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「いやあ、助かったよ。まさか、こんなところで、ウルフに襲われるなんて思っていなくてね。
君が通りかかってくれなかったら、危うく妻と一緒に死んでしまうところだったよ」
「倒さないとわたしも先に進めませんでしたから。それに乗せていただけただけでも、助かります」
「そう言ってもらえると助かるよ。生憎、いまは商品ばかりで、お金がほとんどなくてね」
「そういえば、これも護衛ってことになるんですね。だとしたら報酬はもらっておかないと、拙さそうです。
これでも、ハンター組合に属していますから、例外を作ると怒られてしまいます」
「うーん……積み荷から欲しいものを……といっても、お嬢ちゃん、シエルメールちゃんが欲しいものはないんじゃないかな?」
「家具や工芸品をもらっても、場所に困ってしまいますからね。
できればお話を聞かせてください。田舎から出てきたばかりで、わからないことが多いんですよ。
それが報酬ということでお願いします」
王都に向かう街道で、フォレストウルフ数匹に襲われていた馬車を見つけて、助けたのが少し前。
助けた熟年の行商夫婦は、せめてものお礼にと、1人で歩いている私達に一緒に行かないかと誘ってきた。
そうして今は、御者台に行商の夫と一緒に座って話をしているのだけれど、話しているのは私ではない。
私の中には生まれてすぐの時から、もう1人いる。本人曰く、取り憑いているらしい。
私としては、エインと一緒に居られればそれでいいので、取り憑いていても、乗っ取られても構わないのだけれど。そもそも、エインがいなければ、私はもう死んでいただろうから。
というわけで、いま商人と話しているのが、私の大切な人のエインセル。生まれてからだから、もう12年の付き合いになる。
シエルメールというのが私の名前で、エインが考えてくれた。
なぜ今、エインが話しているのかといえば、私が男性恐怖症だ――とエインが思っている――から。
正確には男性がより苦手なだけであって、人そのものが苦手なのだ。いまではだいぶ話せるようになってきたけれど。
「それにしても、周りに森は見えませんが、この辺りにフォレストウルフが出てくることってあるんですか?」
「絶対にないってわけじゃあないね。このあたりだと、北の森から流れてきたんだろう。
でも、めったにあることでもないからね。かなり運が悪かった。だが、お嬢ちゃんが通りかかってくれたわけだし、運がよかったともいえるかもしれないね。
それにしても、その歳でフォレストウルフを倒せるなんて、やっぱり職業のおかげかい?」
「職業については、ちょっと……」
「ああっと、こりゃ、マナー違反だったね」
商人の男はついうっかりといった様子で、手を額に当てて謝ってくる。
職業とは神様に与えられる能力といっていいだろう。簡単な話、剣士と付く職業を授かったら、剣の扱いがうまくなるといったものだ。
特にハンターだといつ他のハンターと敵対するかもわからないので、職業を詮索するのはマナー違反になる。それに特定の職業だと、差別されることもあるため、職業差別を許容していないハンター組合では、無理に職業を聞き出すのを禁止している。
失態をしてしまった商人は、取り繕うように、話を変えた。
「そういえば、お嬢ちゃんはどうして王都に?」
「寄り道です」
「寄り道か」
「はい。ハンターとして、1度は行っておきたかったというのもありますけどね」
「そりゃあ、一度は行っておいて損はないね。初めてならびっくりするかもしれないけど」
このような感じで、王都の話を聞きながら、馬車に揺られて王都に向かっていた。
◇
夕方、太陽が真っ赤に染まり、昼間は青々としていた草々が今はどこか寂しく見える。
こういった色鮮やかな景色は、見慣れたと思っていても、つい見惚れてしまうから不思議。
美しいと思うし、触れてみたいと思うけれど、触れてはいけないような気もする。
私が呆けているのがわかったのか、エインが「ふふ」っと笑い、『着きましたよ』と教えてくれた。
いままでいくつも町は見てきたつもりだったけれど、王都の門はどこの町の門よりも大きく、囲っている壁はとても高くて丈夫そうだ。
夕焼けに照らされた壁は橙に見えるが、おそらく昼間だったら真っ白なのではないだろうか。
私の髪と同じ色。初めて町を訪れたときには、この髪を隠して町に入って行ったのを覚えている。
私の青い瞳と真っ白な髪が目立つかもしれないからと、エインが教えてくれたのだ。
