つなぎとめる
一夜明けて頭が冷えた2人は、朝食の席で非常に気まずい思いを共有していた。
「その、おはようノエル」
「ええ、おはようございます」
無難な挨拶を交わすものの、お互いの顔がまともに見られない。いっそ一線を越えていれば違ったのかも知れないが、そうでないところがまた何とも座りが悪い。
考えてみれば昨夜は何もかもがおかしかった。酒も呑んでいないのに2人して暴走し、勢いに任せていきつくところまで突っ走るところだったのだ。お互いに成人しているとはいえ、反省すべき点は多いだろう。
しかも、あれだけのことがあったにも関わらず2人の関係は実に中途半端なままだ。ノエルにとってヴェラは唯一名前を呼ぶ対象になったものの、恋人だと明言したわけではない。もうほとんどそうだとしても、確定はしていないのだ。
またヴェラにとってもノエルの特別になれたという思いはあれど、ノエルの抱えた事情にはいまだ全く触れていない。焦るべきではないと思いつつ、今後増える仲間に後れを取るわけにもいかないという思いもある。なんとも落ち着かない立ち位置だった。
こうしてそれぞれの思いが宙に浮いたまま、日常生活が始まってしまったのである。
昨夜ほとんど手を付けなかった料理を温め直し、改めて食卓につく。朝食にしては随分多いが、2人とも空腹を抱えていたのでほとんど残らなかった。
朝食を終えて一息つくと、気分を切り替えたヴェラが今後についてノエルに問いかける。とりあえず昨夜のことは棚上げにするつもりだった。
「なあノエル。今日の予定とか何か決まってるん?」
だがノエルのほうは昨夜の全てを棚上げにするつもりはないらしい。予想していなかった答えが返ってきた。
「昨夜の約束に関係して、見せておきたいものがあります。体調が悪くなければ倉庫に来てもらえますか?」
幸いなことにヴェラの体調はほぼ復調している。医者にはもう2日間ほど休養するよう言われているので無理をする気はないが、倉庫に行くくらいなら問題はないだろう。
2人は連れだって敷地内にある倉庫へ向かった。
バラデュール商会の敷地には住居兼事務所の建物の他に、運河に面した倉庫がある。潜水屋である以上、船の一隻くらいは保有していてもおかしくないが、どうやら港に預けず自邸に用意した船渠まで引き上げているらしい。
ヴェラとしてはノエルが以前言っていた「うちは秘密が多い」という言葉もあり、わざわざ船を自邸まで引き上げることに違和感は感じなかった。船に関わる仕事をしていれば、潜水屋が引き上げた古代遺物の一部を売らずに使用しているなどという噂を耳にすることもあったからだ。
当たり前の話だが、潜水屋として利用価値の高い古代遺物を見つけたなら、売らずに自分達で使うのは当然の判断だと言える。とはいえ古代遺物はどれもこれも価値が高いため、手元に置いていることが広まれば窃盗などを警戒する必要も出てくるだろう。結果として、潜水屋は大抵何かの秘密を抱える羽目になる。
ノエルが今から見せようとしているのも、そういった秘密の1つなのだろう。ヴェラは大きな期待と若干の不安を抱いてノエルの後をついていく。果たして、倉庫の中にあったのは雑然と置かれた船具たちと、その中央に引き上げられた小型帆船だった。
「意外と普通やね。なんやすごい古代遺物でもあるんかと思た」
「それはどうでしょうね?」
いつの間に調子を取り戻したのか、ノエルの顔にはあの胡散臭い笑顔が戻っている。そのことを少し残念に思いながら、ヴェラもまたいつものヴェラに戻ることにした。
「……そのなんや企んでるようなヤバい笑顔やめぇな。衛視に見られたら捕まるで」
「そこまで悪そうな顔してますか? まあそうなったら弁護してくださいね」
言いつつノエルが指し示したのは、引き上げられた小型帆船だった。航海士であるヴェラからすると、乗ったことこそないもののよく見かけたありふれた船だ。
小型帆船としては一昔前のもので、速度も旋回性能も並。積載量が小型船の中でも少ないほうで、整備のしやすさが評価されている船だ。傾向としては初心者向けの船と言えるだろう。
足場を登って甲板まで案内されたが、ここにもやはり変わったものはない。まだ見ていないのは船倉だけである。何かあるとすればもうそこしかない。
だが船倉に通じる扉を開けて見えたものは、ヴェラにとって見慣れた船内の風景を縮小しただけのものだった。目を凝らして見ても、変わった物は何も見当たらない。
「なあノエル。一応聞くけど、見せたかったもんってコレやないやんな?」
