閑話 『先生』の意味
とある日、マリーの家。
なんともなしに遊びに来ていたカミヤと、休日でのんびりしていたエリアとリュックは、犬を撫でたり本を読んだりしながら穏やかな時間を過ごしていた。
ソファの上で寝転がるカミヤに、エリアがふと話しかける。
「そういえば、カミヤちゃんってさ。ユアンさんのこと、先生って呼ぶよね。あれって、どうしてなの?」
本を読んでいたリュックは、「あ。それ、私も気になってた」と顔を上げる。
お菓子を口に咥えようとしていたカミヤは、「ん」と声を漏らしながら、二人に向き直った。
「だって、先生っぽいでしょ?」
「先生っぽいとは」
困った様子でリュックは聞き返す。
「え、りゅーちゃん、わかんない?先生はさ、先生なんだよ。物理か生物の」
エリアが、どういうことかと首を傾げる。
その隣で、リュックは何かを理解したのか、「ああ」と吹き出すように笑った。
「確かに」
「でしょ??」
同意が得られて嬉しかったのか、カミヤは目を細めて笑う。
「何かを教えてもらったり、してるわけじゃないんだ?」
エリアがそう聞くと、カミヤは「んん、まあ、そうだけど…う~ん」と悩むように天井を仰いだ。
「私さ、やってみたかったんだよね。放課後とかに、理科準備室とか言って、先生とダベるの。だから、今になってやってんるんだ。先生の研究室に勝手に入って、勝手に喋り散らかして、帰るっていうルーティン」
「凄い迷惑なルーティン…」
カミヤとリュックの間だけで成り立つ会話に、エリアは二人の顔を交互に見ながら不思議そうな顔をする。
「セブレムとウルフセプトって、普段はあまり関わらなそうだけど。ユアンとカミヤは、随分と距離感が近いよね」
「んでしょ~」
にやにやと笑うカミヤに、エリアは「何か、特別なことがあったの?」と聞く。
「特別なこと、かぁ。うん、まあ。あったっちゃ、あったかな?」
何かを思い出したのか、カミヤは二人から視線を逸らして、表情を隠すようにソファに顔を埋めた。
◇ ◆ ◇
カミヤが初めてバルベナの街に来た日。
つまりは二年前のワルプルギスの夜が明けた日、彼女はマリーの家で所在なく椅子にもたれていた。
「カミヤちゃん。大丈夫?」
マリーからそう聞かれて、カミヤは「うん」とだけ答える。
「なんか、夢でも見てんのかなぁって思って。まだ、頭の中、まとまんないや」
天井の模様をただただ見つめている彼女の様子を、マリーは少し心配するように見る。
「外、出かけてきてもいいよ。この街の中なら、影のおばけも出てこないからね」
「そうなの?」
「そうだよ。それに、騎士団の人達が沢山やっつけてくれてたでしょ」
「そっか」
カミヤは、何気なく体を起こす。
窓の外を見ると、既に日は傾いて、空は茜色から夜闇に移り変わり始めていた。
「お祭り、やってるから、見ておいで。楽しいと思うよ」
「お祭り?」
「そう。ワルプルギスの翌夜祭っていうんだよ。春を迎えるお祭り。怖い夜が明けた後の、皆の無事を祝うための大切な時間なの」
「…行って、こようかな」
「うん」
「マリーは?」
「私は…ちょっと、見ていなきゃいけない子がいるから。ごめんね」
「そっか」
ふと、奥の部屋の扉に目をやる。
小さな子供が、扉の隙間でこちらを覗いていたのが、一瞬だけ見える。
目が合いそうになると、彼女は慌ててその姿を隠した。
「あの子?」
「えっと、うん。そうなんだけど、内気な子だから、そっとしておいてあげて欲しくて」
「そっかぁ。わかった」
ほんの少し、窓の外を見て考えた後。
勢いをつけて立ち上がると、カミヤは表情も変えずに、ぱたぱたと玄関口へと歩く。
「それじゃ、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
マリーはいつもの笑顔で手を振る。
カミヤも、ほんの少しだけ安心したような顔をしながら、彼女に手を振り返して外へと出かけて行った。
街へ出ると、大通りには一帯に灯篭が飾られて、薔薇色とはまた違う、柔らかい灯りで染められた世界が広がっていた。
「わあ」
思わず、息を呑む。
どこまで歩いても、辺りは賑わって、灯篭の灯りは夜闇を照らす。
