4-01 さがしもの、探し人
見覚えのある通学路だった。
何処に向かうための道だったのかは、はっきりとは思い出せない。
ただ、隣で一緒に歩いているその人が誰だったのか、それは、今。
ようやく、思い出すことができた。
―――私には、双子の姉がいた。
春瑠という名前の姉。
一卵性双生児の私達だったが、母のお腹から出てきた順序で、便宜的に姉と妹の関係が作られた。
始めは単にそう決められたから、という理由だったが、時間が経つにつれて、姉のほうが頭の出来も私よりずっと良く、運動神経も段違いに高いことは明確に見え始めていた。
普通は、そんな姉が居たら嫉妬したり、ひがんだりするのかもしれないけれど。
私は、純粋にそんな彼女の事が誇らしくて。
敬いの意味を込めて、私は彼女のことを『春瑠姉』と呼んで心から慕っていた。
春瑠姉は、賢いのと同時に、少し変わった面も備えていた。
まず第一に、良くも悪くも、「何を考えているのかが分からない」、と言われることの多い人だった。
幼少期には、純粋に賢い故に、他の人が考え付かないようなアイデアを生み出して周りを驚かせることもあれば。
高い所にある者を取るために犬を踏み台にするような、やや道徳性にかける発言をして、大人から怒られることもしばしばあった。
特別、非道な行いをしていたとか、性格が悪かった、とかではない。
ただ、単純に「意味が分からない」と言った様子で、彼女には他者の心情や命を尊重するという価値観が欠落していたのである。
時には、相手が喜ぶ行動、嫌がる行動、それら全てを理解したうえで、意図的に他者を自分の思い通りに動かしてしまうような、そんな恐ろしい才能の片鱗を見せていたような気がする、と、今になって思う。
いつもどこか別世界を見ているような、不思議な眼をしていた春瑠姉だったが、そんな彼女が時折私に見せる笑顔は本物で。
この間の、ワルプルギスの翌夜祭の時にも、その笑顔が私の脳裏には一瞬だけ浮かび上がっていた。
確か、私達が小学生になってすぐの夏祭り。
迷子になりかけて半泣きだった私を彼女は簡単に見つけ出して、何も言わずに空を指差して。
空に上がった火の花に夢中になっている私の手を握って、「楽しいね」とだけ呟いていた。
彼女が、本当に「楽しい」という感情を理解していたのかはわからない。
でも、私には、そんな彼女の笑顔が、自分にしか見せない本当の顔のように見えていて。
私とまるで同じ顔立ちのその人を見て、「こんな優れた人になれたらいいのにな」と、ぼんやりと考えていたのを思いだした。
最後に会ったのは、いつだったっけ。
あの頃の私の、最後の瞬間は、暗く苦しい何かに埋もれていたことしか憶えていなくて。
でも、そんな中でも。
最後の最後まで私のことを見ていてくれたのは、春瑠姉だったような。
そんな気が、していた。
◇ ◆ ◇
ウルフセプトの役員室。
仕事を進める片手間、ノエルは携帯端末を片手に大きな溜息を吐いていた。
「どしたの、ノエル。ため息つくと、幸せが逃げちゃうよ」
社長机から少し離れたところで、カミヤは大き目の椅子に座り込んでスケッチブックを抱えている。
どうやら次の製品のデサインを考えているらしい彼女は、ペンを鼻と口の間に挟みながら、視線だけをノエルのほうへ送る。
ノエルは頬杖をついて、携帯の画面を眺めたままで返事をした。
「―――いや、ね。この間、結婚したんだけど。旦那さんが、遠くへ長期出張に行くみたいで。それ絡みで、色々と頼みごとをされちゃって、どうしたものかと考えてたのよ」
「出張かぁ。遠出するってなると、移動も大変だから、そうそう帰って来れなくなっちゃうもんね。身の回りのこととか、引継とか、色々と大変に、今なんて言った?」
