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 ヴェラの意識が浮上したとき、最初に意識したのは身体を貫くような苦痛だった。苦痛は容赦なく襲い掛かり、肉体と精神を蹂躙していく。何度も、何度も。


 許してと懇願し、逃れようと必死に身をよじるが、新たな苦痛に心を折られて動けない。鼻をつく酷い匂いが、これは現実だと突き付けてくる。自分の置かれた状況に絶望しながら、ヴェラの意識はまた深淵に呑み込まれていった。




 次に目覚めたヴェラが見たのは、見覚えのない薄暗い部屋と、毛布一枚だけを身につけて寝台(ベッド)に横たわる自分自身だった。


「ぇっ……」


 酒場から歩いて帰宅し始めたはずの記憶と、今の状況が繋がらない。見知らぬ場所であられもない姿にされて寝台に転がされている状況は、否応なく最悪の可能性を想起させる。


「ぅそ……」


 慌てて自身の身体を調べようとするが、貫くような激しい痛みと部屋に立ち込める匂いが状況をこの上なく的確に教えてくれた。


 激しい後悔がヴェラの心を塗りつぶす。なんということだ。だが間違いない。これは……()()()()だ。


 一瞬貞操を奪われた可能性を考えたが、痛むのは下腹部ではなく頭だった。鼻をついた匂いは吐しゃ物(ゲロ)の匂いだ。まごうことなき二日酔いである。それもかなり酷い。


 裸にされているのはきっと服に吐しゃ物がかかって脱がされたのだろう。下着まで剥がされているということは、下着まで汚してしまったに違いない。


 どうやら誰かに色々と迷惑をかけたようだが、その相手は見当たらない。少なくとも室内にはいない。たぶんきっと昨夜一緒に呑んだあのノエルとかいう人間だと思うが、酒場を出たあたりからの記憶が全くないのだ。ひょっとしたら別人の世話になっていた可能性もなくはない。


 そこまで考えたとき、大変なことに気づく。今は何時なのだろう。部屋は薄暗いが、それは窓にカーテンがかかっているからだ。今日の出勤時間は四の鐘(八時)だから、三の鐘(六時)には職場についていなければならない。今の時期ならこの明るさで三の鐘の前ということはあり得ない。間違いなく遅刻している。


「やばっ、っぅ」


 咄嗟に起き上がろうとするが、頭に棍棒で殴られたような衝撃が走る。意識が一瞬途切れ、ヴェラは寝台に突っ伏した。


 寝台にうつぶせになっていると、今度は吐き気がこみ上げてくる。まずい。まずいが、体を起こすのも寝返りをうつのも困難だ。というか、痛くて頭を動かせない。動かしたくない。


 このまま自分はやらかしてしまうのか。そして自分の吐しゃ物に塗れるのか。それは嫌だ。仕事に遅刻したのが確定しているのでぶっちゃけ割と死にたい気分だが、同じ死ぬにしても吐しゃ物で溺死(ゲロ死)は避けたい。


 そのとき、微かなノックの音がしたかと思うと、扉が開いてノエルが部屋に入ってきた。


「ああ、目が覚めたんですね。気分はどうです……って、聞くまでもないですか」


 それはまあ、これだけ真っ青な顔をして口を手で押さえていながら気分が爽快だったら、そいつは生物としておかしい。ついでに言うとおそらく初対面であろう人間の前でこれだけの醜態を晒しつつ全裸も晒しつつ平静でいられたら、そいつは精神がおかしい。


 ヴェラは慌てて身体を起こそうとしたが、身体を起こした途端、激しい頭痛と共にさらに強烈な吐き気がヴェラの身体を襲撃した。これはもはや一刻の猶予もないやつだ。


 こういった状況を予想していたのだろう。流れるような動作でノエルが差し出した桶に、ヴェラは胃の中身をぶちまけた。あまりの恥ずかしさと申し訳なさで、もういっそ殺してくれと思いながら。




 その後、ヴェラは人形のようにされるがままになっていた。吐き気はマシになったが、頭痛がより酷くなっていて身動きが取れなかったからだ。


 身体を拭かれ、抱き上げられて長椅子に寝かされ、毛布をかけられる。その間、拒否することも詫びることもままならない。身の置き所がないとはまさにこのことだ。


 ヴェラの介護をしてくれたのは、昨夜会ったノエルだった。ただし髪と服装を整えているので、よく似た別人に見える。昨夜は髪に隠れて見えなかった紫色の瞳が見えることと、気だるげだった雰囲気がなりを潜めていることで印象が大きく変わっていた。昨夜は30歳前後に見えていたのが今は20歳程度に見える。女性にしては背が高く男性にしては低いため、相変わらず性別はわからない。


 ノエルは換気のために部屋の窓を開け、寝台のシーツを剥ぎ取り始める。手慣れた様子から日常的に家事をしているのだろう。ならば女性だろうか。というか、男性であったならばヴェラとしてはさらにいたたまれなくなってしまう。ぜひ女性であって欲しい。お願いだから。


「すぐ戻ってきますから、ちょっと待っててくださいね」


 一通りの始末を終えた女性は、汚れものを持って部屋を出る。言葉通り少し経って戻って来た時には、手にマグカップを持っていた。


「良く効く薬です。かなり不味いですけど頑張って飲んでください」


 差し出されたマグを受け取る。ヴェラはこの世に紫色と銀色がマーブル模様を描く液体があると初めて知った。どう見ても口に入れていいモノには見えなかったが、今のヴェラには断る権利などない。ノエルが飲めと言うなら飲むしかないのだ。


