4-12 十字架の記憶(6)
その日の晩。
レリアは、昼間も一緒にいた女性研究員に就寝の挨拶をして、ベッドの上で横になった。
就寝時間までは、セブレムの職員数名、あるいはマリーやクリスが日毎に交代しながら、彼女の面倒を見るようにしている。
女性研究員は少し疲れていたのか、職員用のベッドに横になると、数分も立たずに寝息を立て始めていた。
暗くなった室内は、僅かに周辺が見えるように、白色の常夜灯が光っている。
レリアは何となく眠ることが出来ずに、横になったままでその常夜灯をじっと見つめる。
「…」
いつの間にか連れられて来ていた街、言われるがままに面倒を見られる日々。
成り行き任せにこの日まで辿り着いていた彼女は、ふと、ギャレット達に助けられるよりも前の自分の生活を思い出してぼんやりしていた。
―――森の奥、書斎に囲まれた揺り椅子の上で本を読み耽る。
空腹になれば、畑に出て、魔法で野菜を育てて食べる。
目を通す料理の本は、自分でもできる簡単なものだけ。
夜になれば、手入れもあまりしていない寝床で目を閉じる。
そんな、何も変わることのない毎日。
いつの間にやら、起きるのも、同じことを繰り返すのも面倒になってしまっていた。
誰も迎えに来ない、限られた空間。
自ら終わらせる気は無い。けど、終わったら終わったで、別に構わない。そう思ってしまうような毎日だった。
深く考えることを辞めて、全部面倒で、いい加減になっていた時に。
自分よりも何倍も大きな魔獣が大切な畑を喰い荒らしているのが目に入って。
もう嫌になって、面倒で、自棄になって。
畑を守りたかったのか、それとも一緒に食べられてしまおうとしたのか、自分でも分からないままに、その猛獣に歩み寄っていた。
きっとこれで終わりなんだな、そう思った次の日には。
ひとりぼっちの小さな魔女は、見た事もない大人たちに拾われていて、何が何だかもわからないままに新しい寝床を与えられていた。
本当に、いいのかな。
こんなに楽しくて、いいのかな。
急に与えられた幸せというものがにわかには受け止め切れていなくて、この日に至るまで、彼女はずっと戸惑い続けていた。
それが、今になって少しづつ現実味を帯びてきて。
そっか、ここに居てもいいんだ。
そんな希望が彼女の内側でようやく芽生え始めていた。
暗闇の中、開いていた部屋の扉の前を、何かが通り過ぎていくのが見える。
白く毛の生えた大きな生き物。
「一号?」
レリアは体を起こす。
女性研究員のほうへ視線を送るが、彼女は深く眠っているようで、反応しない。
こんなところに、一号がいるはずがない。
そう分かっていながらも、それが見間違いだとも思えなくて、確かめるために、レリアはベッドから足を降ろして、通り過ぎた何かを追った。
常夜灯で僅かに見える壁に手を添えながら、廊下を進む。
「空いてる」
いつもなら鍵が閉まっていて入れない奥の部屋の扉が、僅かに開いている。
きっとその先に一号が迷い込んだのだと、彼女は扉の先へと足を進めた。
部屋の中も電気はついていなくて、目を細めて辺りを見回しても犬の姿は見えない。
奥を見ると、なんだか大きな機械がぽつぽつとランプを光らせているのが見えた。
「あ!」
検査機の上、トンネルのようになっている部分から、犬の尾がひらひらと動いているのが見える。
「駄目だよ、一号。そんなところに入ったら」
そう言いながら、彼女は一号にもっと近くで呼びかけようと、検査機の上によじ登っていく。
「あれ」
上まで登ってもう一度そこを見ると、居た筈の犬の姿はまた見えない。
どこだろう、と更に中を覗き込む。
部屋の反対側、管制室のような一室がある方向から。
パチン、と何かのスイッチを入れる音が聞こえた。
―――悲鳴。
尋常ではない叫び声を聞いて、女性研究員は心臓を吐き出すほどの驚きと共に跳び起きた。
「え、何、何。レリアちゃん?レリアちゃん、何処!?!?」
彼女は顔面蒼白になって、地下室全域の電灯を点ける。
叫び声が聞こえた方向へ全力で走る。
「レリアちゃん!」
一番奥の部屋。
その扉には、『放射線検査室』の文字。
検査機の傍らには、検査機から転がり落ちて、のたうち回るレリアの姿があった。
「え、何、何で、私、鍵閉めてなかっ…!?」
頭を抱えて、動揺も隠せないままにレリアに駆け寄る。
顔を覗き込んで声を掛けるが、レリアは蹲って呻き声を上げるばかりで言葉を返さない。
泣きそうになりながら、携帯端末を取り出してギャレットの番号を探す。
最近与えられたばかりの新型端末の使い方が分からず、しどろもどろになりながら。
「ギャレットさん、レリアちゃんが―――!」
◇ ◆ ◇
まだ時刻は深夜。
駆けつけたギャレットと、偶然施設内に居たユアン。加えて、クリスとマリーも連絡を受けて、後から駆け付けていた。
クリスが見た限り、彼女に外傷や目立った症状はない。
レリア自身も、今現在は特に不調も訴えていない。
ただ、酷く眠そうにしている。
「痛かった?気持ち悪いとか、目が回るとか、そういう症状はない?」
そう聞かれても、レリアはうとうとと体を揺らして「わかんない」とだけ答え続けた。
