2話 素敵過ぎて動けませんでしたの
バルベル伯爵家の館まで着くと馬車の中で「んんーっ」と令嬢らしくない伸びを一息。
少し飛ばし気味の馬車がついたのは傾いた日がオレンジ色に輝く夕暮れ。
一日中座ってたとはいえずっと馬車に揺られていたのだ、体には疲労感を感じた。
降りて良いものか思案していると扉が開いたので素直に降りると、馬車の前では老齢の執事と数人のメイドが待機していた。
ティファニーが降りると素顔をヴェールで隠す姿に、まだ若いメイドがピクリと驚いたように目を見開く。
少しぽっちゃりとした優しそうな顔の老齢の執事が一歩前て歩み出ると口を開く。
「ようこそお越しくださいました。」
「ティファニーと申します、これからお世話になりますの。」
緊張と、普段する事のない為にドレスの裾を摘み不慣れなぎこちないカーテシーを披露する。
つい厚いヴェールをしたまま降りてしまい、不敬には捉えられなかったかと不安に思うが今更外すのは気が引けてしまい、話題に上がれば外そうという事にした。
簡単に挨拶をすませると老執事に促されるままに屋敷へ足を向ける。
実家よりも華々しさがない代わりに白を基調にしたシンプルな作りの屋敷の前には青い花を基調とした庭が目を引く。
「綺麗な花ですのね、少し見ても良いでしょうか?」
「どうぞ、ご覧ください」
そっと近づきヴェール越しに眺める。
夕暮れのオレンジに照らされた花はこのままでも美しいが、明るい日に照らされるとまた違う魅力があるのだろう。
すぐに見られるであろうその日が楽しみになる。
「花を眺めるのなら是非日中がいいでしょう、旦那様もお待ちですのでそろそろ宜しいでしょうか?」
「え、ええ失礼致しました。向かいますわ。」
馬車の疲れもあるのだろうか、ぼんやりと花を眺めていると一瞬気が飛びそうになる。
危なかったとほっと胸を撫で下ろす。
老執事に連れられ今度こそ屋敷へ向かった。
屋敷へ足を踏み入れると大きめの広場の奥に2階へと続く階段がある。
見慣れぬこれから過ごす屋敷にぐるりと見回すと、間もなく屋敷の主人が2階の奥から姿を表した。
ヴェール越しにははっきりとは見えないがスラリとした長身ながらも筋肉が付いているであろうがっしりとした男性の体躯、ダークブラウンの髪は艶やかに輝きを放ち、濃淡のコントラストが甘やかに彩る。
その中で決して顔を晒さない無機質な仮面が異質さを放っていた。
トクリとティファニーの心が高鳴る。
顔こそわからないものの今まで出会った中で初めて美しいスタイルだと思える男性であった。
驚きのあまりポカンと口を開いたままの表情は厚いヴェールにより守られたのは幸運であろう。
咄嗟の事に動けずにいると男性は階段からおりぬまま仮面越しに言い放つ。
「ようこそ我がバルベル家へ、貴女がちゃんとここまで来たのは見届けた。家にも話を通しておこう。もう遅いが早く帰りたいなら護衛を手配しよう。」
低く落ち着いた声が耳に心地良い。
見た目良し、声も良いなんて幸先が良いが気になるのはその内容。
帰らされそうになっている。何か粗相でもしてしまったのだろうか。
見惚れていたが、このまま思考停止していたら実家へ返されてしまう。
それだけは理解した。
「わたくしこの家に骨を埋める覚悟で来ましたの、帰れと言われても困りますわ。お互いを理解する期間くらいは設けていただけませんの?」
見惚れる程のスタイルからの追い返し発言にパニックになりつつも心を落ち着かせ、なんとか口を開く。
今までいないもののように扱われて来たのだ、帰っても自分の居場所はないだろう。
安住の地とは行かなくても新しい住まいは得ないと世間知らずの自分は今後どうすれば良いのかわからない。
「無理はしなくていい、今まで来る事があった令嬢達は私の姿を見るなり怯えたのだ。貴女の勇気は報告しておこう」
手強い。でもこちらも帰される訳にはいかない。
「報告なら無事に着いて寛いでいるとお返しくださいな。あまり歓迎はされておりませんが時が経てば分かり合えるかもしれませんもの。」
