4-08 十字架の記憶(2)
保護された子供は、セブレムの敷地奥の研究棟、その地下にある休憩室へと移送された。
開発中の医療機器の試験にも使用されるその施設は、病院のように清潔に保たれ、壁一面は綺麗な白色で染められている。
その一室で目を覚ました女の子の目の前、偶然施設に居合わせていたマリーは、怖がらせないようにと細心の注意を払いながら彼女との対話を試みていた。
ハーフミラーの反対側、その様子を見守るギャレットとレヴァは、小声ながら、半ば言い争うように話を続けている。
「―――おい。あの子供」
「…わかってる」
「じゃあ、何故そのまま連れてきた!」
「置いてくるわけにはいかなかっただろう」
それは、言わずもがな、少女の持つ獣の耳についてのこと。
彼らも『本物』を見たことはなかったものの、その特徴が話に聞く魔女の特徴と一致することは理解していた。
マリーも、それを承知の上で自ら少女の目の前へと足を運んでいる。
問い詰め続けるレヴァに、辟易したような様子でギャレットは答える。
「そもそも、あの子が魔女だという確証も無い。あくまで耳の話は噂程度の物だろう。生物学的に因果関係が証明されている訳ではない」
「お前のその軽率さで、今あの子供の目の前にいるマリーが死んでも同じことが言えるのか」
「…」
苦虫を噛む追うな顔で、彼らはまた病室の中を見た。
部屋の壁と同じく純白のベッドに小さく座る少女は、マリーと目を合わせる事もなく、ただ床に届かない足をぶらつかせながら視線を落としていた。
「お話、できそうかな」
「…」
一向に、少女は口を開かない。
マリーの横にいる女性研究員も、数歩後ろから、不安そうにその様子を見ている。
「衛兵団に引き渡そう」
レヴァは、防音性もそれほどない鏡の反対側で、淡白にそう告げた。
僅かにそれが聞こえたのか、女性研究員は驚いたように彼らのほうを振り向く。
「…引き渡して、どうなることを想定して言ってるんだ?」
「想定も何もない。あの子供をどうするか、その判断を衛兵団に委ねるべきだと言っている」
「悪いが、さっき言った通りだ。公に衛兵団に引き渡せば、彼らは規則に従って処遇を決めることしかできない。それが、彼女にとって良い結果を生むとは思えない」
「規則に反するほうが、かえって正しいと?」
「少なくとも、目の前の命を救うという点においてはな」
ギャレットは、ハーフミラー越しの部屋から病室へと続く扉をほんの少しだけ開けた。
「マリー」
名前を呼ばれた彼女は、腰を上げてギャレットのほうへと歩み寄る。
「どうだ?何か、変わった様子は」
「…かなり、精神的に不安定な状態だと思う。ここに来る前、魔獣に襲われたんでしょう?それが、かなりショックだったのかも」
女性研究員も、話に混ざるためにマリーの隣まで近寄ってくる。
彼女は、少女本人に聞こえないように小声で、口元も見えないように手で隠す。
「その前から、様子は変でしたよね。あの子、自分から魔獣に近寄って。何か、大事なものでも取られてしまったのかな」
ギャレットが視線を送っても、少女は反応しない。
普通なら、知らない場所で、見ず知らずの大人が何人も現れれば、怯えるなり警戒するなりするものだと考えていたが、彼女はそんな様子をまるで見せることが無かった。
心配な面持ちを見せる一同の中で、レヴァだけが、怪しむような、嫌悪するような表情を見せ続けている。
そんな様子に痺れを切らしたギャレットは、彼に一言、「無理に付き合わなくていいぞ」と呟いた。
その一言が気に障ったのか、レヴァは本格的に顔を顰めて、「わかったよ」とだけ言い放ってその病棟を後にした。
翌日。
特に何かを怪しむわけでもなく、いつもどおりにセブレムへ姿を現した衛兵団の新隊長、エドワードはにこやかにレヴァに挨拶を投げた。
「どうも、新兵器開発の調子はどうですか」
「どうも。まあ、ぼちぼちですよ。納期も変化なしだ、心配しないで待っててくださいよ」
「…そ、そっか。いつもありがとう、感謝してます」
明らかに話したくないという様子に、エドも二の足を踏んで微妙な空気が生まれる。
「あ、その。プロトタイプは出来上がってると聞いたから、もしよければ、見てみたいなぁなんて思ったんだけどもぉ…」
「…ああ。構いませんよ、試運転でもしてみますか」
冷たくそう言いながら研究室に向かい始めるレヴァの背中を、エドは苦笑いしながら着いて歩いた。
「―――いいね。重量、連射性能、燃料効率。どれも前よりずっと向上してる」
「前のは、かなり突貫で作ってましたから。これなら据え置きの砲台だけじゃなく、ある程度携帯性のある武器として使えるでしょう」
「助かる。これなら、長距離移動するときにも荷台に積んでおける」
数発だけ試し打ちを試したエドは、これならどの隊員でも扱いやすい、と安心したようにそれを台の上に戻した。
