鬼の少女と冒険者 街に行く 前編
「ほら、そろそろだ」
森を抜け、平野にただ一本通る街道を行く二人。道の両脇に生えるひざ丈程の草が、爽やかな、青々とした輝きを湛えている。
「……んごっ。」
「コイツまた寝ながら……」
鬼の少女は、得意のながら眠りをしていた。しかし、立って寝るなら兎も角、歩きながらと言うのは、些か…いや、かなり人間離れしている。
ベチッ!と、乾いた音。赤く腫らした頬を抑えながら、鬼の少女は涙目で訴えた。
「もう少し、起こし方ってモンがあるんじゃないかな!」
「雷雨の中、野ざらしでも寝るような奴を穏便に起こす方法なんて、俺は知らないね」
人間などとは比べ物にならない強度を持つ半魔人の肉体だ。多少、外部環境が悪くとも、生命の危機などこれっぽちも覚えやしないのである。
「――で、街が近いんだっけ?」
「そうだ。もう人とすれ違ってもおかしく無いからな、偽装するなら早くしろ」
「はいはーい」
偽装と言うのは、頭部の角、血色の悪い肌、奇抜な髪色と言った、半魔人の外見的特徴を隠す事で、人里に赴く際には必ず施さなければならない物だ。
魔族と人の対立は未だ根深く、悟られれば、良くて通報。最悪の場合、その場で斬りかかられる事すらある。
しかし、こうした外見的特徴に関しては魔法的手段での偽装が可能であり、彼女もそうして冒険者に同行しているのだ。
「……よっし、どう?完璧?」
「俺に分かるかよ、まあ角さえ無けりゃ大丈夫だろ」
常日頃、彼女以外の人を見る事が無い冒険者だ。最早人間と半魔人の外見的差異は気にならない。特徴的過ぎる角を除けば、その青紫がかった白い肌も、神秘的な儚さを持った銀白色の髪も、至極当たり前な物として捉えていたのだ。
「ま、私は地味な方だしね」
と、少女は少し嫌味な言い方で冒険者をつつく。
少し歩いて、街の門前まで辿り着いた。多くの街は、その昔、まだ魔族が人の地に蔓延っていた頃の名残で、高く分厚い壁を有している。
「身分証を」
「短期滞在だ、これで頼む」
冒険者とは名ばかりの根無し草である彼らは、毎度、多少の金銭を握らせて街に入る必要がある。
「……問題は起こすなよ」
今回は良い門番だった様で、交渉も無しにすんなりと通して貰えた。
ここ、アルビの街は独立した商業都市だ。二つの国、二つの領地の狭間に在って、そのどちらにも属していない。急速に流動化した経済により成立した、異例の存在である。
市民生活は豊かそのものと言った様子で、劇場などの文化的な娯楽施設であったり、人で溢れる市場であったり。どれをとっても、一都市の抱えるスケールを逸脱していると言えよう。
そんな繁栄の権化のような街の、清潔で整った街路を行く二人。特に少女にとっては印象的な光景で、今までこの様な都会的な場所へは訪れた事が無かった。
と言うのも、彼らは所謂「都」には足を踏み入れないのだ。幾分厳重な警備に、どこか閉鎖的な雰囲気の住人。どの国でも、中央の街と言うのはそう言った要素を欠かさずに持っている。
アルビの街に来て、まず立ち寄るのは酒場だ。この先で向かう場所を決める為、情報収集をせねばならない。後に宿を取って、市場で物品を買い込み、在れば小遣い稼ぎの雑用をこなしてから出立する。
これが彼らの街でのルーチンだ。
「お前、今度酒場で暴れたら宿に縛り付けておくからな?」
「分かってるって!反省してるよ、あれは」
「なら飲み過ぎも食べ過ぎも騒ぎ過ぎも無しだ、守れないなら二度と連れて行かん」
遊びたい盛りとでも言うのか、日頃娯楽に乏しい生活を送っている反動で、そう言った場で何かとやらかすのが少女の常であった。しかし、先日訪れた街で遂に大事をしでかした為に、冒険者も彼女を連れて向かうのには多少の躊躇が有った。
「……勿論、殴り合いの喧嘩もダメだからな」
と、再度戒めるように言って、酒場の戸を開く。まだ日も高い頃合いだと言うのに、席は既に8割方埋まっていた。
「あら、いらっしゃーい!」
元気の良い給仕女に示されて、奥の方の席に着く二人。適当な飯と酒を注文すると、早速隣の男から声を掛けられた。
「商人……ってツラじゃねえな。旅人か、楽しんでけよ」
「おう。そう言うお前も、金満なヤツには見えないな」
「んだよ、一張羅だぜ?こりゃ。ハハ、まあ正解だ」
その男の一張羅とは、どうやら薄汚れた革鎧の事らしい。常連の様だし、この街に住んでいるか、よく訪れるか、だろう。
「雇われか?」
「まあ似たようなモンだ、隊商の護衛をやってる。」
「道理で。どこから?」
「オセールからだ」
「また随分と……足労だったな」