「当てつけのように顔を隠して現れておいて、歓迎を受けたいとは大層な身分だな。」
やはり顔を隠したままなのはまずかった。
馬車から降りた後にでもそれとなく外せば良かったのだろうが後の祭りだ。
どう挽回しようか震えそうになる声を叱咤しながら答える。
「実家では顔を隠せと言われていたので……、でも顔を隠しているのは一緒ではないですか、外すよう言われましたら直ぐにでも外しますの。」
せめてもの救いは相手も仮面をつけて顔を隠している事。
それにヴェールを外せというなら直ぐに外そう。
ティファニーの指先がヴェールに触れる、外すなら今だ。
「そのままで良い。私が外そう。」
ヴェールを外す指先に力が止められる前に静止の声が届く。
側にいたメイド達はある者は不自然に目を彷徨わせ、目を瞑り、怯えたように息を呑む音がする。
そしてあからさまな者は顔を下に向け震え怯えを見せる。
「この顔を見てもまだその気なら今夜は泊まっていくと良い。」
そう言って男らしい手が仮面を掴むと一緒外すのを躊躇し止まるが、意を決したようにゆっくりと外していく。
ヒッと聞こえたのは若いメイドの声。
さらりとダークブラウンの髪に撫でられながら見えた顔にティファニーは息を吐く。
メイド達とは違う、感嘆の吐息であった。
ヴェール越しではっきりとは見えないけれどくっきりとした二重に髪色と同じダークブラウンの瞳、高い鼻に緊張しているのかキリリと結ばれた唇は男らしくティファニーの心を高ぶらせる。
「すてき…」
咄嗟に吐息から漏れ出た言葉は霞となって消え周りには届かない。
心臓の音が煩い。
何か言わなければと思うが必死に頭を働かせるが思考は止まり上手く唇が機能しない。
叱咤する様に指先で動かない唇に触れる。
仮面を外してから数秒、言葉を紡がないティファニーに痺れを切らしたのか外した仮面を付け直すと踵を返し2階の奥へと消えた。
身体が自由になった時はもう遅い。
ずっと無言だなんてとんだ無礼を働いてしまった。
あまりの衝撃。
立ち直れずにぽや〜っと惚けていると執事の咳払いと共に声をかけれた。
またも緩み切った表情はヴェールにより守られる。
「旦那様も仰る通り、このまま泊まるか帰宅するかどちらに致しますかな?」
「あ、泊まります!……ではなく帰るつもりはありませんの。あの方ともっとお喋りしてみたいですし……」
今まで感じたことのない気恥ずかしさを覚え段々と語尾の声が小さくなる。
ふむ。と思案する事数秒、顎をひと撫でした。
「かしこまりました。では部屋へとご案内致しましょう。今後の話しはその後にさせていただきます。」
老執事は一礼すると、これからの部屋へと案内する為に歩き出す。
事の始まりから1日も経過していない突然の婚約話しは、
今までの生活の場所が変わるくらい、そんな軽い気持ちでいた。
欲を言えば好みだと思える方だと良いが、自分の両親の事を考えると政略結婚に高望みしてはいけない。
だかしかし実際に会ってみた旦那様はずっと魅惑的で……
気を抜くとつい思い出し惚けそうになりながらも足を叱咤し老執事の後ろをついて歩く。
ヴェールの中でティファニーの耳は真っ赤に染まっていた。
後に残ったのは数人のメイド達、慣れている者は動き出すが、恐怖に固まる者や力なく座り込む者等様々であった。
「うぅっ、なんて恐ろしい……」
「いけませんっ」
怯えたメイドの言葉に先輩メイドも注意はするが声に力は入らない。
極端なふくよかさは包容力のある逞しさ、極端な細さは儚い庇護欲。
顔のパーツも目は小さい方が良い、特に肉に埋もれているとミステリアスさがあり好まれる。
鼻は低く穴も横に大きく広がる方が好まれる、更に穴が中心は細く外側に広くなっていたら左右合わせてリボンのようでチャーミングだ。
これらは全てティファニーの好みとは真逆で、まるでメイド達との反応の差に美醜が逆転しているようであった。
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