4-05 混乱と白い獣
同日の昼、セブレム敷地前、正門。
波のように押しかけた群衆は、最早怒号に近い喧騒とともに、組織の責任者を出せと声を上げていた。
「ユアン・クラフェイロンはどこにいるんだ!」
「新聞の件は真実なのか、話を聞かせろ!」
「本当に地図の場所に魔女が居るのか!」
群衆の中で互いに押し合いながらそう叫ぶ彼らは、怒りと言うべきか、不安と言うべきかわからない面持ちで、奥に見える研究所を睨みつけている。
「―――皆さん、落ち着いて!押し合わないでください、怪我人が出ています!」
騒動を聞きつけて出動していた衛兵団員達は、彼らを制することも出来ずにただそう呼び掛け続ける。
当の、名前を呼ばれ続けている代表責任者は、その数時間にもわたる抗議の声に対して、一向に姿を現すことは無かった。
徐々に立ち込める雨雲が、彼らの不安を助長するように辺りを暗くする。
「―――な、なんなんですか。この有様は」
心配になって駆けつけていたフェリスは、少し遠くからその様子を目の当たりにしていた。
背後から見た限りでも、この街の住人殆どがそこに押し寄せているのではないかと言う程の人の群れ。
最早各々が何を言っているかは聞き取れず、ただ閉じられた正門を突き破ろうかと言う程の怒気だけが彼女を圧倒していた。
「危ないですから、近寄らないで」
そこに現れたのは、どこかで見覚えのある黒い髪の衛兵団員。
「ああ、あなたは。えっと、翌夜祭の時の」
「テオです。あんたは…リュックさんの知り合いでしたっけ」
翌夜祭の日にはリュックやウィルと一緒に見回りをしていた青年、テオドールの姿がそこにはあった。
彼は努めて冷静に、諭すように警告する。
「何が心配でここに来てんのか知らないっすけど、危ない物を持ってる輩も居る。巻き込まれたくないんだったら帰った方がいい」
そう言われても、フェリスは帰ろうとせず、何か言おうと視線を泳がせる。
そんな彼女の顔を見て、何かを思い出したように、テオは目を見開いた。
「…ああ。あんた、そうか。あいつの幼馴染の」
「え」
「心配なやつが居るから、様子を見に来たのか?」
フェリスは、図星を突かれたように肩を揺らす。
そんな彼女の素振りの意味を察したのか、それが気に入らなかったのか。
彼は目を逸らしながら、冷たく言い放った。
「そうやって、いつもあいつの面倒見ようとしてんだな、あんた。そりゃ、腑抜けにもなるだろうよ、クロの奴も」
「んな、な」
それほど面識のない人物から急に刺すような言葉を向けられて、フェリスは困惑したままでテオに視線を返し続ける。
「―――わりぃけど。今、そう言う話をしてる場合じゃない。協力してくれないか」
そう突然に横から声を掛けたのは、丈の長い上着と帽子で素性を隠しながら現れたクロ本人だった。
◇ ◆ ◇
「―――ユアンさんが、行方不明になった?」
訝しげにそう反芻するテオは、疑うようにそのまま言葉を続けた。
「逃げたんじゃねぇのか。隠してた不都合な事実がバレたから」
「んな訳、ねぇだろ。先輩はそんな人間じゃねぇよ」
攻撃性すら感じるその言葉に、クロは憤慨するように睨み返す。
「エドさんは、何処に行った?」
そうクロに問われて、テオは背後の騒動の様子へと視線を送る。
「ああいうストライキが起きてるのは、セブレムの目の前だけじゃない。セブレムが医療機器を提供した病院とか、関わりのある施設とか、どこもかしこもで人が集まって大変なことになってんだ。その中で発生してる暴力沙汰とか、どさくさに紛れての犯罪行為とか、そういうのを抑止するのに走り回ってる。各地で動いてる衛兵団員の指揮で手一杯だ」