カミヤの背後で、たまたま資料を整理していたフェリスは、その全てをバサバサと床に落とす。
「ん?いや、頼み事って言ってもそこまで骨が折れる頼み事じゃないんだけどね。ただ、頭を使うというか…」
「そこじゃない、そこじゃないよノエル。結婚?結婚って言った?」
疲れた目でカミヤと目を合わせ続けるノエルは、一瞬間が空いてから、誤解を与える言い回しをしていることに気が付いて激しく手を仰いだ。
「違う、違う、私じゃないわよ!?妹!妹が結婚したんだけど、その旦那さんが遠方に出張に行くから、それで色々と悩んでたの!」
―――詳しく話を聞くと、ノエルの妹が結婚相手と一緒に離れた街で暮らすことになるらしく、その関係で、妹から色々と頼みごとを受けている、ということを言いたかったようだった。
「びっくりした、私達に何も言わずに既婚者になったのかと思った」
「流石にそうなったらちゃんと言うわよ!そこまで不義理じゃないわ、私」
そう話す二人の傍らで、フェリスはバラバラになった資料を順番通りに重ね直している。
ノエルが妹に先を越されていることについては、誰も触れようとはしない。
「じゃあ、妹さんの荷物の預かりとか、そういう頼み事でもされてるの?」
「それもあるけど、悩んでるのはそこじゃなくて。最近お世話になった衛兵団の人に、ちゃんとお礼をしてから旅立ちたいって言われてるの」
「衛兵団の人?」
カミヤは椅子の上でスケッチブックを抱えたままで、興味深そうにノエルの顔を眺める。
「有名な隊長さん。エドさんのこと」
「あ、エドね」
知っている人物の名前が出て、カミヤは短く頷いた。
「前に、私と面識があるって言ったのを覚えてたみたいで。彼の好きなものを教えて欲しいとか、確実に会える時間帯を聞いておいて欲しいとか、一方的に頼まれちゃって」
「エドと確実に会える方法かぁ…」
カミヤがちらりとフェリスのほうを見ると、彼女は「無いんじゃないんですかね…」と呟く。
「まあ、そうよね。お礼の品は、この際私が預かっておくとして…二人共、エドさんの味の好みとか知らないわよね?」
そうノエルが聞くと、カミヤもフェリスも揃って首を横に振った。
「そういえば好みも苦手も、聞いたことないなぁ」
それなりにエドと関わったことのあるカミヤでも、彼のことを改めて問われると、知らないことが多いと気付く。
フェリスが「妹さん、よっぽど感謝したいことがあるんですね」と聞くと、ノエルは「そうみたい」と頷いた。
カミヤは用事でもあるのか、ぱっと立ち上がってスケッチブックを閉じる。
「近いうちに会えたら、ちらっと聞いてみるよ」
「ありがとう。まあ、無理なら、妹には茶菓子でも買うことを勧めておくわ」
「おっけー」
カミヤは指で丸を作ると、フェリスを連れてそのまま部屋の外へと去っていった。
「…他にも、頼まれごとはあるけど。何でもあの子達に甘えちゃ駄目ね、後は自分で考えよう」
二人が去った役員室の中で、ノエルは何の気も無しにそう小さく呟いていた。
◇ ◆ ◇
数日後。
とある貴族邸にて新しい衣装のイメージ合わせをしていたカミヤは、一連の仕事を終えてフェリスと街中を歩いていた。
「ん。カミヤさん、あれ、エドさんじゃないですか?」
「ほんとだ。珍しいね、この辺歩いてるの」
二人は、遠目に、エドが露店街で聞き込みか何かをしている姿に気付く。
「…いや、だから。聞きに行けるんじゃないですか?こないだの、ノエルさんの件」
「あ!わっすれてた」
「早いですよ忘れるの」
「てへ」
お茶目に舌を出して誤魔化しながら、カミヤはふらふらとエドのほうへ近寄っていく。
「―――そうですか。ありがとうございます」
「や、隊長」
露天商にお礼をしてその場を去ろうとしていたエドを、カミヤは下から覗き込むようにして呼び止める。
