なまごろし
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調停局からバラデュール商会に戻った2人は、ささやかながら勝利を祝う宴を開いていた。
とはいえヴェラの身体はまだ本調子ではないし、先日の件があるので宴といっても酒は無しだ。ノエルも元々酒を普段から呑む習慣はないため、2人の向かい合って座る食卓には少しばかり手の込んだ料理だけが並んでいる。ちなみに全てノエルの手作りだ。
振る舞われた手料理に舌鼓を打ちながら、ヴェラはノエルを褒めたたえる。
「頼りになる上に料理上手なダンナを持って、ウチほんま幸せやわ」
「お褒めに預かり光栄ですが、さり気なく問題発言を混ぜないでください」
次々と料理を取り分けながら、ノエルがヴェラの発言を指摘した。とはいえ別に不機嫌な表情というわけでもない。調停局からの帰りに見せた狼狽えぶりもどこへやら、いつもの胡散臭い笑顔に戻っている。
「なんやつれへんな。ウチに惚れられたんは迷惑なん?」
「迷惑とは言いませんが、想定外ではありますね。僕は有能な航海士が欲しかっただけでしたから」
「そない言うたかてウチを惚れさせたんは間違いなくノエルのせいやで? いまさら無かったことにはならへんよ?」
「これは困りましたね」
そう言いつつも手は止まらず、綺麗に盛り付けた料理をヴェラに渡すノエル。ヴェラのアプローチを嫌がっている様子もなければ、応える様子もない。ヴェラはノエルの表情を注意深く観察しつつ、改めて想いをぶつけてみることにした。
「真面目な話、ノエルにもう恋人なり奥さんなりがおるんやったらともかく、そうやないんやったら真剣に考えて欲しいねん。もちろん種族が違ったりで断られる可能性も考えとうけど、それならそれでハッキリ言うて欲しいんよ。ほしたら一晩思いきり泣いてお仕舞いにするさかい」
先ほどまでの冗談めかした雰囲気ではない。ヴェラの言葉に含まれる重さに気付いているのだろう、ノエルもまたヴェラの眼を見て応える。
「優秀な航海士を手元に置いておきたい僕が、都合のいい嘘をつくとは考えないんですか? 自分で言うのもなんですが、僕信用ないでしょう?」
「もちろんそのまま信用したりはせえへんよ? 一応対策は考えてんねん」
そう言ってヴェラは席を降りると、ノエルの前に行き素早くその太腿に跨った。身長の違いから、わずかにヴェラの目線がノエルの目線より高くなる。
至近距離で顔を覗き込まれて、さすがにノエルの態度から余裕がなくなった。
「ちょ、なんですかこの体勢は! 顔! 顔が近いですって!」
「ごちゃごちゃ言わへんの。ウチ小さいんやし重ないやろ?」
「そういう問題ではなくてですね!」
確かにヴェラの身体は重くないが、ノエルにとって重要なのはそこではない。あまり女性らしい体つきではないとはいえ、柔らかく温かくいい匂いのする存在に密着されれば、男として色々と不味い反応も起ころうというものだ。
「こうやって平常心を乱したら嘘も見抜きやすくなるやろ? それともウチみたいなん相手やと取り乱さんか?」
「もうちょっと手段を選んでくださいよ!」
「や」
こんな時ばかり外見相応の態度で、プイっと横を向いて拒否するヴェラ。ノエルは不覚にも気勢を削がれてしまい、抗議の機会を見失ってしまった。
「さーて色々と尋問させてもらおかな。最初はやっぱり恋人や奥さんがおるかどうか、聞かせてもらおやないの」
「いませんよ!」
「ほんまぁ?」
「だから顔を近づけないでくださいってば!」
昼間に唇を奪われた記憶が甦るのだろう。ヴェラが顔を近づけるとノエルは身をよじって避けている。仕草だけ見れば嫌がっているが、顔が真っ赤なので照れているだけのようだ。
この尋問方法の効果を確信したヴェラは、ここぞとばかりに質問を重ねた。
「ウチのこと、嫌い?」
「嫌いじゃありません!」
「かわいい思てくれてる?」
「思ってます!」
「恋人にしたいて思う?」
「それは……」
「答えへんのやったらまたチューするで」
「ですからむぐっ!」
強引に唇を重ねてくるヴェラに、なす術もなく翻弄されるノエル。本気で抵抗すれば体重の軽いヴェラを退かせることなど難しくないはずだが、そんなことも思いつかないくらい追い詰められているようだ。
冷静さを失ってまごついている間に、ノエルの身体一部が致命的な変化を起こす。しかも位置関係の問題でヴェラにその変化を即座に悟られてしまった。いよいよ余裕を失うノエルに対し、顔を赤らめながらも勝ち誇った笑みを浮かべるヴェラ。
「ふーん。少なくともノエルの真ん中の足は、ウチのお尻を押し上げる程度には元気になってくれるんやね? ちゃんと女として見てくれてるいうことやんな?」
「指摘しないでください! 貴女に慈悲はないんですか!」
「あるわけないやん。いっぺん騙されてんねんでこっちは」
ヴェラはそう言い放つと、されるがままになっているノエルの頭を抱え込むように優しく包んだ。一見抱擁しているようだが、実際は拘束の意味合いが強い。
「逃がさへんもんねー。このままウチのもんにすんねんから。覚悟しいや」
「胸、胸が当たってます!」
「ウチの小さいねんもん。こうでもせんと当たらへんやろ?」
「無理矢理当てるんじゃありません!」
成人しても人間の10歳程度にしか成長しないハーフリングといえど、胸の膨らみが全く無いわけではない。ここまでやれば活用できるのである。薄手の室内着越しに感じる感触の儚さが、ノエルの脳細胞を絶妙な加減で刺激していた。