「確かに、悲鳴を上げてたんだよな」
ギャレットからそう問われ、女性研究員は首を縦に振る。
まだ胸の高鳴りが収まらないのか、彼女はずっと強張った顔でレリアの様子を見ている。
「…見た限り、異常と言えるほどの変化はない。でも、念のため入念に検査はしよう」
クリスはそう話すが、当のレリアは既に眠ってしまっていた。
特に異常は見つからないまま、時刻は朝を回る。
殆ど睡眠を取れていなかった彼らは、その目に疲れを浮かべていた。
レリアはまだ眠っていて、そのまま検査を受け続けている。
あらかた検査は終わったものの、何ら異常が見つかることは無かった。
「マリー、悪いんだけど。僕の代わりに、今日の回診、頼めるか」
クリスにそう頼まれて、マリーははっと顔を上げる。
夜中、経緯を確認した時点で「帰っていい」と兄から言われていた彼女だったが、何かあったら自分も動けるようにと、仮眠を取りながら今までずっと立ち会っていた。
「…うん。わかった」
マリーはそれだけ答えて立ち去ろうとする。
その時に誰かと目が合って「あっ」と声を上げるが、その人物は「いい、話はギャレットから聞く」と彼女の言葉を遮った。
「ギャレット」
名前を呼ばれて振り向いた彼の視線の先には、背の高い同僚、レヴァの姿がある。
「開発メンバーが探してる。こっちに顔は出せないのか?」
腕時計を見て、ギャレットは「しまった」と溢す。
「ユアン、悪い。午前だけ、上の事を任せてもいいか。午後は俺が交代する」
「俺は構わねぇけど。それだと、兄貴はまるっきり休めないんじゃねぇの」
「大丈夫だ、二徹や三徹くらいなら慣れてる」
「…」
何かを言いたげに、ユアンは立ち去ろうとする。
立ち上がったところで、ふと彼が気付く。
「放射線検査室。あそこの鍵って、地上階の管理棟にしまってある筈だよな?何故空いてたんだ」
クリスが、その問いかけに答えるように立ち上がる。
「…確かに。誰かが、うっかり鍵をかけ忘れた?」
「でも、二、三日前に見た時は鍵は掛かってた気がするんだよな。それに、この部屋は最近使ってない筈だ。誰か、メンテナンスか何かで部屋に入ったのか?」
クリスが扉の鍵穴を見るが、誰かが抉じ開けたような跡もない。
レヴァはその様子を見て、何となく、何が起きたのかを察し始めていた。
「…なあ、そいつ。検査機に入ったのか?」
ギャレットは首を縦に振る。
「でも、まさか検査機が動いたわけじゃないだろう。入ったら勝手に動く仕組みなわけでもなし」
「…その筈なんだ。何故、それもあんな夜中に動き出したのか見当もつかない」
レヴァは溜息を吐く。
何をしているのかと、呆れたような顔をして。
「…」
「レリアちゃん!」
レリアが目を覚まして、女性研究員が駆け寄った。
ギャレットも同じように近寄る。
レリアは、目を覚ましても、まだ意識が朦朧としているのか眠そうに頭を揺らした。
「レリア?」
ギャレットが、彼女の肩を掴む。
レリアは、なんだか酔っているかのように、んふ、と息を漏らすように笑っていた。
「…?」
見た事もない彼女の様子に、一同は困惑したように首を傾げる。
「んふ、えへへ、えへ」
「お、おい。しっかり。ちょっとマズいな、氷枕とかあるか、サラ」
女性研究員は、慌てて立ち上がって隣の部屋に走っていく。
レリアの額は熱くなって、その瞳は僅かに光を帯び始めている。
「―――地震?」
レヴァが、辺りを見回す。
同時に、施設全体に、けたたましい非常ベルの音が鳴り響いていた。
レリアは、完全に高揚しきって、はしゃぐように、何かに取り憑かれたように笑ってギャレットの服にしがみ付く。
「あは、あはは!」
「ちょ、待て、何か来る、ヤバいヤバいヤバい!」
徐々に大きくなる地鳴り。
何かが来る、そう身構えた矢先、壁を突き破って部屋に現れたのは、異常に大きく、硬く成長した植物の根のような何かだった。
レリア自身まで巻き込もうという勢いで貫いてきたそれを、ギャレットが咄嗟に躱す。
女性研究員は驚いて蹲り、ユアンは咄嗟に避難経路を確保する。
「おい、これ、まさか」
レヴァは何か嫌な予感がしたのか、地上階へと続く階段へと走り出した。
それを妨害するように、階段の上からも蔦のような植物が這ってきて彼の足を絡めとる。
彼は、「ああ、クソが!」と叫びながら無理矢理に階段を上った。
「レリア!お前なのか、これ!止めてくれ、頼むから!」
ギャレットが必死で呼びかけるが、酔ったように笑い続けるレリアにその声は届かない。
彼女は、まだギャレットの服にしがみ付いている。
その目を煌々と光らせながら。
第二、第三と巨大な植物が壁を突き破って屋内を破壊する。
次第に、その地下空間は限界を迎えて崩壊を始める。
悪寒が走ったユアンが叫ぶ。
「ギャレット、駄目だ、そいつと離れろ!…投げろ、引き剥がしてブン投げろ!」
「ハァ!?何言ってんだユアン、そんなこと出来る訳―――!!」
最後まで答え終わるよりも先に。
彼は、眼球を赤くし、口から血を吹き出して、そのまま失神するように意識を失った。




