鬼の少女と冒険者 街に行く 後編
「ゴトッ」と言う鈍い音と共に、冒険者は目を覚ました。
横に目をやれば、見事にベッドから放り出された少女の姿が有る。寝相の悪さはこの5年、改善の兆しが見えない。
外は白み始めていたが、朝の鐘もまだ鳴っていない様に思えた。取り敢えず、と顔を洗いに出ると、丁度良く少女も目を覚ます。
「おはよう!!」
「……おはよう、随分寝覚めが良いんだな」
「よく眠れたからね!いやぁ爽やかだ~」
と、能天気にはしゃぐ少女であったが、おでこには確かに打ち付けた跡が残っている。
「私も行くよ!」と付いてきた少女と共に、水場へ向かう。夏も終わり、秋が見えて来た頃合いだ、朝の水はキリっと冷え切っていて、目覚ましには丁度良く思える。
「そう言えば、大きな浴場も有るんだっけか、この街には」
確か、南西の地区に大きな公衆浴場がある筈だった。身近な水場と言えば川か湖と言う彼らだ。湯につかるのもまた、得難い休息の場となるだろう。
「おぉ~本当かい?行って見たいね、是非」
少女もかなり乗り気の様で、それ以降事ある毎に風呂の話をするようになった。朝食を摂りながら風呂に入る話ばかりするので、多少参ってしまう程に。
身支度を終えて、一路市場へと向かった。近隣の農地から運ばれる野菜、肉類と言った食品から、珍しい交易品に至るまで、様々な商品が並ぶ。
食品にばかり目を奪われる少女と対極に、冒険者は必要な薬品類や、勝手の良さそうな装備・道具類を吟味している。すると突然、今までは物欲しげな顔をするばかりだった少女が、強く手を引いた。
「ねえあそこ!なんか美味しそうだよ!」
そう言う彼女に連れられるまま、行きついた露店。
「――菓子か」
砂糖の安定的な消費も見込める豊かな都市だ、この様な商品がある事は不思議ではない。が、随分とまた美味しそうな見た目だ。
「一つで良いから」と強請る少女に根負けして……と言いつつ、実際には冒険者自身の興味も有って、2つ購入する。
手に収まる程の大きさの物を2つ買っただけで、一食分の肉程の値段だ。多少の後悔を覚えつつ、口に含んでみる。
「美味いな」
自然とそう口走る程には美味い。思えば、酸味の無い純粋な甘味と言うのも久しぶりだった。粉っぽさも無く、しっとりとした口当たり。
少女はと言うと、殆ど正気を失っていた。日頃口にする食事とは一線を画す、嗜好としての食べ物。その体験は殆ど、生まれて初めてだったと言えよう。
「これ携行食にしようよ!ねえ!!」
ようやく喋ったと思えばこれだ。
「いやダメだろ絶対、値段見て喋れよ!」
と言い合っていると、店員がボソっと
「そう言った用途には不向きかと……」
と口添えした為に、どうにかあと2つ買うだけで済んだ。これでも随分な出費だ、エーヴルで取り返せるだろうか。
と、本来の携行食も無事入手し、宿へ荷を整理しに戻る。正午の鐘も鳴り、小腹も空いてきた。
「お昼何食べようか!!」
「いや、お前な……」
先ほどの菓子で予算は大幅オーバー、ここに昼食代も加われば破産が見えてきそうでもある。
「菓子の分で晩まで持たせてくれ」
「え゛え゛え゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛~~!」
余程ショックだったのだろう、少女の口があんぐりと開いて、目もかっ開かれている。正直、滑稽でしかない。
部屋に戻ってもいじけたままで、何なら背嚢にやさしく蹴りを入れる少女であったが、機嫌を直す方法には心当たりがあった。
「風呂、行って見るか?」
その言葉に、彼女はあからさまに態度を直し、「行く!!!」と大きく答える。こういう所は外見相応の幼さで楽ではあるが、それでも気分屋過ぎるのは面倒だ。
