4-02 別れの前夜
昼下がり、またいつもの大通り。
移動がてらに辺りを巡回するリュックのもとへ、嬉々として駆け寄る誰かの姿がそこにはあった。
「あ、あの。エドさんですか!?」
ああ、いつもの人違いか。
そう思いながら、彼女は振り返る。
「ん。こんにちは、違いますよ」
「あ!」
駆け寄ってきていた銀色の髪の女性は、しまった、というように手で口を覆って見せた。
リュックより少し背の低い女性は、顔立ちも相まってやや幼く見える。
「ごめんなさい、私の早とちりで」
「大丈夫ですよ。よく間違われるんです、雰囲気が似てるからって」
リュックが笑ってそう返すと、女性は口を押さえたままで、きらきらした目で彼女を見上げる。
「衛兵団の方、ですよね。本当、よく似てますけど、ご親族かなにかですか?」
「あはは、それもよく聞かれる。違いますよ、血縁上は全然他人」
「へえ。兄妹みたい」
そう言いながらリュックを見つめる女性は、何やら気恥ずかしそうに目を泳がせた。
そんな女性の姿に、リュックもなんだか見覚えを感じてふと顔を見つめる。
「…わ。どうしたんです、私の顔に何かついてます?」
エドに似た人物から見られているからか、女性は少し顔を赤らめている。
「いや、違くて。どこかでお会いしたことあったかな、って」
「会ったこと、ですか。あんまり、無いと思いますけど」
そう言って目を伏せた時の表情を見て、リュックは「ああ」と手を叩いて見せた。
「ノエルさんだ。ウルフセプトに居るんですよ、目元とか、髪色がよく似てる人が」
「あ、ああ。お知り合いの方なんですね、うちの姉と」
「え?」
女性は、たった今リュックが思い浮かべた人、ノエルの実の妹であった。
人違いでリュックに話しかけたのは、近々彼女がこの街を離れる前に、一度でもいいから挨拶をしておきたかったから、なのだと話す。
「本当は、夫と私の送別会にも是非出て欲しかったんですけど」
「送別会?」
夫と聞いて、結婚できる年齢なのか、とリュックは内心で驚く。
「はい。私の夫、この街で役人をしてたんです。でも、フルリールの街で財務に携われる人間が居ないからって、急に向こうに出向かされることになっちゃって。だから、私も一緒にその街に引っ越して、そこで暮らすことになったんです」
「じゃあ、お姉さんともあんまり会えなくなるんですね」
「そうなんです」
フルリールの街、と聞いて彼女が思い出すのは、エリアと共に最初に旅に出た時のこと。
いずれは自分たちもそこへ行ってみたいな、と思いを馳せる。
二人は道の脇に建てられた柵に体重を預けながら、互いを横目に見て話を続けた。
「姉がエドさんと縁があるって言うから、誘って欲しいってお願いしたんです。でも、やっぱり忙しくて誘えそうにないって。だから、せめて贈り物でも準備して、直接渡せたらいいなと」
「それで、街で私…エドに似た人がいたから、声を掛けたと」
「そう、です。ごめんなさい、お忙しいのに」
「全然、エドと比べたら」
女性は、申し訳なさそうに視線を下げた。
ふと、何かを思いついたのか、女性はリュックとまた向き合うように体勢を立て直す。
「あの、私、デボラって言います」
「あ、私はリュックです」
急な自己紹介に若干戸惑いながら、リュックもそう返す。
「あの、さっき言った送別会ですけど。うちの姉も来ますし、良ければ参加しませんか?食事とか、色々お出ししますし」
「え?いや、そんな。身内での催しだろうし、私が邪魔しちゃ悪いかも」
「結構色んな人を呼ぶつもりなので、大丈夫ですよ。参加費なんて取りませんので、是非」
食い気味な誘いに押し負けて、「そ、そこまで言うなら…」とリュックは一歩引く。
ほっとしたような顔で、デボラは視線を逸らす。
「その、よければ、エドさんへの贈り物も代理で受け取って貰えたらな、と」
「ああ、そういうことですね」
それでようやく納得がいったのか、彼女は安堵の表情でその誘いを快諾することに決めた。
「行きますよ。エドへの手紙でも何でも、ちゃんと本人へ渡します」
「わ、やったぁ」
デボラは僅かに跳ねるように身体を揺らす。
「えへへ、ごめんなさい。お姉ちゃんが居たら、怒られるな、こういうの。自分に都合のいいことばっかり言うなって」
そう言って照れ笑いをするデボラの顔を見て、リュックの脳内には、なんとなくカミヤやフェリスの姿が思い浮かぶ。
こういう子達に好かれるのがノエルという人なんだろうな、とリュックは少し笑った。
「ねえ、よければ私の友達も連れて行っていい?」
「勿論、何人でも連れてきちゃってください。賑やかなら賑やかなだけ嬉しいので!」