「ええもちろん。一度扉を閉めてもらえますか?」
ノエルの指示に、何がなんだかわからないまま従うヴェラ。ヴェラの手によって閉まった扉を今度はノエルが開いた。当然、そこに見えるのは先ほどと同じ光景であるはずだ。そのはずなのだが……。
「はぇ?」
ヴェラの目に映ったのは、やたらとだだっ広い部屋だった。どう考えても小型船の中に収まる広さではない。大型船がそのまま数十隻は入る広さである。
「はえぇ?」
床の素材は木ではなかった。石でもないし鉄でもない。ヴェラの知るどんな素材とも似ていない不思議な灰色の素材だ。壁と天井の素材も同様に見えたが、どちらも遠くて確かめることはできなかった。
「はえぇえ?」
そして入り口からそう離れていない場所に、ヴェラのよく知る船具や航海に必要な物資が一まとめに置かれている。またそこから少し離れた場所にはヴェラにとって全く見覚えのない、道具らしき物が整頓されて大量に置かれていた。
「なに、これ?」
「驚きましたか? これがバラデュール商会の秘密の1つです。詳しく説明すると長くなるんですが、この扉を僕が開けた時だけ、こっちの広い空間に繋がります。便利でしょう?」
「そら、まあ、便利やと思うけど……」
あっけにとられたヴェラが、うわの空でノエルに答える。古代遺物は時にとんでもない物が見つかると聞いたことがあるが、これほどの物は流石に聞いた事がない。
ただよくわからないなりにヴェラが思ったのは、こんな便利過ぎる道具は、広く知られればどう考えても奪い合いになるだろうということだった。それも大商人とか大貴族とか帝国軍とかが血眼になって。なりふり構わず周囲の迷惑も顧みずに。
「えー、もしかして、ひょっとしたら、なんやけども」
「はい」
「ウチの大胆かつ緻密な推理によると、これって下手なとこに知られたら命に関わるような秘密と違う?」
「はい、その通りです」
爽やかに、そしてぬけぬけとノエルは言い切った。誤解の余地はどこにもない。ヴェラはまたしてもはめられたことを悟った。
「ノォエェルゥー? ウチ、こんなぶっとんだ職場やとか全く聞いてへんで? なんでこんなか弱い乙女を、とびっきりの厄ネタに巻き込んでくれやがっとるん?」
「大丈夫ですよ。このことは僕達だけしか知りませんから。それに例えば衛視や役人の立ち入り検査があったとしても、僕が意識してこの扉を開けないとこの空間には繋がりません。だからバレっこないですよ」
確かにそれなら余程の不運に見舞われない限り、この空間のことが知られることはないだろう。とはいえ万が一のことを考えると、落ち着けないのも無理のない話ではある。少なくともハーフリングにしては悲観的な性格傾向であるヴェラにとって、胃に激しい痛みを覚える事態ではあった。
「ウチの胃、いつまでもつやろうか」
「そんなに心配することはないと思いますけどね。まあ、不安ということならお守りを渡しておきましょうか」
そう言うとノエルは船倉の扉をくぐり、不思議空間に踏み込んだ。道具らしき物が並んだ区画に行き、ヴェラに手招きをする。呼ばれたヴェラはおっかなびっくりノエルの元まで歩く。
「ここ、出られへんようになったりせえへん? なんや怖いねんけど」
「僕と一緒でなければ入れませんが、出る時は自由に出られます。安心してください」
「ほならええねんけど」
「それよりこれを持っていてください」
そう言ってノエルが手渡してきたのは、古代遺物の中でもわりとよく見つかるもので、ヴェラの知識にもあるものだった。
それは黒く、固く、大きさの割に重い物体で、確か名前を……。
「これ『銃』って言わへんか?」
「おや、ご存知なんですね」
「さすがにこれくらいはな」
銃は一般人でも無理をすれば買える程度の値段で流通している古代遺物だ。本来は武器なのだが、消耗品である『弾丸』は使用可能なものがほぼ見つからないため、基本的にただの飾りとして扱われている。
「なるほど、これは確かに『お守り』やね。おおきに」
ヴェラが手渡されたのは銃の中でも特に小型で、ヴェラの小さな手でも扱えるものだ。ノエルからの初めての贈り物に、ヴェラは心が浮き立つのを感じた。
「弾はここにいくらでもありますし、あっちに的も用意してますので、時間を作って練習しましょう」
「え”?」
浮き立った心が一瞬で現実に戻ってくる。今、ノエルは何を言ったのか? ノエルの指差す先には大量の箱と、等身大の素っ気ない人間の絵の張られた板。これの意味するところは一体なんなのか?