実際、いないとは言わないけれど、白い髪をしている人は少ないし、私のように綺麗な青は珍しいといわれた。だけれど常にフードで隠しておく必要があるほど、目立つわけでもない。
生き死にには直結しないけれど、エインのこういった気配りにも、私は助けられている。
王都の門は、ハンターギルド証を見せると、すんなり通ることができた。
門番をしていた騎士には驚かれたけれど、慣れたものだし、自分が子供である自覚はあるので気分を害することもない。
商人夫婦とは、検問の前で別れたけれど、王都の宿の情報については、エインが聞き出し済み。
エインと入れ替わって、私の足で教えてもらった宿に向かう。
宿の条件としては、高くても安全なところ。安宿だと、夜中に襲おうと部屋に入ってくる人がいるので、主にエインの気が休まらないのだ。
だからといって、高級宿に泊まると、今度はお金を持っている子供に見られて付けられる。そうなると、またエインの仕事が増える。
エインは探知魔法が使えるし、寝る必要もないらしいので、頼りきりになってしまうのだけれど、エインはそれでいいと言い張っている。
それが嫌で、1度無理に起きていたら、あとから寝不足で危険な目に合ったので、役割分担だとエインに押し切られて今の形に落ち着いた。
私の役目は戦闘全般。エインは魔法で周囲を探れるし、身を守ってくれる結界をはってくれているのだけれど、攻撃ができない。実際、攻撃魔法を使おうとしても、実用に至るものは1つもなかったし、女で子供である私の体で武器を使っても、通常は大して強くない。
私の場合、ある程度攻撃魔法も使えるし、職業としても全く戦闘に役立たないというほどでもない。
それから、普段の生活は私が行っている。人が苦手な私の代わりに、長時間誰かと会話を続けないといけない――今日みたいな――ときには、変わってくれるが、基本は私。
閑話休題。つまり、できるだけエインに負担をかけないためには、高すぎず安全な宿を探す必要がある。言ってしまえば、女性ハンターが普段に泊まるような宿になる。
教えてもらったはいいけれど、実際に泊まるかは見てから決めないとなと思いながら、王都を歩くのだけれど、人が多い。
歩いているとすぐに人にぶつかる、とまでは行かないけれど、今までに見たことがない数の人が集まっているのがわかった。
その分、道幅も広いのだろうけれど、慣れない人ごみに町の様子を楽しんでいる余裕もない。
やっとの思いで、王都に入ってすぐの商業区を抜け出すと、幾分人が少なくなった。
どうやら、宿泊施設が集まっているようで、教えてもらった宿もすぐに見つけることができた。
宿の名前は『白花の都』。女性もしくは、女性と男性のグループでしか利用できない宿で、内装もハンターがよく使うような粗野なものではなく、明るく小ぎれいにしている。
入ってすぐにあるカウンターには、妙齢の女性が座っていた。初めての宿に入ると、半分くらいはぶしつけな視線を向けられるのだけれど、ここはそういったことはなく、とりあえず3日分のお金を払って、部屋に案内してもらった。
3階建ての宿は、3階が女性のみの部屋、2階が男女共用の部屋となっているらしく、私達は3階の一番手前の部屋になる。
部屋も真っ白なベッドに、清潔なシーツ、お湯などは別料金になるものの、浴槽もあるので、女性に人気が高そうだ。
荷物を置いて、しわ一つない、ベッドの上に体を寝かせる。
普段からきれいにしているけれど、全く汚れていないわけではない体で、白いシーツの上に寝転がるのは、なんだか悪いことをしているようで、それが無性に楽しい。私は悪い子になってしまったみたい。
「フフッ」と口から笑いが零れてしまったせいか、『どうかしましたか?』とエインの不思議そうな声が聞こえてきた。
ちょっとした私の楽しみだったけれど、エインにはばれないようにしなくちゃいけない。エインに嫌われたくないもの。
悪いこととは言っても、そんなに悪いことでもないと思うし、エインも許してくれるかしら。
とりあえずは、エインにばれないようにごまかさなくては。
「もうすぐ、海を見られるのよね。それが、とても楽しみなの」
『前々から見たいって言ってましたからね』
「それは、エインのせいだと思うのよ。海は水がいっぱいあるのよね。でも青いのよね。
どうしてかしら。コップの水は色がないのに」
『どうしてでしょうね』
エインの声はとても優しい。おそらく、理由を知っているのだろう。だけれど、それを今説明しても、私が理解できないことも知っているのだ。
本当に、エインはいろいろなことを知っている。
でも、私と同じくらいものを知らない。言葉なんて、私のほうが先に話せるようになったくらいだ。