子供の頃に見た縁日のような高揚感が、しきりに彼女の肺を満たした。
歩き進めば、なにやら見たことのないお菓子やら、アクセサリーやら、色々なものを売っている露店が、あちこちに目に入る。
混乱していた彼女の思考も、これからどうなるのかという不安も、とりあえず、忘れてしまってもいいや、という気がして。
彼女ははしゃぐ子供のような気分になって、次第に足早になって、心を満たすように走り始めた。
しばらく進んでいくと、灯りは少しづつ減ってきて、人気もまばらになってくる。
その先に見えた広場にはあまり灯篭は飾られていなくて、その代わりに、休憩できるようなベンチがいくつか並べられていた。
「ほんとに異世界、来ちゃったんだなぁ」
振り返って、大通りの端から反対側を見渡す。
まだそこは変わらず賑わっていて、夢でも、空想でもない空間は、彼女を受け入れるように明るんでいた。
少し休もうと、広場のベンチに向かって歩く。
「ん」
誰かが、既にベンチに仰向けに倒れている。
「あ。今朝の人だ」
そこに横たわっていたのは、眼鏡を掛けて、死んだ魚のような目をした茶髪の男。
彼は眠そうな顔をしながら、ただ何かを考え込むように星空を眺めていた。
近づいてきたカミヤに気が付いて、彼はぼんやりと目を合わせる。
「…ん。ああ、お前か。今朝の迷子」
「どうも、今朝の迷子です」
「受け入れ方が清々しいな」
敬礼をしながら答えるカミヤに、僅かに困惑しながら彼は体を起こした。
「なにしてんの?」
「お前こそ何してんだ。早朝から起きてたんだから、疲れてるだろ」
「お互い様じゃんね」
ふふん、と少し面白そうにカミヤは笑う。
「私のスマホ、治りそうかな」
「んな、今日渡されて、すぐわかるわけないだろ。数日は待てよ」
「数日でわかるんだ」
「まあ、似たものは元々ウチにあったからな」
「凄いね、思ったよりハイレベルな異世界だ」
「異世界?」
何を言っているのか、と言う様子で彼は視線を上げた。
「お前、今朝も言ってたよな。出身がどこだ、とかそんな話。あれ、本気で言ってたのか?」
「言ってたよ。私は正真正銘、大和撫子だもの」
「やま…?まあ、その。よくわからんが、そうなんだな」
「うん」
カミヤは両手を腰に当てて、自慢げに笑う。
彼女はユアンの隣に座ると、まだ賑わう祭りの様子に視線を送る。
「先生はあっち見てこなくていいの?」
「ああ、俺は疲れてるから見てるだけで…。ん、今、先生って言ったか?」
「うん」
「なんで?」
「なんでもいいじゃん」
「よくねぇ」
「いいの。似てるから」
「誰とだよ」
「内緒」
変な奴だな、というと、カミヤは猶更嬉しそうに笑った。
「…お前さ、凄いな。始めて来る場所で、知り合いも居ないのに。良く、そんなに幸せそうな顔が出来るよ」
「おっと、図太い私への悪口か?」
「いや、悪口じゃなくて。もし俺だったら、もっと余裕のない顔するだろうし、周りにも気配りなんて出来ないだろうな、って思っただけだよ」
「へへ」
自慢気に笑うカミヤの表情を、ユアンは困り顔で眺める。
「私、難しいこと考えるの、好きじゃないからさ」
「そうか」
なんとなく、彼は穏やかなカミヤの横顔を眺める。
「私の地元ではね。ああいう地域でのお祭りもあったし、学生だけでやる二日間のお祭りもあったの。そん時に、先生…あ、別の先生ね。その人に、今をちゃんと楽しみなさいねって言われたんだ」
「今を楽しむ、か」
「そう。楽しむための日は、楽しむための日。難しいこと考える日は、今日じゃない。今は、目の前の幸せを、とにかく気が済むまで吸い込んでおきなさいって。そうすれば、きっと明日も乗り越えられるから」
「…」
すう、と大きく息を吸い込んで、ユアンは大きく空を仰ぐ。
「星、今日は良く見えるな」
「ほんとだ」
「これは、お前の居た世界でも同じだったのか?」
「うん」
「そうか」
少し、間を置いて。
「じゃ、大丈夫だな」
ユアンはそう呟く。
何かが面白くて仕方なかったのか、カミヤは「うは」と変な声を出して笑った。
「大丈夫って、何が?」
「何がって…お前、詳しく聞くなよ。なんとなく、そう思っただけだよ」
「そっか。でも、先生が言うんだったら、まあ、大丈夫か」