「とはいってもその銃は本来暗殺用ですから、隠し持つのに便利な反面射程が短いし命中率も低いんです。最初は的の近くから始めましょう」
「お”う”?」
ノエルの実用的な説明がなかなか頭に入ってこない。つまり何か? この銃は使えるのか? それはつまり非常に大変なことではないのか?
「ちょ、ちょおおお待ったノエル! こ、これ、使えるん? 撃ててしまうん? ガチもんの危険物なん?」
「そうですよ。扱い方はきちんと教えますので、しっかり覚えてくださいね」
「『そうですよ』やあるかい! こんなもん持ち歩いとったら衛視に捕まってまうやんか!」
「その心配はありません。銃は貴族や大商人がごくまれに護身用として持っているので、携帯にも使用にも刀剣類と同じ程度の法規制しかかかってないんです。無暗に人を撃ったら傷害罪になってしまいますが、身を守るためなら使っても大丈夫ですよ」
確かに法律的には問題ないのかも知れない。だがだからと言ってお気軽に持ち歩ける類の物でもないだろう。何よりヴェラは荒事の経験などない一般人なのだ。
「いやいやそうやのうて! ウチ武器なんか使われへんて! それに弾にも限りがあるんやろ!? ウチが使うんはもったいないって!」
「弾の心配はいりませんよ。材料さえ調達すればいくらでも作れますから」
そう言いながらノエルが指差したのは、何やら得体の知れない小屋ほどの大きさの古代遺物だった。どうやらあれは弾丸の製造機械らしい。
ヴェラの背中を大量の冷や汗が伝う。この空間も権力者が血眼になって追い求めるだろう代物だが、この弾丸製造機械だって十分に争いの種になる。いや直接戦いに関わるものだけに、火種としての危険度はもっと高いかも知れない。
ヴェラは考えた。これは冗談でもなんでもなく逃げるべきかも知れない。だってどう考えてもこの男はヤバすぎる。いくら法律に違反していないからといって、こんなものを隠匿して平然としていられる時点でまともではない。既に秘密を知ってしまった以上、簡単に逃がしてくれるとも思えないが、逃げるのは昔からハーフリングの得意技だと相場が決まっている。決まっているのだが……。
「たくさん練習して、約束どおり僕より先に死なないようになってください」
そう、約束したのである。してしまったのである。しちまったのであるコンチクショウ。あんな交換条件までつけた約束を破れるほど、ヴェラは薄情ではなかった。この程度のことで裏切れるほど、ノエルの恩義は浅くなかった。何より昨夜のノエルの様子を思い出して、それでも見捨てられるほどヴェラの想いは軽くなかったのである。
「あ”あ”あ”あ”あ”もう! やればええんやろ! 約束どおり!」
どこからどう見ても自暴自棄になったヴェラの叫びが、広大な空間に響き渡った。
イチャイチャの続きを期待されていた方、うちのノエルがヘタレですみません。
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