「ありがとう」
送別会の実施は翌週の午後。
場所は、バルベナ南西部の農村地域。
デボラが持ち歩いていた小さな招待状のカードを受け取ると、彼女は小さく挨拶をしてその場を後にする。
結婚という人生の転換は、自分自身にはあまり縁が無いものだと思いつつも。
人が幸せにしている姿を見られるのは自分にとっても良い事だ、と心を和らげながら彼女はその日を過ごした。
その日の夜のこと。
お互いに仕事を終えてマリーの家に帰って来たリュックとエリアは、同時に何かを言い出そうと口を開きかけた。
「「ねえ、来週なんだけど」」
驚いたように、双方が口を閉じる。
傍らにいたレテは、もぐもぐと食事をしながらそんな二人を眺める。
「どうしたいきなり」
そんなレテの問いかけには、二人は特に答えない。
テーブルを囲んでいるのはリュック・エリア・マリー・レテの四人で、レリアは郊外の屋敷へと姿を消している。
「…来週、どうしたの?」
リュックが、少し面白そうにそう問いかける。
「あ、あのね。来週、今まで診察してた患者さんが遠くの街に引っ越すから、送別会をするんだって。それで、私、参加しないかって誘われてて」
まさかとは思っていたリュックだったが、その言葉を聞いて目を見開いた。
「その患者さんって、もしかして最近結婚した人だったりする?」
「え。うん、そうだよ。だけど、その矢先に異動の辞令が出ちゃったから、奥さんと一緒に引っ越すんだって」
「奥さんの名前、デボラさん?」
「…そんな名前だった気がする!」
エリアは、何か良い偶然を感じ取ったのか、羊の耳を小さく跳ねさせる。
「えっと、それでね。私は送別会に行くことにしたんだけど、マリー先生は用事があっていけないから。誰かと一緒に行きたいなって思ってて」
「私も一緒に?」
「そう!」
レテが若干不満そうな顔をしているが、リュックは構わず首を縦に振る。
「私も、誘われたんだよ、その送別会。奥さんのほうから。―――デボラさんって、ノエルさんの妹らしいよ。ウルフセプトで会った、銀髪のあの人」
「ほぇー。偶然もあるもんだね」
「ね。私、その人から、エドと間違えられたの。それで知り合いになってさ」
マリーは食事を続けながら、「話が早いねぇ」とにこにこ笑う。
「その旦那さんは、結構有名な人なんだよぉ。お金の話はかなり詳しいから、衛兵団やセブレムの人からも相談されてたりしたんだって」
「じゃあ、そのあたりの知り合いも多いのかな」
リュックがそう聞くと、「そうだと思うよ。共通の知り合いもいるかもねぇ」とまた穏やかに話した。
「じゃあ、リュックとエリアは来週一緒にそこへ行くのだな」
そう不愛想に聞くレテに、リュックが仕方なく「レテはいいの?」と問う。
「余は、いい。最近はなんだか具合が良くないのでな。お土産に期待している」
「送別会のお土産なんか求めないでよ」
リュックは少し呆れながら、そんなレテに冷ややかな視線を送った。
「ていうか、具合悪いなら診てもらったら?二人も医者がいるんだから」
「そういうのではないのだ。なんというか、因果の流れがよく見えぬというか。余の中の魔力とか神性みたいなものが、なんとなくバグっている感じがするのだ」
「なに、それ。どうやったら治せるの?」
「分からぬから困っている。権能の不具合など、話してまともに理解できるのは龍神くらいのものだ」
「ふうん…」
興味が無さそうなリュックだが、マリーは僅かに心配そうにレテの顔を覗き込んだ。
「神様も、いつも本調子なわけじゃないんだねぇ」
「まあ、それでも神なので尊ばれるべき存在な訳だが」
あくまでも強がるレテの様子に、リュックは「まあご飯食べる元気はあるし、大丈夫だよ」と軽く流すのだった。
◇ ◆ ◇
送別会の日も近くなった、とある日。
週に一回の診療を続けている、一人の役人の元へとエリアは足を運んでいた。
「今日で最後だね、君に経過を診てもらうのも」
名をマクスと言うその男性は、長年患っている腕の火傷のような傷跡の治療を求めて、マリーとエリアからの診療を依頼していた。
完全に治ることは彼自身も無理だと自覚しているものの、時折生まれる強い痛みだけは和らげたいと、投薬や経過観察を彼女達へ頼んで足を運んでもらっている。
「くれぐれも、無理はしないでくださいね。ストレスや疲れも、痛みの原因になりますから」
エリアがそう話すと、彼は「ええ」と頷いて見せた。
「明日は、来られそう?友人も呼びたい、と言っていた気がするけど」
「勿論。そうそう、先週話した子、リュックっていう子ですけど。奥さん―――デボラさんが、もう誘ってたみたいですよ?」
