16話 ハンカチを手に入れましたの
「ダー…………リン?」
聞いた事がある響き、それは巷でカップル達が呼び合う男性側の呼び方ではなかったか。
もはや求婚されようとしている立場からそんな言葉が出てくるとは思わずに思わず脳の理解が追いつかない。
「駄目ですの?」
「いや、さすがにまだそれは早すぎるのではないか。そうだな、早い。」
「わかりました。」
しゅんと落ち込んだように俯く姿は憐憫を誘い、つい許したくなるが、小さな声でダーリックの名前を何度も呟き噛み締めるように小さく笑う声に気付くと、どうしようもない愛おしさが込み上げるのを感じた。
しかしせっかく一緒にいるのだ、もう少し会話を楽しみたいし、その先の計画もある。
「好きだと言っていたからな、桃を用意させたのだ。」
「さっきから気になってましたの。」
待ってましたとばかりに桃にフォークを差し口に運ぶティファニー。
美味しそうに咀嚼する姿は見えないが、楽しんでいる様子は見てとれる。
「この前馬車の帰りで顔を見せると言った事は覚えているか。」
「そうでしたっ、わたくしまだ見せていただいてませんの!」
「嫌でなければ今見せようと思う。そしてもし気分が悪くならなければ話しがある。」
「是非見せてくださいな、わたくしとても楽しみにしてましたの。」
弾むような声音で伝える様子はとても怖がっているように見えない。
自分の分の桃は食べ終わりフォークを置き、今か今かとヴェールの下で食い入るように見つめるティファニー。
「良ければこれも食べると良い。」
フォークを置いた事で皿に桃がない事に気付き、自分のまだ手をつけていない桃を進めるダーリック。
真っ直ぐに向けられた顔に対して自分の顔を晒すのは躊躇われる。
ならばせめて甘い物を食べながらなら味覚で少しでも不快感を誤魔化されるのではないかという戦略だ。
「ありがとうございます、あらっ」
譲り受けた桃を一口食べると汁が1滴ティファニーの胸元へとポトリと垂れる。
ねっとりとしたそれは艶やかな肌を下へ下へと垂れていく。
「どうしましょう、ドレスに汁が付いてしまいますの。」
「このハンカチを使うと良い。」
咄嗟に渡された白いハンカチを受け取ると、ドレスまで滴が落ちる前に胸元を拭うティファニー。
拭う瞬間ハンカチが押しつけられ沈む胸の柔らかな弾力は馬車での記憶を思い出し、ダーリックは一気に顔に熱が集まるのを感じた。
「このハンカチお借りしても宜しいでしょうか?」
「あぁ、捨ててしまっても良い。」
「捨てないで刺繍をしてお返ししますの。」
捨てるなんてとんでもない、せっかく借りた白いシンプルな刺繍のやりがいがあるハンカチだ。
ティファニーは腕の見せ所だと息巻く。
ハンカチという普段使う物に手を入れ自分を思い出してもらうのだ。
金はワンポイントとして刺繍に使いやすい。
自分の髪を刺繍糸として使い、さらに縁を深めようとタチの悪い呪いにでもありそうな事をする気満々である。
「刺繍を?」
「えぇ、自信がありますの、期待してくださいませ。それよりもお顔を見せて欲しいですわ。」
「顔か、いや、ちょっと待って欲しい。」
確かに見せると言った。
しかし今の顔はまずい、ただでさえ恐ろしい顔が赤くなっているだろう。
これではいくら寛大な心があっても恐怖し、嫌悪する以外の反応が浮かばない。
時間が経てば赤面は落ち着き、ただ恐ろしいだけの顔に戻るだろうとダーリックは時間を伸ばした。
「わかりました。あっ!ダーリック様ちょっと手を貸していただけますか?。」
時間稼ぎは成功したのも束の間、ティファニーに片手を取られるとヴェールの下へ手だけが引き入れられる。
摘む様に促され、恐る恐る両手の親指と人差し指を閉じると、得体の知れない薄くふにふにとした様な感触が伝わる。
「この感触どう思います?」
「…………ふわふわして柔らかいな。」
「好きという事です?」
「……あぁ。」
「ではこの感触が無くなったら悲しいと言う事で宜しいですの?」
無くなったら悲しいまではいかないが、あればまた触りたくなるような感触。
しかし珍しく詰め寄る様に強く聞くティファニーの迫力に認めざるを得ない。
「まぁ、そうだな。私は何を触っているんだ?」
どうしても思い浮かぶ手触りが無く、何度か指で擦ると逃げる様に指から離れようとするので、そっと追いかけ潰さない様に再度撫でる。
撫でる度に当てられない事に笑っているのかティファニーの息遣いが聞こえ、つい何度も撫でては軽く摘む。
「んっ、あまり何度も撫でないでくださいませ、耳たぶですの。」
「みっ、そんな場所をおいそれと他人に触らせるのではない。」
すぐさま手を離すと自分は何て部分を触っていたのかと、今度は顔だけではなく全身がカッと熱くなる。
息遣いは当てられない事に笑っていたのではなく、何度も撫でられ触られた感触に対しての反応。
何を触っているか当てるゲームでもしようとしてるのかと、真剣に何度も触ってしまった。
顔を見る前に耳たぶを触るなんてどんな距離感の詰め方だろうか。
そんな驚きに強くなる言葉尻を受け、ティファニーは叱られた事に対する理由をわたわたと述べる。
「じっ、実は以前来たデザイナーの方が耳にピアスの穴を開けるようにと言われましたの。でもダーリック様が好きだと仰っていただけるならそれを理由に断れますの。」
「ピアスを開けるのは嫌なのか?」
「穴を開けるのって絶対痛いですのよ、絶対に嫌ですの!」
痛いのも、辛いのも、ティファニーは大嫌いだ。
なぜピアスをつけるだけなのに痛い思いをしなければならないのか、痛い思いをするくらいなら一生開けたくはない。
この件に関しては使えるものは何でも使いたい。
ダーリックにお願いする事に決めていた。
「そうか、なら次依頼する時にピアスは開けないように言っておこう。」
「本当ですか?嬉しいっ!ダーリック様は何でもお願いを叶えてくれて大好きですのっ。」
大好き、その言葉がダーリックに届くと激しく胸を打ち、収まりつつある顔の熱がさらに集まってくるのを感じる。
これはもう今日顔を見せるのは難しい。
ただでさえ奇異される顔が赤くなっているなんて恐怖しか感じない。
「顔を見せるのは次の機会でも良いだろうか?」
「約束ですの。」
「約束しよう。」
確実に今日決めると決めていた求婚は次の機会に持ち越された。
部屋を訪れたティファニーを見た時に、以前付けていたブラウンのショールだけではなくドレスにもブラウンが使われており、自分の目と髪の色を取り入れられもはやデートのようだと心浮かれた。
何度もいう機会があったのに結局自分のせいで言えなかった事を情けなく感じた。
お読みいただきありがとうございます。




