06 白馬に乗った美女 3
「ん? なんだ?」
その反応に興味を引かれて、レヴァンはオフェリエの肩越しに覗きこんだ。
「これです、これをください!」
これ、というのは、牛の舌に埋まっている、親指の先ほどの赤い石だった。
「お、おう」
オフェリエの勢いに気圧されたバシルは、言われるがままに牛の舌を切り落とした。そこから赤い石を抉り出し、水で洗った後、オフェリエに手渡す。
そのやりとりを眺めながら、レヴァンは首を傾げた。
「宝石か? なんでそんなものが牛の舌に埋まってたんだ?」
「埋まってた理由はわからねえが、牛ってえのは、光るもんを食っちまうからなあ」
「へえ」
知らなかったと感心しながら、レヴァンはオフェリエを観察する。
赤い石をためつすがめつしていたオフェリエは、満足がいったのか、ほっと表情を緩めた。目尻が下がり、口元がほころびると、怜悧だった印象が格段に柔らかくなる。
「ところで、この牛はどうすんだ?」
まだ解体というほどのこともしていないバシルは、包丁を握ったままで尋ねた。オフェリエは、バシルをちらりと見遣ったが、すぐに視線を石に戻した。
「私には必要ありませんので、お好きなように処分してくださって結構です」
「お、じゃあ、食おうぜ!」
淡々とした答えに、レヴァンは嬉々として身を乗り出した。
「おう、是非そうさせてもらおう」
バシルもレヴァンに同意し、本格的に解体を始めた。
「そういやあ、お前さんは何か欲しいものはねえのか」
迷いのない手つきで部位別に切り分けていきながら、バシルがレヴァンに尋ねた。
「俺?」
「おうよ。何でもいってくれ。お前さんも命の恩人だからな」
「いや、俺は別に――あ、そうだ、じゃあ、今晩泊めてくれ」
断りかけて、思いなおした。これから宿を探すのも面倒だった。
「お安いご用だ。他には?」
「他にも? んー」
だがバシルは、その程度ではお礼にならないと感じているらしい。催促されて少し考え、思いついた。
「お偉いさんにコネないか? 大河の橋を渡りたいんだ」
せっかくの外出の機会だったが、黒煙やら魔獣の話やらを聞いてしまっては、戻らなくては、という気持ちにさせられる。だがレヴァンが故郷に戻るためには、封鎖されている東の橋を渡る必要があった。
もしかしてと思っての質問に、バシルは顔を顰めた。
「あー、あの橋な。残念だが、そんなコネはない。俺らも困ってるんだがな」
「まあそうだよな。……なら、地元民しか知らない、橋を渡らないルートがあったりしないか? 多少危険でも構わないんだが」
さらに駄目もとで聞いてみるが、答えは簡潔。「ないな」だった。
手詰まりに、レヴァンは「あー」と嘆息しつつ、がしがしと髪を掻き混ぜた。
どうあっても戻れないのならば、進んでみるか、と覚悟を決める。
「――よし、じゃあ、王都までいく路銀をちょっと寄付してくれ」
そもそもレヴァンは路銀を稼ぎたくてトニに雇われたのだが、牛騒ぎのせいで仕事は完遂していない。トニが払ってくれるとは思えなかった。
「王都に行くのか。わかった、明日までに用意しよう。そっちの姉さんは、これからどうするんだ?」
「え、私ですか? 私は、このまま東に向かいます」
突然話に引き込まれて驚いたようだったが、オフェリエは素直に答えた。だが、それを聞いたレヴァンは、確認せずにいられなかった。
「東ってことは、大河の橋の先か?」
今まさにその話をしていたのだが、オフェリエは石に夢中で聞いていなかったらしい。
「東に大河の橋というのがあるなら、渡ります」
そして、この辺りの地理と情勢に詳しくないらしかった。
「いや、今、通行止めだぞ」
「え? 本当ですか?」
レヴァンに言われて目を丸くしたオフェリエはバシルに尋ね、バシルは「本当だ」と重々しく頷いた。
「何故です? 酷い雨でも降りましたか?」
「いや、魔獣被害を防ぐために封鎖してるってえ話だ」
「そんな……」
困った、というように眉根を寄せて、オフェリエはレヴァンを見上げる。
「その封鎖された橋のほかに、道はないのですか?」
「ないってさ」
考えることは同じだな、と思いながらレヴァンは肩を竦めてみせた。
「……魔獣被害なんて気にしませんから通してくださいと言って、通してくれると思います?」
「いや、無理だろ」
「ありえねえな」
レヴァンとバシルが揃って否定する。
「……ですよね」
はあ、と溜息をついて、オフェリエは肩を落とした。
しょんぼりとしたその様子が、雨に濡れた名残もあってか捨て猫のように見えて、レヴァンは放っておけない気持ちにさせられた。
「なあ、それ以外に当てがないんだったら、一緒に王都にいってみないか?」
「王都? 何故ですか?」
「もしかしたら、コネが使える、かもしれない」
多少顔が利く、といっていたデメトリ。ただものではない雰囲気の彼のコネなら、封鎖されている橋を通れるかもしれないと考えたのだ。
「コネ、ですか」
「ああ。といっても確実じゃないけどな」
駄目だったら、封鎖が解かれるのを王都観光でもしつつ待つしかないが、上手くいったとしても、せっかくなので有名どころぐらいは観光しようと思っていたりもする。
内心でそんな計画をたてているレヴァンの前で、しばし考え込んだオフェリエは。
「……そうですね。ここにいても時間を浪費するだけのようですし」
一人ごちて、レヴァンを見上げた。
「では、ご一緒させてください」
柔らかく微笑んだオフェリエに、レヴァンは、「おう、よろしくな」と笑い返した。