「騎士団と違って、衛兵団は魔術に長けていないメンバーもいるから。物理攻撃なんて当然、影の獣には聞かないんで、頼れるのはこの武器だけなんですよ」
魔術を使えたとしても、こっちのほうが疲れないから欲しがる人が多い、とエドは苦笑いした。
「ギャレットにも挨拶がしたいんだけど、今、彼はどこに?」
「ああ、あいつは…」
地下施設に居る、と言おうとして、レヴァは口を噤んだ。
今ここで『魔女が居る』と密告することも考えた彼だったが、その後のギャレット達との関係性を考えると、下手に裏切るような真似もしたくない。
「…ちょっと、今は取り込み中で」
「そうですか」
なにか言い淀むような彼の様子に、エドは僅かに違和感を感じながら、問い詰める事もなくそう答えた。
「じゃあ、また来ますね」
そう言って施設を後にしようとしたエドは、片手を上げて挨拶をしながら、ふと窓の外に見える一本の木に気が付いて足を止めた。
「あんなところに、木なんて生えてました?」
「ん?…ああ、本当だ、なんだあれ。悪戯…なわけ、ないよな」
「…」
彼らが居る場所は一階。窓を開けて、乗り越えるように外に出た彼は、その青々と生い茂る木に手を添えて、それが只の代物ではないことを理解した。
「エドさん?」
その問いかけに答える事もなく、エドは小走りで、『何か』を感じたその方角へと向かっていく。
それは、ギャレット達が魔女の子供を保護している施設の方角。
「ちょ、ちょっと!おい!」
慌てて引き留めようとするが、小走りでもかなりの速さで走る龍人の足には着いて行けず、レヴァは引き離されていく。
彼の姿はみるみるうちに例の施設へと近寄っていき、瞬く間に魔女の子供がいるその地下室へと姿を消した。
「―――ギャレット!」
レヴァがその病室前まで辿り着いた時、ギャレットもマリーも、取り乱す事もなく病室内の様子を見ていた。
「レヴァ」
そう名前を呼ぶギャレットは、少し驚いた様子でそう名前を呼び返す。
「お前が相談したのか?」
「違う。俺は何も」
そう息を切らしながら、病室へと視線を送る。
そこには、少女と目線の高さを合わせるように屈んだエドが、真っ直ぐに彼女と対話を試みている姿があった。
少女の手に触れたエドの双角は、青く輝いている。
「苦しかったんじゃないのか。大丈夫?」
そう告げられた少女は、小さく、非常に小さく頷いて、呼吸を整えるように息を吐いた。
「名前は?」
「…レリア」
その短い答えに、エドは「いい名前だ」と笑う。
彼は、少女の頭の上にある猫の耳に気が付いたうえで、それを巻き込むように頭を軽く撫でた。
「なぜわかったんだ、エド」
ギャレットは、何も言わずにここまで来たエドに対して、当然の疑問を投げかけた。
「近くに、見覚えの無い木が生えていた。触れたら、普通の植物とは思えないような魔力の流れをしていたし、機械から発されるような単調な周波でもなかったから、何事かと思って」
「見覚えの無い木、か」
「理屈はわからないけど。その子の力が、近くにある植物の成長を促進させていたんじゃないかと思う」
エドから視線を向けられて、今もベッドに小さく座るレリアはふと目を逸らす。
「俺達には感じ取れないが。その子は、それほどの魔力を発しているのか」
「ああ」
エドは小さく頷いた。
レヴァが、部屋の隅で呟く。
「普通、人間の身体からそれほど強い魔力は生まれない。龍人も同じだ。己の内からそれほどの魔力を生成することが出来る生物は、この世で二つ、魔獣と魔女だけ。そうだろう」
「そうだ」
「つまり、その子供は魔女であることが確定したと」
彼らは、レヴァの言わんとすることを理解して、苦しそうに視線を下げた。
「法に従うなら。その子供は」
「やめろ、レヴァ」
声は荒げず、ただ重い声で、ギャレットが発言を止めた。
エドも、まだ迷っているのか、黙ったままで居る。
「おい、エドワード。お前、衛兵団の隊長だろう。龍騎士だっただろう。何を悩んでる、お前のやるべきことを考えろよ」
マリーが、「お願い、少し待ってよ」とレヴァを引き留める。
「…何だよ。俺が、おかしいのか?俺が今までの人生で見てきたものが、間違いだったのか?じゃあ、何で―――」
一瞬、脳裏に浮かんだのは、いつかの日の十字架。
彼は、途中まで言いかけて、周囲からの視線に気が付いて口を閉じる。
「―――何だよ、意味が分からねぇ。くそ、くそ!」
少しの沈黙の後。
レヴァは、部屋に響くほどの大きな舌打ちをして、大きな音で扉を開け放してその場を後にした。
「…様子を、見よう。これは、きっと。僕達が、この世界のほうが変わらなければいけない、そういう話だと思うから」
エドは、静まり返った部屋の中で静かにそう呟いた。
「…」
レリアは、大きな音に影響を受けたのか、ふらふらと頭を揺らし始める。
「レリア?」
その呼びかけに答える事もなく。
彼女はそのまま意識を失って、力なくベッドに倒れ込もうとするのを、エド達は慌てて受け止めて、ゆっくりと寝かせるように身体を支えた。




