4-13 十字架の記憶(7)
崩壊する地下室に、天井を貫いて龍人の男が現れた。
「―――エド!」
ユアンが叫ぶ。
その声に答えるよりも先に、彼の龍の眼光は災いの中心を捉えた。
レリアの服の襟を後ろから掴んで、ギャレットから暴力的に引き剥がす。
女性研究員が驚いて声を上げる。
対して、レリアは強引に持ち上げられたことなど気にも留めずに、火照った顔のままではしゃぎ続けた。
一瞬の判断。
このままでは、一人や二人では済まないほどの死人が出る。
彼はレリアを掴む反対側の腕に魔力を込めて、命を奪うほどの強さでその魔女を攻撃しようとした。
「やめて!」
女性研究員が叫ぶ。
一瞬、エドの覚悟が揺らぐ。
目を合わせれば、レリアは嬉しそうな顔でエドに手を伸ばしている。
殺せない。
彼は、自身に迷いが生じた瞬間に選択を変え、始めに考えた『合理性』を捨てた。
「エド!?馬鹿、何やってる!!」
ユアンの叫びを聞き入れず。
エドは、未だに魔法の制御が効かないままのレリアを抱きかかえて、そのまま地面に蹲った。
地震は続く。
地下室には次々に巨大なナイフのような根や茎が飛び込んでくる。
崩壊も止まる気配は無く、床は割れ、天井は崩れ落ちる。
半ば拘束された状況でも尚、レリアは嬉しそうに身体を揺らして、エドの顔や体に触れ、叩き、平静を失ったままで笑い続ける。
それを必死で抱え込むエドは、双角を蒼く輝かせ、眼光は真っ赤に充血させて、口からは床に溜まる程の血液を溢していた。
普通の人間でも肌で感じるほどの魔力の濁流。
それを、エドは一人で飲み干そうとしている。
気が動転して駆け寄ろうとする女性研究員の目の前に、また堅く鋭い植物の根が飛び込んで、その行く手を塞ぐ。
まだ、その小さな魔女の力は枯渇しない。
地を揺らし、周囲の植物は異常な成長を続ける。
呼吸が出来なくなっても、目の前が何も見えなくなっても。
エドは、目の前の子供を意地でも殺すまいと、そして誰も殺させまいと、手の感覚だけを頼りにして、落ち着かせるように自分の身体で抑え込み続けた。
「―――レヴァさん、一体何なんですか、何が起きてるんですか!」
「話は後で、とにかく早く屋外に避難しろ!可能な限り魔力炉は停止させろ、二次被害を起こすな!」
地上階、何も知らない開発メンバーがいつも通りに働いていたフロアの中。
レヴァの予想は見事に当たっていた。
地下に根が這うのであれば、その『本体』は地上に現れる。
地上階の施設は、地下から突然現れた巨大な植物の群れによって貫かれ、倒壊していない部分であっても、瞬く間に蔦や葉で覆われ始めていた。
施設内は、危険な設備や薬品で溢れている。
中には、衝撃を受ければ爆破事故や火災に繋がるような代物も。
「エドさんは何所に行ったんですか!?さっき、駆けつけてくれたじゃないですか!」
「地下で『原因』の対処をしてる!いいから、話は後って言ってるだろ!」
レヴァが強く叫ぶことで猶更不安を煽られた職員たちは、悲鳴や怒号を上げながら駆け回って設備を停止させ、外へと退避していく。
一人の職員が、地面に這う蔦に足を取られて転倒する。
「おい、大丈夫か!」
「だ、大丈夫で―――かっ、は」
答えようとした矢先、職員は呼吸が出来なくなったように胸を押さえて倒れ込む。
「おい、なんだよ、それ。毒でもあるってのか」
レヴァが、頭を抱えて駆け寄る。
「おい!待て、こいつを抱えて行け!」
通り過ぎて逃げて行こうとする職員達へ叫ぶと、彼らは「嘘だろ」という顔を一瞬見せた後、必死になって彼を運び出していった。
「―――魔女でしょう、これ」
後ろから聞こえた、男性職員の声。
レヴァは、肩を揺らして、一拍置いて振り向く。
「…いいか、もう一度だけ言うぞ。話は、後だ。さっさと外へ避難しろ、以上だ」
怒気を含んだ彼の一言に、職員は憤るように息を吸い込んだ。
「この間保護したって言う子供が、やっぱり魔女だったんだ。この地下にその魔女がずっと居たんでしょう、答えてくださいよ!」
「居たらなんだってんだよ!今から殺しにでも行くのか!?お前が!」
その気迫に、職員は一瞬引き下がる。
「ここ最近、気が付いてましたよ、僕達は。ギャレットさんも、サラも、明らかに行動が怪しかった。エドさんだって、ここに来て真っ先に地下に向かった。―――僕達の安全を差し置いて、一体何をやってるんですか!?」
「んなもんギャレットに聞けよ!俺だって、あいつがこれから先どうしたいのかなんて知らない!いいから、黙って指示通りに動け!」
「嫌です、僕は僕の考えたように動きます。今から地下に行って、実態を暴いてやりますよ!」
「暴いて、どうすんだよ」
冷たく見下ろしてくるレヴァの視線に、僅かにたじろぎながら睨み返す。
「然るべき機関に報告します。セブレムも衛兵団も信用できないなら、騎士団にでも王都にでも報告して、あなた達を異端者として裁いてもらいます」