隊商の護衛とも有らば、周辺地理には多少知識が有るだろう。話を聞く為にも、労いの一杯を渡す。
「――で、そちらさんは、なんだかワケアリ臭いなぁオイ」
彼の興味が少女の方へ向いた様だ。旅人には似つかわしくない存在故、仕方が無い所だが。
「まあ、気にしないでくれ。面倒は起こさないさ」
「だと良いが。血縁って訳でもねえんだろ?」
あまり詮索するな。と目で訴えるも、随分気になったようで、退いてくれそうにない。
「……旅路で拾ったってだけだ、大したモンじゃない」
「んな犬っころみてぇな……ま、色々大変そうだな」
男はそう言って、こちらのテーブルに目をやる。つられて目線を向けると、少女は抜かりなく2人前の飯を平らげていた。汁の一滴も残す事無く、だ。
追加の注文を通し、本題に入る。次の目的地には当てがなかった為に、どうせなら金稼ぎでも出来る場所に向かうのが良さそうだった。
「稼ぎねぇ……あそうだ、西のエーヴルってトコなら多少稼げるんじゃねえか。あそこは未だに小競り合いが続いてるし、最近じゃ少し危ない噂も聞くからな」
「噂?」
「どうも狩り残しが居たらしくてな、そいつらがデカい巣を作ったとかなんとかで。掃討に人手も欲しがってるだろうから、小遣い稼ぎには丁度良いだろ」
「そうか、ありがとう」
狩り残しと言うのは、掃討された筈の魔物の生き残りの事である。人の住む地域はその昔、徹底的な魔物駆除が行われているのだが、地中に巣を作るモノであったり、そもそも報告に上がらなかったモノであったりが未だに相当数残存している。
「――でもよ、目的地も無しに旅を続けるって訳にも行かねえだろ。そんなツレも居るんなら尚だ」
「まあ、確かにそうだ……が、一応の終点には辿り着いたんだよ。もう」
「ほぉ?なら何だって」
「探し物が見つからなかった、てな所だな」
「探し物ねえ……ああ、何となく分かったぞ」
男はそう言って、見透かしたように笑い出した。
「大方、劇的な最期でも遂げに出たんだろ。死に場所探し、ってか?」
「……何故そう思う」
「俺だって元は剣を振るってたクチだ、同類の考えそうな事くらい分かるっての」
「お前も兵士崩れか?」
「おう、イヴレーアの会戦って知ってるか?アレを最後に、も少し楽な生活がしたくなってな」
「――申し訳ないが、知らんな」
「ほー!なら教えてやろう、あの惨劇を、俺の武勇伝込みでな!」
と、得意げに話し始めた男をよそに、冒険者は考え事をしていた。
イヴレーアの会戦。冒険者も同じく、その戦いに参加し、そしてそれを最後に身を引いた。正真正銘の同類である。
未だ魔族の棲む南方の半島、その境界に位置するのがイヴレーアである。人間は居住地拡大と脅威の殲滅を掲げて挙兵したが、山岳地帯での戦闘は、圧倒的に人間の不利であった。
結局、境界線は少しも動かなかった。ただ悪戯に人が死に、その亡骸が、山脈の新たな峰となりそうなばかりで。
その戦いは冒険者にとって、思い出したくも無い悲劇である。それは戦場での事ばかりでは無く、その後に待っていた、更なる悲しみにもよるのだが。
少女はと言うと、男の話に多少興味を抱いた様で、珍しく、大人しく耳を傾けていた。
生々しい人死にの話でさえ、随分楽し気に聞き入る彼女であったが、その結末――結局の所、全てが徒労に終わったと言う事――を聞いた時は、少しか気が沈んだ様だった。
「――まあ、俺達が死ぬ時には、ああ言う凄惨な殺し合いの場じゃあねえ方が良いよな!」
そう話を纏める男に、冒険者は生返事だけを返す。まあ、当然同感ではあるのだが。
「さて、随分話し込んじまったな。俺はそろそろ失礼するよ」
と言って、席を立った男は、思い出したように振り向いた。
「そうだ、俺はジェローってんだ。お前は?」
「言った所でどうにもならん、用が有れば、少女を連れた旅人を探せば良い」
「確かにそうだな……ま、旅の安全を祈っておくさ。じゃあな同類!」
「おう。そっちも気を付けて」
彼が去って、ようやく飯にありついた冒険者。少女は食べ呑み終わって退屈そうにしていたが、今日は随分と大人しかった。大方、前回のヘマで多少懲りたのだろう。
一通り腹を膨らして、今夜の宿へと向かう二人。いつも通りの安宿…と思ったが、少女が「どうしてもマトモな部屋に泊まりたい」と言い出した為に、いつもより少し良い部屋を取った。
この所移動が主であったから、それなりの環境で休みたかったのだろう。
彼らは明かりも付けず、落ち往く陽と共に眠りについた。
続きました。
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