「もう、勘弁してくださいよぉ」
「ほな、ウチの名前をちゃんと呼んでくれたらこの場は収めるわ」
「え……?」
煙を噴く勢いで加熱していたノエルの表情が、一気に平常に戻った。冷静になるのを通り越して、痛い所を突かれたような反応だ。
「気付いて……いたんですか」
「そらな。初めて酒場で会うてから今まで、ウチのことずっと『貴女』て呼んでるやろ。どうしても必要になった時だけは呼ぶけど、めっちゃ他人行儀の『ヴェロニク嬢』や。ウチだけの話と違うみたいやから黙っとったけど、こんだけハッキリ惚れてもうたらその呼び方やとちょい辛いねん」
「それは……ちょっと事情がありまして……」
「そら事情があるくらいはなんとのう想像つくし、その事情を全部話せともまだよう言わんけど、名前で呼ばれへんのやったらせめて言える範囲の話くらいは聞かせてぇな」
これまで聞いた事のない、優しく諭すような声。ノエルの頭を抱える腕からも力が抜け、抱擁のような拘束が紛れもない抱擁に変化する。
余裕も欺瞞も見事に剝がされたノエルには、誤魔化す方法が思いつかなかった。とはいえ、簡単に話せる事情ならもうとっくに話しているし、名前を呼べないのだってそれなりの理由がある。
やっとのことでノエルが捻り出したのは、奇妙な交換条件だった。
「約束をしてくれるのなら、名前で呼ぶよう努力します」
「ええよ? どんな約束?」
内容を聞く前から承諾するヴェラの声はやはり優しかった。年齢に似合わぬ苦労を重ねてきたからか、それとも元々の性格か、その声は捻じれて拗れたノエルの心から素直な言葉を導き出す。
「僕より先に死なないと、約束してください」
「ん、約束する。ウチとノエルの約束」
なぜその約束なのか、そんな約束が必要な未来を予想しているのか、聞こうと思えば聞けたはずだ。だがヴェラは何も聞かなかった。まるでそんなものは聞く必要がないと言わんばかりに。
そうして微睡むような温もりの中、ノエルはヴェラと約束を交わしたのである。
「さて、ほならウチの名前を呼んでもらおやないの」
「早速ですか」
ノエルは早速と言うが、用意した料理が冷め切るくらいの時間をヴェラの腕の中で過ごしていた。この言葉は照れ隠し以外の何物でもない。
「ほらほら、ウチはちゃんと約束したやろ? ノエルも約束は守ってや?」
「わかりましたよ、その……ヴェロニクさん」
何か心理的に引っかかるものがあるのだろう、非常に言いにくそうにノエルがヴェラの名前を口にする。だがノエルの努力はヴェラにとって満足のいく結果ではなかったらしい。先ほどの慈母の如き様相はどこへやら、影の差した表情でノエルの胸倉を掴み、やり直しを迫った。
「今更さん付け? この期に及んでまだ距離置こう言うん?」
「す、すみません。では……ヴェロニク?」
「ヴェラ。はい繰り返して!」
「あ、その」
「チューすんぞコラ」
今までで一番低い声で脅しを入れるヴェラ。ノエルは一切の反論を放棄してヴェラの要望になんとか応えようとした。
「ヴェ……ラ?」
「もっかい!」
「……ヴェラ」
観念したようにノエルがやっとまともに名を紡ぐ。その努力にヴェラは昼間に見せた花開くような笑顔で応えた。
「うん。ちゃんと名前呼んでもらえて安心した。改めてよろしくなノエル」
「ええ、よろしくヴェラ」
「ところで、ノエルが名前を呼ぶ人って他に誰かおるん?」
「いませんよ。……ヴェラだけ、特別です」
色々とあり過ぎて疲れたのか、肩の力が抜けたノエルはつい素直な事実を口にする。その威力も結果も考えずに。
一方言われたヴェラは、ノエルからの意図せぬ不意打ちで一気に顔を赤らめた。熱を持った頬がヴェラの制御を受け付けずに勝手に緩む。
「そ、そうなんや。改めて言われるとなんや照れるわ。えへ、えへへ」
お互いの心がむき出しになったような心地で向き合ってしまい、絡まった視線がほどけない。2つの唇がどちらともなく近づき、重なろうとするまさにその時、2人は同時にあることに気づいた。ヴェラのお尻の下で更なる自己主張をする鋼の槍の存在だ。
「ノエル、その、元気やね」
「だから指摘しないでくださいってば」
思わず言及してしまったヴェラのせいで、雰囲気が壊れ2人に理性が帰ってくる。盛り上がり方が急激だったせいか、下がる時も急転直下だ。それでもヴェラは場を繋ごうとなんとか言葉を紡ぐ。
「えーと、ウチのせいやし、責任取ろか?」
だが出てきた台詞は品の無い冗談にしか聞こえなかった。いや、雰囲気が壊れてなければまた違ったのかも知れないが、今この場においては台無し以外の何物でもない。
「駄目です。ヴェラはまだ本調子じゃありませんし、今の僕は色々と制御が効きません。コレのことは気にせず、とにかくそっとしておいてください」
ノエルとしても常識的な返答をするしかなくなり、身の内の獣をなんとか宥めすかして表面を取り繕った。なまじ理性の強い性格だったために、酷い生殺しになってしまっている。
結果的にかえって冷静になった2人は、冷め切った料理を保存庫に片付けるとそのまま各々の部屋に引き上げた。その後偶然にも、2人が全く同時に全く同じ言葉を零したことを知る者はいない。
「「あー、ヤバかった」」
再開早々やらかしてすいません。とりあえずこの2人はしばらくこんな感じです。
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