「それで、お前は職を失って文無し生活か?」
「構いません、ここで仲良く社会悪になるよりはずっとマシだ」
「恩知らずだな。お前、前の仕事で上手くいかなくて、ギャレットに拾われた身だろ」
「それとこれとは、話が違う」
一瞬、無言で睨み合いの時間が生まれる。
「…もう、勝手にしろよ」
レヴァが面倒になって、避難を優先して背を向けた時。
地面から突き出してきた植物が、男性職員を掠めていった。
そこから生えてきた幾重もの葉が、彼を絡めとるように伸びていく。
「あ、がっ!やめ、離っ―――」
大量の魔力を流し込まれて、職員は血を吐いて意識を失う。
植物に拘束されたまま、彼は痙攣して動かなくなる。
助けようと触れたら、自分まで命を落とす。
それを分かって、レヴァは手を差し伸べることをしなかった。
自分は、もう、背を向けていて、この事実に気が付かなかった。
そうしよう。
一瞬、そう思っているうちに、事態は手遅れになっていく。
次第に、罪悪感に呑まれ始めて。
それでも、自分の命と引き換えに彼を助ける覚悟は出来ないまま、少しずつ、地震が収まっていくのを待ち続けた。
―――地震が収まった時、エドとレリアは地下室から姿を消していた。
彼女の内側から溢れ出す魔力を受け止め続け、気力の限界が訪れたエドが、最後の力で魔術を使って、レリアを抱えたままで天井の穴から脱出して。
人の住む領域の外まで一直線に、脳内の地図だけを頼りに、視界も朧げなままに飛んで行った。
地下室の床には、血を吐いて倒れたギャレットが横たわっている。
「…おい、ギャレット。ギャレット!」
ユアンが駆け寄る。
呼びかけに返事はない。
「サラ!おい、ぼーっとするな!動けるなら外に行って誰か呼んで来い!」
「あ、わ、は、はいっ」
目立った怪我はない女性研究員だったが、放心していたのか、しどろもどろに答えながら、蔦塗れの階段を駆け上っていく。
クリスを見ると、足を怪我したのか、苦しそうな顔をしながら駆け寄って来ていた。
やっとの思いでギャレットのもとまで辿り着くと、彼の腕や首筋を触って様子を確かめる。
「脈は、ある。呼吸も僅かだがある、すぐに対処すれば間に合う」
「補助はいるか、何か必要なものがあれば取ってくる、教えてくれ」
平静を装いきれず、ユアンは捲し立てるように話しかける。
クリスはユアンに落ち着くように指示をしながら、壊れずに残っていたベッドに彼を寝かせた。
それから、必要な処置をして、地上階の怪我人は病院へ搬送され。
ギャレットはなんとか一命をとりとめて―――
その事故は、意識不明者多数、死者一名となって、セブレムの歴史に大きな傷を残す出来事となった。
◇ ◆ ◇
森林奥に建つ邸宅。
空は雲が立ち込めて、徐々に雨が降り始めている。
虚ろな目のままで現れたエドは、今も血を吐きながら、子供を抱えたまま体当たりでその玄関口を開けた。
彼の血液が、室内の床を赤く染める。
抱えられた子供は、熱にうなされるように天井を仰ぎ、夢現の状態で彼の腕を掴んだ。
すぐそこにあるベッドにさえ辿り着けず、彼は途中にあるリビングルームで膝を折って、レリアを床へ降ろす。
穏やかに降ろす余裕すらなく、レリアは半ば落とされるように床に横たわった。
息切れの中、彼女の額に手を当てて身体の様子を窺う。
「…熱い」
高熱。
今朝までは何の予兆も無かった症状に、彼女は苦しめられている。
不可解な現象によって彼女の魔力は放出しきっていて、生命力を維持するために必要な分さえも、足りなくなっていた。
彼女の身体は生き続けようと、必死に心臓を動かしている。
ただ、そこから生まれた力も全て、肉体に流れることはなく零れ落ち続けていた。
それを失わせないように、エドが全て受け止めて、彼女の身体に押し返し続けている。
彼は周囲を見回すが、視界がぼやけ、彼女を寝かせるための寝床の場所すらわからなくなっていた。
「エド」
レリアは意識が混濁しているのか、目は据わり、息切れも収まらぬままに、エドの名を呼ぶ。
「どうしたの」
できるかぎり平静を装って、穏やかな声で答える。
「いっぱい、遊ぼう。私、楽しいの。もっと、みんなと一緒にいたいの」
「…」
少し、間を置いて答える。
「ああ、いいよ。これからも、一緒に遊ぼう」
えへへ、とレリアは嬉しそうに、虚ろな目で笑う。
「―――でも、今日は、もう。沢山遊んで、疲れただろう」
「うん」
朧気に見えるレリアの頭を撫でて、少しずつ落ち着かせる。
「明日は、きっといい日になるから。ゆっくり眠って。おやすみ、レリア」
「…」
レリアは、エドと目を合わせて。
何かにひどく安心したように息を吐くと、そのままゆっくりとその瞳を閉じた。
そのまま、エドも意識を失う。
ああ、セブレムの彼らの無事を確かめないと。
そう思っても、彼の身体も同じように熱にうなされ、薄れゆく意識には抗うことが出来なかった。