包帯を巻きなおしてもらいながら、マクスは「デボラが?」と驚いて見せる。
「偶然会ったんだって。デボラさんが、衛兵団の隊長さんと見間違えて声を掛けた相手が、その子だったんです。それで、話の流れで送別会にも誘われたんだって、本人が言ってました」
「そう。面白い偶然もあるものだ」
「ね」
穏やかに笑うマクスの様子を見て、エリアも嬉しそうに目を細めて見せた。
「…そういえば。ふと思い出したんだけど―――君は、クラフェイロンの所のご兄弟とは知り合いだったりするのかい?」
「クラフェイロン?」
聞き覚えのある姓だな、とエリアは視線を上げる。
「ええと…あ。そうだ、ユアン先生の苗字でしたっけ」
「そう。やっぱり知り合いなんだね、あの兄弟とは」
「兄弟?」
ユアン・クラフェイロンという本名に聞き覚えはあったが、彼に兄弟がいるという話は記憶に無く、エリアは首を傾げた。
「…それは、聞いてないんだ。彼の兄は医者としても優れていたから、むしろそちらと知り合いなんじゃないかと思っていたのだけれど」
マクスは、少しばつが悪そうに視線を下げる。
「ギャレット・クラフェイロン。ユアンの兄だよ。彼には、挨拶できていないんだ。この街を去る事も何も伝えていない」
思い出してみても、ユアンが自身の血縁者の話をしていたような記憶はエリアには無い。
「その、ギャレットさんって。今、どこにいらっしゃるんですか?」
「…いるよ。この街に」
おかしいな、とエリアは首を傾げる。
「中央病院の、特別病棟。あそこ、行ったことあるかい?」
「…ない、です。特別な権限が無いと入れない、ってマリー先生から言われて」
「あそこにいるんだよ」
はっとして、エリアは少し身を引く。
「病気なんですか」
「…病気、なのか怪我なのかはわからないけど。二年前、セブレムの事故があって以来。彼は、ずっとそこで寝たきりになっている。時々、目は覚ますみたいだけどね」
今まで知りもしなかったユアンの親族の話に、エリアは驚くとともに。
二年前の事故、と聞いて、頭の片隅にはレリアの面影が浮かんでいた。
「…」
「ああ、その。すまないが、今僕が話したことは、聞かなかったことにしてくれないか。きっと、ユアンは敢えてその話をしていないんだろうから」
静かにエリアは首を縦に振る。
マクスは、「これも、僕の独り言。聞いて欲しいけど、聞かなかったことにして欲しい話だ」と前置きして口を開く。
「ギャレットは、セブレムでの優れたリーダーであり、同時に優れたエンジニアでも、医者でもあった。人の役に立てる事ならなんでもしようという志の持ち主だったんだ」
思い出すように、彼はそう話す。
「今、この街の病院施設に置かれている医療機器の多くがセブレム製なのは、君も知っているだろうけど。その殆どを開発したのは、ギャレットその人だった」
今、エリアが持参している診察用の器具の中にも、セブレムのマークが刻まれているものがいくつかある。
体温計の一つにも。
「開発は続けたいが、かといってセブレムを赤字にして職員を苦しませるわけにもいかない。どうにかしてバルベナからの支援が受けられないものかと、よく僕に相談に来ていた。喜んで協力したよ、僕も助けられた人間の一人だったからね」
そう言って、彼は巻き終わった腕の包帯を眺めた。
「魔術素子の研究。そこから派生して、彼は電磁波で人の体内の状態を読み取る装置も開発した。それで僕の腕の治療法も見出して貰えたんだけど…それが、今の所、彼の最後の発明品だよ。それが出来た直後くらいに、セブレムでの事故が起きた」
視線はそのままに、彼は続ける。
「あれは役に立てるべき優れた代物だった。彼一番の功績だ。―――でも、事故以来、何故かその機械に関する情報は一切公開されなくなったんだ。事故そのものと関係があるかは、わからないけど。…本当に、今でも残念に思ってる」
マクスは、少し悲しそうな顔をした後で、気を取り直したように視線を上げてエリアの顔を見た。
「ごめんね、どうしても誰かに呟きたくて。彼らには、ちゃんと僕自身から挨拶しに行くことにするよ。特別病棟にも、頼めば入れてもらえると思うから」
「…はい」
二年前にセブレムで起きた事故の詳細は、未だにエドからもユアンからも聞いてはいない。
ただ、それが理由で、彼等や、レリアが時折苦しそうな顔をすることにエリアは気が付いていた。
―――そういえば、あの時の誘拐犯は、結局のところ、何を求めて私達を連れ去ったのだろう。
そんなこともふと思い出しながら、彼女は翌日の送別会へと続く夜を過ごした。