カミヤも、大きく身体を逸らして、星空を眺める。
しばらくそうやって空を眺めて、ふと満足したのか、カミヤは立ち上がる。
「ねえ、先生。私さ、ここで上手くやっていこうと思うよ。ここに来られたのも、私がこうやって立っていられるのも、きっと神様がくれたボーナスなんだと思うから」
振り向くと、ユアンは空を仰いだままで眠っている。
「ふは。先生、めちゃくちゃアホな顔してんじゃん」
マリーの家まで帰ろうと思っていた彼女だったが、疲れ切った彼を起こしたくもなくて、一緒にここで朝まで座っていてもいいかな、とそのままベンチに座り直した。
そのまままた星空を眺めているうちに、カミヤは重大な事実に気が付いて、「は」と声を漏らす。
「先生の名前、まだ知らなくない?」
横を見ると、彼はまだ眠っている。
「まあ、また会いにくればいっか」
そんなことを呟いて、彼女はまたぼんやりと空に視線を向けた。
次の朝、困った顔で二人を起こしたのは、翌夜祭後の見回りをしていたエドだった。
揃って首を寝違えた二人は、まともに前も向けないような状態で回収され、カミヤはマリーに、ユアンはギャレットに、それぞれ『何をしているんだ』という困惑の表情で連れ帰されることになる。
痛そうな顔をしながら歩くカミヤだったが、それに対してマリーが放ったのは、「なんだか嬉しそうだね」という一言。
カミヤも、その言葉に満更でもなかったようで、変な角度に首を傾けながら、へへ、と嬉しそうに笑って見せていた。
◇ ◆ ◇
「特別なこと、なのかな。どうなんだろうね」
そうは言いつつも、クッションを抱えながら視線を泳がせるカミヤの様子を見て、エリアはなんだか嬉しそうに笑った。
「…な、なにさ。私、なんにも話してないでしょ。なにが面白いの」
「ううん、なんでも」
首を横に振るが、エリアはにこにことカミヤの表情を眺め続けている。
リュックもなんだか嬉しそうに、「いいよね、そう言う関係、微笑ましくて」と笑う。
カミヤは「茶化すなよォ」と、もうひとつのクッションを足の指で器用に掴んで、リュックに投げつけた。
「ごめん、ごめん。でも、なんとなくお似合いな気はするよね。二人共、方向性は違うけど、裏表のない人間同士って感じで」
「裏表がない、かぁ。確かに。先生、絶対悪いことはしなさそうだし、できなそう。嘘つかなきゃいけない所でも、我慢できなくて本当のこと言っちゃうタイプだと思う」
「確かに。でもそれ、ギリギリ悪口だな」
「そう?」
「うん」
「私は、誤魔化したり取り繕うより、真っ直ぐ言ってもらえた方が嬉しいタイプだからなぁ。五月蠅いなら『うるせぇ』って言ってくれる人のほうが好き」
「でも静かにはしないんでしょ?」
「よくわかってるね」
お互いに指を指しあった後、リュックとカミヤは「んふふふふふ」と変な笑いで共鳴した。
エリアはまだにこにこして、犬の一号を撫でながらその二人を眺める。
「カミヤちゃんはやんちゃだねぇ」
それを聞いて、二人は唐突に真顔になって、
「「それエリア(エリちゃん)が言う??」」
と言葉を返した。
「エリちゃんは私と一緒に砂浜で正座して、先生に怒られたでしょ。憶えてるからね」
「私も、エリアが初めてこの街に来た時に速攻で迷子になったこと、忘れてないからね」
「ごめんなさい…」
自分も散々ユアンに迷惑をかけていることを思い出して、彼女は弱腰になりながら一号に抱き付いていた。
「ま、結局みんな、一度は先生のお世話になってるからね。先生はみんなの先生だよ」
カミヤがそう話すと、リュックは「確かに」と笑う。
「ユアンが物理か生物の先生なら、マリーは保健室の先生で、エドが体育の先生?」
「そう!絶対そう!」
嬉しそうにカミヤは指をさす。
「他に居るかな、先生っぽい人」
「フェリスは?」
「教育実習生!」
そんな話をしていると、丁度カミヤのことを探しに来たフェリスが、エントランスのほうから姿を現す。
「何の話してるんですか。もうじき約束の時間ですよ」
カミヤは伸びをしながら振り返る。
「先生~まだ彼氏できてないんですかぁ」
「ぶん殴りますよ?」
開口一番に言葉で殴られたフェリスは、滑らかに声色を変えながらキレていた。