「…じゃあ、先輩の行方不明の話はまだ届いてないか」
「かも、しれないな」
テオは、諦めの混じった顔で鼻笑いをする。
「つうか青髪のあんた、ウルフセプトの人なんだろ。色々と噂の立ってる組織なんだから、そっちこそ騒動の巻き添えになってるんじゃないのか。オーナーはどうした?」
「店舗は、同じように人が押し寄せて大変なことになってますよ。カミヤさんも、他のメンバーも、危ないから外に出るなって伝えてます」
クロが「ノエルさんは?」と聞くと、フェリスは「さっきから連絡が取れなくて」と携帯を見つめた。
クロが、フェリスの腕を掴んでどこかへ連れて行こうとする。
「ちょっと、確認したいことがある。こっち来い」
テオは、何も言わず、立ち去っていく二人を視線だけで追う。
引き留める事もなく、ただ遠ざかっていくその背中だけを見つめていた。
「今朝の新聞、読んだよな」
「うん」
「示されてた地図の場所。お前、知ってるか」
「…よく、知らないけど。でも、もしかして、とは思ってる」
クロは、真剣な顔で前だけを見て話す。
「俺も記憶は定かじゃねぇけど。あの辺りに、レリアちゃんの家があるって聞いた覚えがあるんだよ」
「…」
「エドさんが、今どう動いてるかはわかんねぇ。でも、もしかしたら俺らが動かないと危ないかもしれない」
あ、えっと、とフェリスはあたふたしながら返事を考える。
彼女が何か言葉を発する前に、クロが先に次の行動を口に出していた。
「とにかく、先ずはマリーさんの家に行く。状況を確認しないといけない。―――もしかしたら、先輩もそこにいるのかもしれねぇ」
フェリスは何も答えないまま、ただこくこくと首を縦に振って応じていた。
◇ ◆ ◇
「くそ、意味分かんねぇ、意味分かんねぇ!」
酷く怒って早足になるクロは、フェリスの腕を掴んだまま、次に向かうべき目的地を決めあぐねたままで歩き続けていた。
「なんだよ、マリーさんが魔女匿いの容疑で捕まったって。それに、何でこんな早くに騎士団がこの街まで駆けつけてるんだよ、いくらなんでも動きが早すぎるだろう!」
―――彼らがマリーの家まで駆けつけた時、既にその家に家主の姿は無くなっていた。
代わりに門の前に立っていたのは、見覚えの無い騎士団員の姿。
『マリー・ラカミエは我々が捕縛した。ユアン・クラフェイロンと共謀して魔女をどこかへ隠れさせている疑いが掛かっている』
騎士団の男達はそれ以上の情報を何も言わず、問答無用で二人を門前払いにしていた。
「あいつら、パリの街で見た憶えも無いぞ。本当に、騎士団員なのか!?」
「ねえ、クロ。待って、ちょっと待って」
フェリスに呼び止められて、クロはようやく足を止める。
「今、これ、どこに向かってんのさ。闇雲に歩いてどうするの」
「…エドさんを探すしかない。居なくなった先輩のこと、捕まったマリーさんのこと、今の騒動のこと、偽物臭い騎士団員のこと。どれもこれもが、怪しすぎる。レリアちゃんが無事かどうかも、リュックさん達が今どこで何してんのかも、早く確認しねぇと」
「エドさんがどこにいるかだって、わかんないよ。安全な場所で、待ってようよ。何回も電話かけたら、いずれは出てくれるかもしれないよ。衛兵団も動いてるんだし、下手に動くべきじゃないよ」
クロは、手元の携帯を見ながら呟く。
「…じゃあ、自分の携帯見てみろよ」
「…?」
フェリスも、ポケットから自分の端末を取り出して、その画面を見る。
目に入るのは、『圏外』の文字。
「あ、あれ。何で?街の中なら繋がる筈なのに」
「通信システムも、おかしくなってる。この様子じゃ多分、衛兵団同士の連携も碌に取れてない」
