09 少女と人形 3
深呼吸して平静を取り戻したオフェリエは、改めて地下室を見回した。
「どうやら魔術の研究室のようね。上に書庫があったけど、こちらは実験のための部屋かしら」
「どんな実験だ?」
「エルマちゃんが見つけた彼。自律する青銅人形のでしょうね。ところでレヴァン、石は?」
「ほら、そこだ」
オフェリエは、レヴァンが指差した箱を覗き込んだ。確かに、色とりどり、大小さまざまな石がぎっしりと詰め込まれている。
「……うーん」
けれどそれらからは、オフェリエが期待したほどの魔力が感じられなかった。オフェリエが探しているのは、火を吐く牛から入手したような、強い魔力を持つ石なのだ。
「これじゃあねえ……」
オフェリエの欲しいレベルではない。だが、掘り出し物が混ざっているかもと、試しに一つ摘み上げて――リーン! と、高い音が響き渡った。
「! なんだ、この音」
「警報音……! ごめんなさい、レヴァン! 注意して!」
警告を発しながら、オフェリエは腰から短剣を引き抜いた。弓も持ってはいるが、狭い室内での取り回しは不便だ。
短剣を構え、視線をめぐらせ、次の変化を待つ。
ガスが噴出するか、敵が現れるか。
「っ上だ!」
先に気付いたのはレヴァンだった。
上、と振り仰げば、穴から人影が飛び込んできた。
マント、外れかかった肩、そして添え木のされた足。
「ピロスさん……!」
オフェリエは攻撃を躊躇った。その一瞬の隙に、ピロスは着地し、床を蹴って走る。
ピロスがオフェリエに肉薄し、左腕を振りかぶった。
「っ」
オフェリエは少しでも距離を取ろうとバックステップしたが、ピロスの拳のほうが早い。咄嗟に顔を腕で庇う。
衝撃。
ピロスの拳が振りぬかれ、オフェリエの体が浮いた。背後の壁にたたきつけられ、一瞬、呼吸が止まる。
ピロスは止まらない。オフェリエに突進し――
「させるか!」
そこに、レヴァンが割り込んだ。
オフェリエの視界を、レヴァンの背中が占める。
鋭い剣閃。次の瞬間、ピロスの右腕が斬り飛ばされていた。その衝撃に仰け反るピロスの懐に、レヴァンが体当たりの勢いで剣と共に踏み込む。
レヴァンの剣はピロスの左肩を刺し貫き、そのまま壁へと縫いとめた。右腕は斬り飛ばされ、左肩には剣が刺さったピロスは、自力ではレヴァンの剣を引き抜くことが出来ず、身じろぐだけで精一杯だ。
「オフェリエ、怪我は?」
剣はピロスに刺したままで、レヴァンがオフェリエに尋ねた。オフェリエは裾をはたきながら慌てて立ち上がる。
「な、ないわ。ありがとう、レヴァン」
「おう」
「ピロス、どこに……っピロス!」
レヴァンが鷹揚に頷いたところで、ピロスを追いかけてきたエルマが穴から顔を覗かせた。ピロスが壁に縫いとめられているのを見たエルマは、身軽に瓦礫を降り、駆け寄ろうとして――それをレヴァンが阻む。
「おっと、それ以上は駄目だ」
「っ」
レヴァンに押しとどめられたエルマは、オフェリエを振り仰いだ。
「お姉ちゃん、なんでこんな酷いこと……!」
「それは……」
どう説明しようかと言葉を濁すオフェリエに代わって、レヴァンが悪びれずに答える。
「襲い掛かってきたからな。反撃するのは当然だろ」
「襲い掛かったって……なんでピロスが……お兄ちゃん、悪いことしたの?」
「違うの、エルマちゃん。それをいうなら、私のせいよ」
レヴァンへの濡れ衣を晴らすべく、オフェリエは進み出た。
「お姉ちゃんの? どうして?」
「多分ピロスさんは、この部屋を守るように命令されていて、この部屋の物に触った私を、排除するべき相手と認識したんだと思うわ」
「ええと……じゃあ、どっちも、悪くないの?」
「そうね。ピロスさんは忠実に仕事をしただけ。私はもう、この部屋の物に触る気も、持ち出す気もないから、これ以上争う理由はないのだけど……」
「そういってこいつに通じるかどうかだな」
オフェリエの懸念をレヴァンが代弁した。
ピロスは未だ抵抗を諦めず、体を捩って剣を抜こうとしている。
「ねえ、ピロス、お姉ちゃんたちを許してあげて? 何もとらないって」
「…………」
エルマの言葉に、ピロスは動きを止めた。
「お、いうこと聞くか?」
「ということは、やっぱりエルマちゃんがマスター認定されているのね」
レヴァンとオフェリエは、エルマとピロスのやりとりを見守りながら小声で会話する。
「やっぱり? エルマが作ったってことか?」
「いいえ、そうじゃなくて、エネルギー不足で活動停止になっていたものを、エルマちゃんの魔力が再起動させたんだと思うわ。起動させたものがマスター認定されるのが、基本仕様なのよ」
通常、エネルギー不足に陥れば、節約のためにスリープモードに入る。そこでエネルギーが補充されれば問題ないが、そのままエネルギーを使い果たしてしまえば、マスター登録も消えてしまうのだ。
「マスター情報は消えたのに、仕事内容は消えてなかったのか」
「あら、人間だってそうじゃない。記憶は失っても、体は覚えてるってこと」
「なるほど」
「お兄ちゃん、ピロス、もう襲わないって! 剣抜いてあげて!」
「お、説得成功か。さすがマスター。じゃ、早速」
エルマに催促されて、レヴァンは柄を握った。そして無造作に剣を引き抜く。
念のため警戒していたオフェリエだったが、自由になったピロスは襲い掛かる素振りもなく佇んでいた。
「あー……ピロス、腕なくなっちゃったし、穴あいちゃったし……」
「いや、悪かった」
悲しげにピロスを見上げるエルマに、レヴァンは苦笑しつつ謝った。身を守るためだったので、何度でも同じ対応をすると思うが、エルマの気持ちも理解できた。
「オフェリエ、なんとか出来ないか?」
「そうね……。その体は直せないと思うけど、別の体に乗換えることは出来るかもしれないわ」
「別の体? かもしれない?」
「上でそんな本を読んだの。といっても、研究経過報告みたいなものだったから、今使い物になるかどうか……」
思案げなオフェリエに、エルマは身を乗り出した。
「でも、それならピロスは今よりもっと元気になるんだよね? 私、ピロスを治してあげたい! お姉ちゃん、その本、どこにあったの?」
「じゃあ、一緒に探しにいきましょうか」
勢い込むエルマに、オフェリエは柔らかく微笑んだ。