「ぅっぐ、ぅぇぁぅ」


 口にした途端、苦味とえぐ味が渦を巻いて舌を蹂躙した。実は毒だったと言われたほうが納得できる。飲み込むのは至難の業だ。しかし口の中に留めるのもまた拷問に他ならない。本来なら吐き出すのが最適解であろう。だがその選択肢を選べる状況でもない。


 もういっそ殺してくれと本日二度目の思いを抱きながら、ヴェラはなんとか薬を飲み下した。




 薬を飲んだことで吐き気はほとんどしなくなった。頭痛もマシになったように思う。だが今度は倦怠感が身体を包み、やはり身動きが取れなくなった。口を開くのも億劫なほどに。


 今の正確な時刻はわからないが、仕事に遅刻しているのは確実だ。本来ならば一刻も早く職場に駆け付けなければならない。


 だが今のヴェラは声すら満足に上げられない状態だ。気持ちは焦るがどうしようもない。動けるようになり次第、職場に向かうしかないだろう。船長や水夫頭にどやされるのは確実だ。殴られたりはしないが、また借金が増える可能性はある。何より他の皆に迷惑をかけたことが申し訳なさすぎて辛い。


 それに次の仕事は明日が出航で、今日は積み荷の搬入で大忙しなのだ。ハーフリングであるヴェラは積み込みにおいてあまり戦力にならないが、だからこそ人一倍頑張らなければならない日なのである。そんな日に無断欠勤など、考えただけで胃が痛い。


 そんなヴェラの内心を知ってか知らずか、ノエルが声をかけてきた。


「薬が効いてきたようですね。二日酔いの薬に別の薬を混ぜておいたんですが、身動きは取れますか? ああ、やっぱり動けないみたいですね。思ったとおりです。このままだと退屈でしょうし、昨夜の話の続きをしましょうか」


 なにやら色々と聞き捨てならないことを言われている。この身動きの取れない状況は飲まされた薬のせいらしい。さっきの悪夢はこれから起こることを予知していたのだろうか。今までに流したことのない量の冷や汗が背中を伝う。やはり自分は夢で見たように嬲られ弄ばれるのか。それとも色町に売られてしまうのだろうか。


「昨夜の約束通り、貴女の退職届は先ほどマレゴワール海運に届けておきました。うちとの契約は来月からなので、それまでは準備期間と考えてください。その期間中にマレゴワール海運との折衝は済ませておきます。預かった委任状があれば何も問題ないので、任せておいてください」


 聞き捨てならないどころか絶対に問い質さなければいけない単語が続出した。退職届? 契約? 委任状? いったいどういうことだ? 昨夜の記憶は残ってないが、いったいどんな話をしたのだ?


「ちょ、ちょっと待ってもらわれへんやろか」


「どうしました?」


「あの、実は昨夜酒場を出てからの記憶がのうて、今の話を全く覚えてないねん」


 ヴェラの告白にきょとんとしたノエルだったが、大したことではないと言わんばかりににっこり微笑んで話を続ける。


「ああ、なるほど。それは驚きますよね。まあ昨夜の話をかいつまんで説明すると、貴女は今日付けでマレゴワール海運を退職し、このバラデュール商会に入ってもらうことになったんです。それに伴って貴女がマレゴワール海運から借りたお金はうちが肩代わりをしますし、それに関わる折衝は全てこちらで引き受けます」


「え? いや、ウチ今の職場を辞めるつもりはないねんけど……」


「そうおっしゃられましても、もう正式な退職届をマレゴワール海運に出してしまいました。貴女が署名(サイン)したものを」


「へ? ウチそんなんに署名した覚えない……」


「そこも覚えてないんですね。昨夜しっかり署名されましたよ。退職届と委任状と契約書と借用書に。ご自分の手で」


 ヴェラの記憶には全く残っていないが、どうやら酔っぱらって軽率に署名してしまったらしい。だが酔っぱらっていようがなんだろうが、正式な書類であることには違いない。当然ながらその書類は実際の拘束力を持つ。


 だがそうだとするなら、この後自分はどうなるのか。すぐにマレゴワール海運に戻ることは難しそうだ。それ以前にバラデュール商会とやらでどんな仕事をやらされるのか。最初に思い浮かんだのは、やはり娼館で男たちの欲望を処理する仕事だった。


 実のところ、ヴェラは子どもの頃からハーフリングの間では美少女で通っていたのだ。今でこそ髪はバサバサだし肌に張りはないし顔には生気が無い上に死相まで浮かんでいるが、しばらく健康管理と美容管理を徹底すれば元の可愛らしい容姿を取り戻せるだろう。


 しかも妖精族は成人から死ぬまで容姿が変わらない。現在20歳であるヴェラの場合は最長であと100年くらいお勤めができてしまう。そんなヴェラが娼婦になれば、店はなかなか手放したがらないだろう。人間から見れば幼い容姿のヴェラではあるが、同じハーフリングの客や幼い容姿だからこそいいという人間の客もいる。


 考えれば考えるほど、未来はそれしかないように思えた。酒を呑まされて書類に署名させられ、借金を返すまで娼館に押し込められる転落人生。話に聞くことはあるが、自分がそうなるとは考えたこともなかった。絶望的な未来図がヴェラの顔から血の気を奪っていく。


「あ、あの、ウチ、どんな仕事をやらされるんやろか。その、仕事の内容によっては考え直さして欲しいんやけど……」


「お願いする仕事はまあ、必要に応じて色々ですね。少なくとも今よりはぐっとお給料が上がりますよ?」


 給料が上がるのは喜ばしいが、仕事の内容を具体的に言わないことには不安しかない。というか、素直に考えれば()()()()()()()()()()()()()()だから給料がいいのではないか? 例えば、娼婦とか。


 そこまで考えてヴェラが真っ青になったその時、隣室から聞きなれた大声が響いた。

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