声が、幻聴になって聞こえてくる。
ああ、もう全て終わりにしよう。
そう思って顔を上げた矢先。
視界の端に、その思い浮かべた誰かが見えた気がして、彼は咄嗟に飛び退きながら、その人物に視線を送った。
エフタは、当時の姿のままで、心臓の入った瓶を手に取って眺めている。
「どう?これの構造は、少しは理解できた?」
まるで昨日までもずっと会っていたかのように、彼はガランサスへ視線を向けて、よく見覚えのある笑顔を見せた。
あの頃と同じ、生気の宿っていない、狂気を感じさせる瞳で。
「実を言うと、こっちの本に書いた第六次元の観測にかかわる記述は、殆どが仮説だったんだ。この心臓の在り方から、経験則と直感だけで書いたあてずっぽうで、確証になるような実験結果は一つも得られていない。困惑したろう?根拠も無しに結論だけ書いてあったから。でも、あながち間違いでは無かったし、今回の経験で確信に至ることは出来た」
また机の上に目を向けて淡々と話し続ける彼の様子に、しばらく口を開けていたガランサスは尻餅をついたままで声を上げた。
「…エフタ?本当にエフタなのか」
不思議そうに、白髪の彼は振り向く。
「うん?そりゃ、そうだろう。僕の姿が、他の誰かにでも見える?」
「―――」
ガランサスは、自分を落ち着けようと息を深く吸い込む。
埃が肺に入って、強く咳き込んだ後、咳払いをしてまた口を開いた。
「エフタにしか見えないから、驚いている。あいつは十八年前に死んだ。お前は誰だ?あいつの親戚か、隠し子か何かか」
「当時の僕は十二歳だよ。隠し子なんて出来る訳がないだろう。いたにしても時系列がおかしい。親戚もいなかったしね」
至極真っ当な返答をされて、ガランサスは何も言えずに目を見開く。
他に、色々な可能性を考えて、ある出来事を思い出して。
彼は、静かに口を開いて尋ねた。
「…龍神の、果実を食べたから?」
エフタはくすりと笑って、「ああ、不正解とも言い切れない分析だ」と答えた。
「―――伝え損ねていたね。僕はずっと、君の近くにはいたんだよ」
エフタは、『隠れ家』の棚に仕舞われていた一つの箱を取り出して見せた。
「…冥界の箱」
「そう。よく憶えてたね」
彼は床に座って、一つの傷もついていないその箱を目の前に置く。
「これは、第六次元の観測装置だと言っただろう。つまりは、神界や冥界と現世を繋ぎとめるための装置ともいえる」
「…」
「前の話を思い出して。二つの領域を作った時―――例えば部屋を二つに分割した時、その中間には何が存在していた?」
前、というのがあまりに過去の出来事過ぎて、ガランサスは目頭を押さえる。
さすがに憶えてないか、とエフタは笑って、何もない壁を指差した。
「壁だよ」
久々の『理解の及ばない相手』を前にしてガランサスは小さく溜息を吐く。
「この世界と冥界を直接繋ぐことはできないからね。間にそびえ立つ『壁』の役割をする何かが必要だった」
エフタは、目の前の箱を眺める。
「この箱の中に、その役割を果たすものを作る必要があった。それが、いうなれば『偽の冥界』。現世と中立的な、曖昧な立ち位置に存在する精神世界だ」
「…偽の冥界。じゃあ、君が死んだあとの魂はそっちに流れて行ったとでも言うのかい」
「その通りだよ、ガランサス。一度この箱で異界を見た僕の魂は、その時点でこの中の疑似冥界に記憶されたんだ。概念的な話は後にするが、簡単に言えば、この箱が僕の還る場所になった」
嬉しそうな顔をする彼だが、ガランサスは半ば諦めたようにその笑顔を眺める。
「この冥界は、冥界神によって作られた規則に従わない、新しい冥界だった。死した者の魂を分解して、別のものに変えるという規則。それが存在しない新たな冥界から生まれ変わった僕は、今こうして、記憶も、肉体の在り方も変わらないままでこの世界に生まれ直すことが出来た」
エフタは立ち上がって、手を広げて見せる。
よく見れば、彼は、過去に首を切られた時よりも、一回り幼い姿をしているように見えた。
「この実験の成功は、僕達にとってあまりに合理的だった。僕達はこの世の全てを知るための『時間』を、際限なく手に入れられるようになったんだから」
ガランサスは、最早面白くなってきたのか、ふは、と息を漏らして笑った。
「何度でも蘇って、この世の全てを知り尽くしてやろうってことか」
「そうだよ、ガランサス。僕達は二人で神様になるんだ」
「僕達、って」
引きつった笑顔のまま、彼はエフタの顔を見上げる。
「そうでなきゃ、どうして君はいままでここで、僕の遺したものを調べまわっていたんだい?」
真っ直ぐな瞳で、そう問われて。
そこでようやく、彼は、エフタからの誘いを断ることが、今までの自分を否定することに等しいと気が付く。
他に、選択肢など無かった。
「―――わかったよ」
心底嬉しそうなエフタの顔を眺めながら、彼は続ける。
「一緒に神様になろう。二人の、約束だ」
「うん」
彼は、目を離すことが出来なかった。
きっと、エフタのそんな笑顔は一度も見たことが無かったから。
ガランサスという男が『神様』に執着したのは、人間の彼に誘われたから。
たったそれだけの出来事が、全ての始まりだった。