「うん?―――あぁ、カミヤ。久しぶりだね」
それほど驚く様子もなく、エドはいつも通りの笑顔でカミヤに挨拶を返した。
カミヤの後ろから歩いてきたフェリスが、興味深そうに声を掛ける。
「何か、聞き込み中ですか?」
「うん、ちょっとね。市場に出回ってる魔道具の調査とか、そういう話」
「魔道具ですか。なんだか、最近は怪しいものが出回ってるなんて噂もあるんでしたっけ」
フェリスがそう言うと、エドは不思議そうに目を見開く。
「それ、誰かから聞いたの?」
「あ。えと、その。クロ…セブレムに居る知り合いから、ちょっぴり。変なもの買うなよ、って」
「ああ、彼か。注意喚起してくれてるのか、有難いな」
そう笑うエドへ、カミヤが割って入るように「怪しい魔道具って、どんなの?」と質問する。
「見た目じゃ、あまり判別がつかないんだけどね。刻まれている術式を見ると、犯罪に転用できてしまうようなものだったり、禁術だったりするんだよ。大概は入手経路が正規の魔道具商を通していないから、そういう取引が周囲で行われていないか、聞き込みをしてた」
「へえ」
難しいなぁ、という顔でカミヤは小さく頷く。
「それって、正規品だと思って買っても、実は違法な魔道具だった…とかもあるんですか?」
フェリスがそう聞くと、エドは「あるね」と短く返す。
「それなら、ウルフセプトでも縫製部あたりは調査した方がいいかもですね。効率化の為に、いくらか導入しているものがあるので。もし問題なければ、私達で専門の人を雇って確かめてもらいますけど」
「ああ、凄く助かる。今、衛兵団、非常に人手が少ないから」
その返事に、少しだけ訝しそうにフェリスはエドの顔を覗き込んだ。
「エドさん、休んでますか?」
「ん。休んでるよ?」
彼の顔に、特に疲れの色は見えない。
「…エドさんといいユアンさんといい、クロといい。疲れてる時に限って、体調の心配をすると『大丈夫』って答えますからね。寝てないんでしょう、ここの所」
「ん~。寝てるけどな~」
急にマリーのような口調になりながら、エドは視線を上げる。
「龍人と言えど限界はあるでしょうし。倒れたら心配する人は沢山いるんですから、無理しないでくださいね」
フェリスがそう言うと、エドは少し面白そうに笑って「ありがとう」と答えた。
フェリスが若干不服そうにエドを睨む。
「え、何で今ちょっと笑ったんですか?」
カミヤが横で、「フェリスは男の前だとすぐオカンになるって有名だからね」と囁くと、フェリスは顔を赤くして「だ、誰がオカンだ!」と怒った。
そんなフェリスの返答を華麗にスルーして、カミヤはエドに向き直る。
「―――そうそう、それでさ。エド、味の好みとかある?特に好きな食べ物とか、逆に、甘いものは苦手、とか」
「味の好み?特には、ないよ。甘いものも好きだし、大体のものは美味しく頂くから」
それを聞いて、カミヤは手帳にメモを取りながら「ひとまず苦手なものは無し、と」と呟く。
一旦落ち着いたフェリスは、補足して話す。
「別に、食べ物じゃなくてもいいんですけど。今欲しいものとか、困ってることとかありませんか?」
「うぅん、特には…。そうだ、おすすめの小説とかがあれば、教えて欲しいかな。できれば、新作で」
「小説、ですか。なるほど」
エドが小説や創作物を読むイメージが少なかったからか、フェリスは意外そうに口に手を当てた。
「…エドさんって、女性ファン多いですもんね。やっぱり、日頃からいろんなもの貰うんですか?」
「まあ、貰うね。どれも、ちゃんと保管してるよ。身に付けたりはしないのだけど」
そんな話を聞きながら、ふと、カミヤはエドが腰に差している模造刀のような武器を見る。
その模造刀には、小さな旗のようなアクセサリーが提げられていた。
