いいくるめる
ヴェラが正気に立ち返ったのは、ヴァンサンたちが衛視に連行され、ノエルが隣室から戻ったあとだった。
「お待たせしました。調子はどうですか? 寒くないですか? お手洗い行きます? 面倒事は済んだので、眠かったらもう一眠りしてもらっても大丈夫ですよ」
「いや、いやいやいや、ちょお待ってちょお待って、今のはどういうことなん?」
ヴェラの頭は混乱の極みにあった。自分を助けに来てくれたはずの仲間たちが、実は自分を騙していたと知らされれば混乱するもの無理はない。
「どういうことと言われましても……、わりと耳に痛い話になるかもですけど、聞きます?」
「ヴッ。いや、ここでビビッとったら話が進まへん。話して。教えて。本気でわけわからん」
ヴェラの必死な様子に押されたノエルは、ひとつ肩をすくめると話し始めた。
「はあ。結論から言うと、貴女は一人前の航海士なのに、騙されて見習いとしてこき使われていたんですよ。自覚はないみたいですけど」
「へ? 騙されてたって、ウチが?」
「マレゴワール海運には他の航海士がいなかったから比較できなかったのと、周囲の人間が一人前として扱わなかったことで、自分の腕はまだ未熟なんだと思い込まされていたんでしょう。けれど交易ギルドの記録をよく調べれば、貴女の腕は確かだとわかります。間違いありません」
「そ、そうなん? ……ほなひょっとしてウチ、ここに雇われたんは航海士としてなん?」
「もちろん。ある程度以上の腕と経験がある航海士が欲しかったので、引き抜けそうな人を探してたんですよ。交易ギルドの記録から様々な商会に雇われた航海士の能力を調べて、条件にあてはまる人を洗い出したんです。その中で能力と待遇が釣り合っていない人を探して、見つけたのが貴女でした」
「そ、そうやったんや……。はは、何させられるんやと緊張しとったけど、なんや拍子抜けやな」
安心したように体の力を抜いたヴェラ。どうやら恐れていたような事態にはならないらしい。マレゴワール海運を辞めることには思うところもあるが、航海士まで辞めずに済むなら多少は安心だ。今後バラデュール商会でやっていけるかも不安ではあるが、かといってマレゴワール海運に帰るのも何か違う。
マレゴワール海運を抜けたことに対して、ヴェラの心情は複雑だ。過酷な労働環境から抜けられてほっとしているのも事実だし、やり残した仕事が心残りなのも事実である。どうやら騙されていたらしいということに対する悔しさもあるし、仲間だと思っていた人たちと別れる寂しさもあった。こんな感情がすぐに整理できるはずもない。
一方でバラデュール商会で働くことについては、わからないことが多すぎて実感がわかない。それより何よりノエルという人物に対する心証が複雑すぎる。自分を罠にはめた悪党であり、航海士としての実力を認めてくれた相手でもあり、過酷な環境から救い出してくれた人でもある。信じるべきか疑うべきか、嫌うべきか受け入れるべきかが全く判断できない。
色々と思い悩んだ挙句、とりあえずヴェラは気分を切り替えて今後のための質問をすることにした。
「手間かけて悪いんやけど、バラデュール商会の仕事について教えてんか」
「わかりました。うちはいわゆる潜水屋です。値打ち物が沈んでいそうな海域に行って、お宝を引き上げて売りさばきます」
思いがけず夢のある仕事内容を聞いて、ヴェラの中にあるハーフリングらしい好奇心が疼く。基本的にハーフリングは冒険とか宝探しという言葉が大好きだ。
「お宝て、金銀財宝? メッチャ楽しそうやん」
「あればそれも狙いますが、主な獲物は錬金技術製品ですね」
現在の帝国においては、錬金術が大きく衰退してしまっている。そのため古の錬金術で作られた品物の中には希少価値が高いものもあるのだ。特に特別な技術で作られ、何百年経っても劣化しない道具は古代遺物と呼ばれており、発見できれば貴族や大商会が高値で引き取ってくれる。
「ほなウチの仕事は目当ての海域までの操船やと思てええの? わかっとうと思うけど、ウチはハーフリングやさかいに潜るんは苦手やで? まあ絶対に潜れんてことはないけども」
ハーフリングは人間に比べると比重が軽い。そのため水に潜ろうと思うと人間が使うより重い錘が必要になる。ちなみにドワーフは逆に比重が重く、こちらは浮きを着けなければ沈んでしまう。
「そこはもう一人、潜水士を別に探すつもりですから問題ありません。まあ、興味があれば潜ってもらってもいいですけれど」
「後は周辺海域の天候を読んだり、時化ると思たら知らせたらええのん?」
「ええ、それでお願いします。後は陸にいる時に雑用をお願いするかも知れませんが、荷運びなんかの苦手だとわかってることはお願いしませんから」
「それは助かるわ。アレ、ウチにはかなりキツいねん」
非力なハーフリングであるヴェラにとって、荷運びはどう考えても向いていない仕事だ。にもかかわらずマレゴワール海運では荷運びにも駆り出されていた。皆が働いているのに一人楽な仕事をしているのは良くない。皆と同じ苦しみを分かち合うのが大事なのだという理屈で。いま考えればなんとも非合理的な話である。
「あと何か気になることはありますか?」
「そやなぁ。ウチがここにお世話になるんは来月からなんやろ? それまでの半月、何しとったらええんやろ?」
