1話
とても静かな夜だ。つんと冷たい空気が頬をさす。僕は1人、夜道を歩いている。行く宛ては特にない。自分がなぜ、このような行動をしているのかすら分からなかった。
一体ここはどこなんだ?
気がつくと、1軒の家が目の前にあった。そして、家の前の看板には不思議な文章が並んでいた。
『誰でもいいから来てくれよな!
どんな相談も解決します。
代表・叶夜』
「叶夜……」
誰なのだろう。しかも代表って……
「今、俺の事呼んだ?」
「え?」
振り向くと、1人の青年が立っていた。
「初めまして。もう知ってると思うけど、叶夜っていいます。よろしくね」
自分に笑顔を向けている青年は、叶夜だと名乗る。
「変わった名前ですね」
僕は無愛想に言った。
「褒めてくれてありがとう。俺、この名前気に入ってるんだ」
褒めたつもりはないが、彼の満足そうな顔を見ると反論する気もなくなってしまう。
「名前……」
そういえば、僕の名前はなんだっただろうか。
「で、君はなんて言うんだ?」
叶夜と目が合う。
「知らない。分からない」
僕は、自分の記憶が少しもないことに気がついた。
「ここどこ? 僕、なんでここにいるんだ?」
分からない。恐怖のせいか、背負ってしたリュックの紐を握る手に力が入る。
「落ち着いて。大丈夫だから」
叶夜は、そっと僕の方へ歩み寄る。どうしたら良いのか分からず、僕は下を向く。
「体調悪いの?」
叶夜が僕の顔を覗き込む。初めて会った人との距離の近さに戸惑い、僕は後ろへ一歩下がる。
「平気です。僕帰ります」
今すぐこの場から離れたかった。
「帰るって、どこに?」
叶夜の声が響く。
「記憶がないのに、どうやって帰るの?」
「え?」
なぜ、僕の状況が分かるのだろう。
「俺は君を知っている。少なくとも、今の君よりはね」
彼は、一体何者だ?
じっくり叶夜を見る。つり目だがあまりキツく見えない顔立ちに、茶色くてサラサラした短髪。高身長で、バランスの良い体型。
僕は、この人を知らない。なのになぜ、この人は僕のことを知っているのだろう。
「ま、中に入りなよ。寒いでしょ?」
再び、叶夜から笑顔を向けられる。
「はい」
確かに外は寒かった。手や頬が赤くなっている。
「どうぞ」
叶夜が木製の扉を開ける。僕は叶夜に頭を下げ、家の中に足を踏み入れた。