無事に荷を整理し、約束通りに二人は浴場へ向かった。
南西の地区には火を使う建物が多く、パン屋から鍛冶屋まで様々な店が並ぶ。その先に建つ一際大きい建物、それが公衆浴場だ。
珍しく入場料の掛からないタイプの浴場で、先ほど大出血した冒険者のお財布にも優しい。
入り口で少女と別れ、彼は足早に風呂へ向かう。中は随分と広く、大きな浴槽を中央に、外側には洗い場が設けられている。娼館紛いの風呂屋しか知らない冒険者には、もう未知の世界だ。
周囲を真似るようにして、身体を一通り洗う。湯をここまで贅沢に使える事に驚きながら、水を切って浴槽に向かった。
客層は随分幅広く、綺麗に整った頭髪と髭の者から、冒険者の様に、半ば浮浪者の様な見た目の者まで様々だ。しかしその全員が清潔である事に、更に驚かされる。
ゆっくりと、肩まで湯に浸かり、体温の上昇を感じる。目を閉じれば、そこに神秘的な光が届いて来そうな程であった。つまり超気持ちいい、マジで。寝そう。
ぼーっと、2,30分は浸かっていただろうか。永遠の快楽の園に誘われかけて、ようやくのぼせた事に気付いた彼は大急ぎで湯から出た。顔の紅潮を感じながら、湧き出た汗を洗い流し、外に出る。
ささやかな休憩所で身体を冷ましていると、少女が上がってきた。彼女も中々の長風呂をして来たようで、同じ様に紅潮した顔である。元の肌色だとどんな色になったのだろうか、などと考えながら、更に休む事十分程度。そろそろ空腹も良い塩梅だったので、浴場を後にすることにした。
今晩は昨日と違い、南西地区の酒場へと向かう二人。中に入ると、昨日の、中央の酒場とはまた雰囲気が違っていた。
客の殆どは賃金労働者の様で、ちらほらと女性の姿も見える。勿論、客としてだ。
そう言えば、この街では娼婦の姿を見かけない。大方、場所や時間帯に規制がされているのだろうが、しかし商人の街。一定の規則の下で、そうした商売も認められている事だろう。
適当な料理と飲み物を頼み、他愛のない会話で間を繋ぐ。専ら、風呂についての話題で占められていたが、昼食を抜いたことを、少女は未だ根に持っている様だった。
しかしこの客層では悪目立ちするのではないかと些か不安だったが、あまり視線を感じない。外部の者も多く訪れる土地柄だろう、地元民が多かれど、大して興味を示さなかった。
少女は当たり前の様に2人前を平らげ、冒険者は酒で半分ほど腹を満たした。周囲もちらほらと家路につく者も見え始め、二人も後に続く。
宿に戻ると、少女は真っ先にベッドに潜り込み、声を掛ける間も無く眠ってしまった。冒険者はいつもの様に、これからの道のりを確かめる為地図を開く。
エーヴルの街までは10日と少しと言った所で、街道を辿って行けば、そう苦労もしなさそうであった。
十分な補給も済ませ、休息も取れた。惜しむらくは、この環境から離れてしまう事だけだろうか。
どこで食べても美味い飯に、上等な菓子。そして何より、あの風呂が最高だった。
そんな名残惜しさを抱えつつ、冒険者もまた床に就く。この快適なベッドでさえ、明日にはもう、無い。
翌朝、早くに目を覚ました少女に叩き起こされた彼は、朝食を摂り、荷物の最終確認を終えて、宿を発つ。
西門から一歩踏み出せば、またいつもの生活だ。不思議と名残惜しさは消え失せていて、それよりも、次に向かう場所や、そこまでの道中に待ち受ける物への期待が高まっていた。
未だに菓子の事を引きずる少女と、それを無理やり引き摺る冒険者。
2人はまた、旅に出る。
街の話はこれにて終了です。
次回以降、エーヴル編をやろうか、また別の話をしようかで若干迷っています。