ここ数カ月休日らしい休日を取っていなかったヴェラは、突然やることが無くなったことで落ち着かない気分になっていた。本人に自覚はないが、いわゆる仕事中毒というやつだ。
「そうですね。来月まではまだうちに所属しているわけではないので、こちらからあれこれ指示を出すわけにはいきません。ただ指示ではなくお願いが一つあります」
「ん? お願い?」
ノエルの言葉に食いつくヴェラ。やることができて嬉しいようだ。実にハーフリングらしくない。
「ええ。明日にでも医者のところで診てもらって欲しいんです。診察費用は僕が持ちますから」
「診てもらうって、ウチ別に病気なんか持ってへんで?」
「この診察の目的は病気を持っていないかの確認ですけど、貴女の場合健康体とは言えないと思いますよ?」
「へ?」
思いがけない言葉に間の抜けた声が出たヴェラ。健康的な生活を送ってきたとは口が裂けても言えないが、別に不調を感じたことはない。ないはずだ。日常的に起こる立ち眩みや怠さ、手足のしびれは誰でもあることであって病気ではない。と思う。
「二日酔いの薬と一緒に飲んでもらった薬があったでしょう? あれは溜まっている疲れを表に出す薬なんですよ。それも身動きが取れなくなるほどということは、けっこう重度の過労だろうなと」
「そう、なん?」
「断言はできませんけどね。なので医者に一度きちんと診てもらって欲しいんです。それもできたら早いほうがいい」
「ああ、うん、わかった。医者は苦手やけど、そない言われたらなんや怖ぁなってきた。お言葉に甘えるわ」
「はい、そうしてください」
ヴェラの常識では雇用主が従業員の健康を気遣うことはしない。体調管理も仕事の内だと言われてきたし、気合と根性と責任感があれば何でも乗り切れると言わされてきた。そしてヴェラは他を知らないせいで、これが世間では当たり前なのだと思い込まされていたのだ。
「まあ我がバラデュール商会は現状、僕と貴女しかいませんし、開店休業状態なんです。業務再開まではのんびりしていてください」
「そりゃありがたい話やけど……、ん? 今、自分のこと僕て言わんかった?」
「ん? ああなるほど、女性だと思われてたんですね。僕は男ですよ。よく間違われるんです」
「は?」
ヴェラの目が点になる。
ノエルの返答の意味を、ヴェラの脳は理解しようとしない。できない。だって服を脱がされたり身体を隅々まで拭かれた後なのだ。なのに女じゃなかったというのか。それは、つまり……。
「ウチの、裸、見たやんな……?」
「ええ。とてもお綺麗でしたね。それが何か?」
さらりと答えるノエル。何の問題もないと言わんばかりである。
「いや……、いやいやいや! 何落ち着いてんねん!? 花の乙女を素っ裸にひん剥いといて『何か?』で済ませる気かいな!? これでもウチ嫁入り前やねんで!?」
「あれ? 昨夜『ウチは経験豊富な大人やから、これくらいのことでは動じへん』って言ってませんでしたか? だから汚れた服を脱がしたんですよ?」
「……ちょお待って? 服脱がされた時、ウチ意識あったん?」
「はい、間違いなく。その時にきちんと了解も得ています。でなければさすがに脱がせたりしませんよ。……それも覚えてないんですね?」
ノエルの言葉にがっくりと肩を落とすヴェラ。全ては酔っぱらった自分が悪いようだ。ノエルが悪びれないわけである。
「ウチ、もう二度とあの酒場の酒は呑まへん」
「それがいいでしょうね。あそこの酒は何が入ってるのかわかりませんから。どんな酔い方をするかわかったもんじゃありません」
ノエルの忠告に深く納得しかけたヴェラだったが、ここでまたふとあることに気づいた。
「なあノエル。てことは、アンタその何が入っとうかわからん怪しい酒を、ウチにパカパカ飲ませたんよな?」
「ええ。酔わせたどさくさで書類に署名してもらおうと思いまして。気前よく奢らせていただきました」
いけしゃあしゃあと答えるノエル。そこに罪悪感は微塵も感じられない。ヴェラは思わずノエルに嚙みついた。
「ちょお待てや! ほなアンタ、最初っからウチのことハメるつもりやったんやんか!」
「そうですよ? でなければ退職届に委任状に契約書に借用書、全部前もって用意できるわけないじゃないですか」
「しれっと『そうですよ?』とか答えんなやこのペテン師! ほな何か? 酔っぱらったウチをここに連れこんだんも、介抱するためやのうて署名書かせるためか!?」
「はい。どうしてもうちに欲しい人材だったので。とはいえ普通に説得しても来てもらえなかったでしょうから、最善の手段が誘拐でした」
「鬼かアンタ! 大人しそうな顔してなんちゅう悪党やねん!」
あまりにも酷いノエルの言い草に、思わずヴェラの口から罵倒が出た。いつも通りに身体が動いたなら、胸倉を掴んでいたかも知れない。
だがそんなヴェラへのノエルの返答は、どこまでも冷静だった。いっそ小憎らしいほどに。
「悪党ですか。その通りだと思います」
「だからしれっと言うなあああぁぁぁ!!! っ、ひゃあ!!!」
渾身の叫びを上げたことで、毛布がずり落ちてしまうヴェラ。必死に前を隠しながら涙目で着替えを要求する姿は非常に可愛らしかったと、後にノエルは語った。
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