「…」
「この状況で、何でパリに居るはずの騎士団が、朝出た速報を既にキャッチしてこの街に辿り着いてるんだ?何で記録に名前も載ってないマリーさんまで、関係者だとバレた?」
クロは、苦虫を噛むように言う。
「全部、おかしいんだ。ただの情報漏洩じゃない。誰かが、悪意を持って俺達を攪乱してる」
少し深呼吸をして、怒りを落ち着けた彼はフェリスと目を合わせた。
「…悪い。お前は、もう安全なとこに帰ってくれ。カミヤちゃんのこともそろそろ心配だろ」
「それは、そうだけど。クロは、どうするの。まさか、レリアさんの家まで行くつもり?」
「そうするしか、今は手立てがない。どうせセブレムに戻ってもまともな状況じゃないし、俺の技能じゃネットワークの復旧も難しい」
フェリスは、不安そうな顔でクロの顔を覗き返す。
それじゃあ、と立ち去ろうとするクロを引き留めるように、彼女はその手を掴んだ。
「…じゃあ、私も行く」
少し引き気味に、クロは言葉を返す。
「いいって。俺は、この騒動とかセブレムのこととか、何とかしなきゃいけない立場だから動いてんだよ。お前は、ただ迷惑を被ってる被害者だろ。エセ騎士団に目を付けられるようなリスクを負う必要はない」
「私だって、ただ膝を抱えてみんなの無事を祈ってるだけじゃ嫌だよ。この目で、確かめたい。みんながちゃんと無事で居るのか」
「ああもう、ほんと勝手なやつだな」
「あんたに言われたくない」
売り言葉に買い言葉でそう返すフェリスに、これ以上説得しても無駄だと理解したクロは、「わかったよ」と小さく返す。
「俺、あの誘拐事件の時ほど無鉄砲なことしないから。そんな目で見んなよ」
「…信頼できないな、見張ってるよ」
「もう、勝手にしてくれ」
「勝手にします」
そんなやり取りをしながら、二人はレリアの家があるであろう場所へと足を踏み出そうとした。
「―――ねえ、あれ」
その矢先、フェリスが何かに気が付いて、その視線に映るものを指差した。
そこにいるのは、真っ白な毛玉のような生き物、一匹の犬であった。
「サモエド?」
「私、あの子、知ってる。ちょっと前、リュックさんとエリアさんが散歩させてるのを見た覚えがあるの。おんなじ首輪してる」
「…なんか、持ってるな」
そこにいる犬、一号は口に便箋のようなものを咥えていた。
フェリスがゆっくりと近づくと、逃げもせずに座ったまま、ゆっくりと尻尾を揺らしている。
その口元の便箋をつまむと、それを渡すように一号はほんの少し口を開いた。
便箋を開く。
『偶然にこの書置きを読んだ貴様。上手くいけばウルフセプトの小娘が読んでいる筈だが。エドに伝えろ、レリアのことは余がどうにかする、と。そんなことよりも、リュックとエリアを探せ、本当に取り返しのつかないことになる。奴らの因果はよく見えぬが、そんな気がして仕方がないのだ。すまないが、余はこれ以上手が回らぬ。頼んだぞ、非力な者たち』
「…この腹立つ言い回しって」
「知ってるのか?」
「一回、ウルフセプトに来てた人。確か…レテ、って名前だったと思う」
「信用できるのか?」
「わかんないけど…レリアちゃんの人形、一生懸命直そうとしてたよ。悪い人じゃないと思う、多分」
「…」
手紙の最後には、『エドがいるであろう場所』が書かれている。
それが示すのは、街の南西側、ノエルが送別会に行くと言っていた辺境の一帯であった。
「…行こう、急いで」
「ああ」
二人は急ぎ足で、その場を後にして走り出す。
それはそうと、二人はごく自然に手を繋いでいたことに気が付いて、唐突に顔を赤くしてその手を離した。