よく見ると、衛兵団のマークではなく、誰かの手作りのような可愛らしい色合いのもの。
「ねえ、ねえ。それって、ファンの子から貰ったんじゃないの?衛兵団のとかじゃ、ないよね」
カミヤが指差すそれを見て、エドは少し言いづらそうに答える。
「ん、これ?ああ、いや。ファンからでは無いんだけど…確かに、人から貰ったものだよ」
「…ほぉう」
俄然興味が湧いたカミヤは、更に根掘り葉掘り聞こうとする。
「ちなみに、レリちゃんではない?」
「ああ、面識あるんだっけ。レリアでは無いよ。昔の同僚」
「へぇ~~~。女の子?」
「そうだけど…」
興味津々に目を輝かせるカミヤに対して、エドは困ったように笑った。
「大事なものだから、つけてるんだ。これをくれた人とは、今は会ってないよ。あんまり、邪推はしないでね?」
その言葉に、カミヤは踏み込み過ぎたかと反省して一歩引く。
「…そうなんだ。えっと、ごめんなさい」
「いいよ、気にしないで。それじゃあ、そろそろ用事があるから行くね」
そう言ってその場を去ろうとするエドのことをフェリスが呼び止めて、ノエルが話していた、とある人物からの謝礼のことを説明する。
会話の意図をようやく理解したエドは、その人物と会えるように予定を合わせたうえで、改めて挨拶をしてその場を後にした。
「…別れちゃったのかなぁ」
先程のアクセサリーの件を気にして、カミヤが呟く。
「人の恋愛事情に迂闊に踏み込んじゃ駄目ですよ」
「…うん。面白がるのはフェリスとクロの事だけにしておくよ。反省」
「は?」
二人はそんな話をしながら、ウルフセプトの事務所へ戻る道を歩き出した。
◇ ◆ ◇
カミヤ達と別れた後、エドは聞き込みを続けながら市庁舎のほうへと歩みを進める。
その最中、今度はある男性の声が彼を呼び止めた。
「エド。ここにいたか」
「―――リト。お疲れ、調査協力助かったよ」
それは、翡翠の色の双角を持った龍騎士、リト。
先日の交流会でバルベナ側の人員が薄くなることを鑑みて、彼はパリから派遣された魔術師としてエドと共に日々の仕事をこなしていた。
「この間、交流会のメンバーも帰って来たところだし、俺はそろそろこの街を出るよ。その前に色々と情報共有したいんだが、後で時間取れるか?」
「ああ、大丈夫」
「助かる」
そう話しながら、リトはエドの腰に携えられた武器を僅かに見る。
その武器に付けられたアクセサリーが何なのか、知っている様子で表情を変えた。
「…それ。今も、つけてたんだな」
先程カミヤが言及したそれを、エドは撫でるように触る。
「ああ。そりゃ、僕らの印だもの」
「そうだよな。俺は、書斎の机に入れてるよ」
「あは。リトは、そういうの無くさないように仕舞っておくタイプだもんね」
一瞬の間、二人の間に沈黙が生まれる。
「…俺も、ライラも、ジルコも。諦めてないからな、ヨナの捜索のこと」
「ああ」
二年と数か月前。
エドが騎士団から衛兵団へと所属を変えた少し後に、一人の龍騎士が行方不明になった。
それは、一人の魔女教徒が、パリで連続爆破テロを起こしていた時期。
エド、リトの二人とは幼馴染の関係でもあった、一人の女性龍騎士が不自然にその姿を消したことについては、公には話されることは無かった。
今も、彼女は騎士団とその関係組織によって密かに捜索が続けられている。
何かの事件に不本意に巻き込まれてしまったのか、騎士団を裏切り、敵対組織に寝返ったのか。彼女が生存しているのかどうか、それさえもわからないまま。
ただ、少なくともこの場にいる二人は、彼女の事を信じて、有効な情報が見つかるのを待ち続けていた。
「まだ、二年しか経ってない。きっと、見つかる」
「そうだね」
お互いに拳を合わせた後、二人は共に市庁舎のほうへとその足を進めた。




