07 少女と人形 1
王都までは徒歩で三日というのが通常ペースで、道中、道も宿場町も整備されているので特に困ることもないだろう、というのがバシルの見立てだった。
レヴァンとオフェリエは、特に急ぐでもなく、適度に休憩を挟みながら街道を進んだ。山育ちで体力に自信のあるレヴァンと、馬ありのオフェリエは、一日分と予定した距離を踏破してもまだ余力があったので、ならば行けるところまでと更に進み、日が暮れかけたところで、良さそうな宿を見つけて部屋を取った。
嬉しいことに、料理自慢の宿だった。夕食に舌鼓を打ったあとはそれぞれ部屋でゆっくり休み、朝食の席で顔を合わせる。
「ねえ、やってよお母さん! お姫様みたいにして!」
食後のお茶を飲みながら、昼食用に頼んだ弁当の出来上がりを待っているときに、少女の声が響いた。
「何を言ってるんだい。そんな暇があるわけないだろう。ほらエルマ、お客様の邪魔にならないように外で遊んできな」
「むー!」
女将である母親にあしらわれたエルマは、ふくれっつらで足を踏み鳴らしている。
「エルマちゃん」
そんなエルマを、オフェリエが手招きした。
「なあに?」
見知らぬ人に話しかけられたエルマだが、客との交流は慣れているのか、特に警戒も見せずに小走りに寄ってきた。
「どんなお姫様がいいの?」
「! やってくれるの!?」
パッと笑顔になって、エルマは早口でまくしたてる。
「あのねあのね、魔獣の呪いを解くお姫様の髪型がいいの! 後ろでくるんってなってるんだけど、でも、ふわってなってるやつ!」
エルマが言っているのは、御伽噺のお姫様のことだ。魔獣になる呪いをかけられた王子を、お姫様の愛が助ける話で、隠れ里育ちのレヴァンでも知っている物語だった。当然オフェリエも知っていたようで「ああ、あのお話ね。わかったわ」と頷くと、エルマの髪を梳き始めた。髪の半分くらいでお団子を作り、半分は自然に流す。前髪はゆるく捻って後ろでとめた。
「――はい、出来た。どうかしら」
「うわあ、お姫様だ! ありがとう、お姉さん!」
エルマは飛び跳ねて喜び、大きくお辞儀をすると、外へ駆け出していった。
それを微笑ましげに見送るオフェリエに、レヴァンは「器用なもんだな」と感心する。
「よく妹にやってあげていましたから」
「妹か」
「レヴァンさんには、ご兄弟は?」
「兄が一人な。あと、普通に話してくれないか? しばらく一緒に行動するんだし」
「……そうね、じゃあ、そうさせてもらおうかしら」
レヴァンの提案に、オフェリエは少し考えた後、頷いた。
「いいわね、お兄さん。私、たまに上が欲しかったなって思うことがあるの」
「ん、そうか? 下が欲しいってのは聞いたことがあるが、上、欲しいか?」
下が欲しいといったのは、メリッサだ。彼女は一人っ子のうえ、レヴァンを始めとした歳の近い子供も皆年上で、末っ子ポジションであったためだろう。
「困ったときに頼れるじゃない」
「あー」
なるほど、長子ポジションだとそうなるのか、と納得したものの、一言物申さずにはいられない。
「だが、その点で言えば、うちの兄貴は頼りにならん」
腕組みして、胸を張って言い切るレヴァンに、オフェリエは小首を傾げる。
「あら、そうなの?」
「そうなんだ。頼りにはなるんだが、頼りたいときにいない」
「……それは残念ね」
オフェリエは苦笑し、レヴァンも「全くだ」と笑ったところで、女将が寄ってくる。
「お客さん、お待たせしてしまって申し訳ありませんねえ。こちらがお弁当になります」
「有難う御座います」
「いいえ、うちの娘がなにやらご面倒かけたようで、申し訳ありません」
「面倒なんて、とんでもないです。可愛いお嬢さんですね」
「最近お洒落に目覚めたみたいで。やっぱり女の子は成長が早いですねえ――ああ、では失礼しますね」
困った風ながらも嬉しげに話す女将は、他の客に呼ばれて席を離れた。
「さて、それじゃあ俺らも出発するか」
「ええ」
美味しそうな匂いのするお弁当を携えて、二人は宿を後にした。
景色を楽しみながら街道を進んでいたレヴァンは、わき道を駆けていく小柄な人影を見つけた。
「ん? なあ、オフェリエ。あれって」
「エルマちゃんだわ。こんなところまで一人で……?」
エルマは丘を駆け上がっていた。しばらくその小さな後姿を眺めていたオフェリエだったが「……ねえ」とレヴァンを見上げる。皆まで言わせず、レヴァンは頷いた。
「気になるよな。ちょっと追いかけてみるか」
「ええ、ありがとう」
ほっと微笑んだオフェリエは、早速手綱を引いて、丘へ続く道に進んだ。
道の半ばに到達すると、建物の屋根が見え始めた。
「なんだ、友達の家に遊びにいくだけか? 家は随分ぼろいが」
「それならいいのだけど……」
オフェリエは目を細めて先を見遣った。レヴァンの言うとおり、その家はかなり古そうに見えた。上階の窓も一つ二つ割れたままになっている。人が住んでいるとは思いづらかった。
丘を登りきると、懸念したとおり、そこには古ぼけた――というよりも、なんらかの災害にあって朽ちた邸が建っていた。
「放棄された感じだな」
「そうね。エルマちゃんはどこかしら」
崩れ落ちた柵を越える。所々抉れた石畳は邸の正面玄関に続いていたが、両開きのドアはひしゃげ、人一人通れるかどうかの状態で固まっていた。
「ちっと通り辛いな。……よっと」
レヴァンが力をこめて扉を押した。
扉はギギギと軋みながら僅かに開いて、レヴァンが体をぶつけずに通れるくらいのスペースができた。
早速その隙間から滑り込んだレヴァンは、室内の人影に気付いた。
「お、この家の人……」
言いかけて、口ごもり。
「……人、か?」
率直な疑問を口にした。
「レヴァン?」
続いて扉をくぐったオフェリエが、レヴァンの視線を追って、ぱちぱちと瞬く。
瓦礫が散乱する玄関ホール、その階段の手すりに寄りかかるように、成人男性――らしきものがいた。
らしき、というのは、姿かたちは成人男性に間違いないのだが、その体が青銅で出来ていたからだ。よく出来た彫像のようだが、右足が途中で折れ、いかにも応急手当ですというように木の枝で補強されている。さらに右腕、こちらは処置のしようがなかったのか、肩が半分ほどとれかかってぶらぶらとしており、いつ落ちてしまうかどきどきする状態だった。
「なに、もの、だ」
その青銅人形が、たどたどしい声で誰何してきた。
「何者っていうのはこっちこそ聞きたいことだが……まあ、俺らは王都を目指している旅人だ」
像が喋ったという驚きはあるものの、どう対処したものかと考える割合のほうが大きかったレヴァンは、とりあえず素直に答えてみた。
「……旅人?」
聞き返してきた声は、少女のものだった。
瓦礫の陰に隠れていた少女が不安げに顔を覗かせ――パッと笑顔になる。
「あ、お姉さん!」
「エルマちゃん」
レヴァンたちが泊まった宿の娘、エルマであった。