だからといって、エインの頭が悪いわけじゃない。私の最も古い記憶でも、歌を歌っていたエインは、確かに何か、言葉を使っていたから。
この国とは違うところで生きてきた人なのだろう。私の名前であるシエルメールも、エインが付けたのだけれど、エインの知っている言語――ふらんす語というらしい――から取ったと言っていた。
意味は空,、海。私の青い瞳と白い髪からイメージしたもののようで、私が海を見たいと言い出したのも、これが理由なのだ。
余談になるが、エインはいくつも言語は知っているが、堪能に使うことができるのは1つだけだったらしい。
『それに、本当に海が青いか、わたしも見てみないとわからないですよ』
「だから、見に行くのよ。できれば、エインの知っている海を見たいけれど、エインと一緒ならどんな海でも見てみたいもの。
ところでエイン。1ついいかしら」
『何でしょうか』
「何度も聞くけれど、エインは神様じゃないのよね?」
『何度も返しますが、神ではありません。わたしが神なら、屋敷から逃げ出すのに、10年もかけませんでしたよ』
エインはそういうけれど、確かに神様ではないのかもしれないけれど、特別な人だとは思っている。
だって、エインは海を見たことがないのに、海が青いと断言しているのだから。それは、自分が知っている海は青いけれど、いまから見に行く海は青ではないかもしれないと言っているようなものだ。
何より、エインは職業について知らなかった。
もしもエインがただ死んだだけの人であれば、職業について知らないわけがない。
だって、はるか昔から、人は職業を神から授かっているのだから。死んだ後の魂がどうなるかはわからないけれど、職業が無かった時代の魂が、いまの時代までそのまま残っているとは思えない。
だから、神様じゃないかと思うこともあるし、職業なんてない世界から来たんじゃないかなとも考えることはある。
でも、エインが一緒にいてくれるなら、私はエインがどこから来たかなんて本当はどうでもいいのだ。
エインの隠し事といえば、もう1つ。死ぬ前の性別がどちらだったのか。
はっきり聞いたことはないけれど、それとなく聞いてみたときには、はぐらかされてしまった。
私はエインが男性だったとしても、全然かまわないのに。そう思って、自分の胸に両手を持っていき、下から持ち上げるように揉んでみる。
大人と比べると大きくないけれど、昔に比べるとだいぶ大きくなったのではないだろうか。
神妙に考えてはみたものの、この行為が何を意味しているのか、分からないほど純粋でもない。
『シエル……何をして、いるんですか』
「何って、エインが揉んだら大きくなるって言ったのよ?」
揉んでいるうちに、むずむずと、なんだかもどかしくなったところで、エインが抗議の声を上げてくる。
だから、私は努めて何も感じていないように、言葉を返した。
『だから、それは、俗説だって、教えたと思いますが』
「そうだったわね。でも、本当かどうかを試したこともないとも言っていたもの。
だったら、私で試してみてもいいんじゃない?」
言葉を返すと同時に、先っぽにも触れると、『ひぅ』とエインが声を上げた。
そう、エインは私の行為にまるで“慣れて”いないかのように、戸惑い、驚いたように、高い声を上げるのだ。
それが、可愛くて、可愛くて、もっといじめてみたくなってしまう。本当に私はいけない子。
でも、エインにひどいことをしたいわけじゃない。痛い思いはさせたくないし、苦しい思いもさせたくない。
エインの可愛い声が聴けて満足した私は、「ふふ」っと感情をわずかに吐露する。
仮にエインが男性だとしたら、性別を明かさないのは、私が男性恐怖症だと思っているからだろう。
優しいエインは、一緒にいるのが男だと知ったら、私に悪影響があると思っているに違いない。
でも、今みたいなときに、エインが強く私に言えないのは、エインが男だと隠してるからなのだと思う。だから、いつまでも伝えられなくてもいいと感じてしまう私は、本当に、本当に、いけない子ね。
それに、以前はどうあれ、今は神様に女性だと認められているのだから、かつての性別なんて気にしなくていいと思うのだけれど。
だけれど、やっぱりそれは教えてあげないの。
『シエル、聞こえていますか。シエル』
「ごめんなさい。少し、考え込んでいたみたいね」
『いえ、寝るのだったら、先にお風呂に入ってはどうですか、と伝えたかっただけですから』
「久しぶりだものね。お湯は別料金だけれど、こういう時、魔法が使えるって本当に便利よね」
しわが寄ってしまったシーツから体を起こし、魔法を使って浴槽にお湯を張ることにした。
◇