05 白馬に乗った美女 2
レヴァンは雨にうたれながら、白馬の女性の様子を窺った。
女性は、畑の縁を白馬で進んでくる。次第に、その容貌が見え始めた。
艶やかなミッドナイトブルーの髪を、かっちりと上品に結い上げた細身の女性。
レヴァンが彼女の動きを追っていると、すれ違いざま、視線があった。
綺麗な空色の瞳は、大きく、釣りあがり気味で、猫を思わせた。
「風邪、引きますよ」
怜悧な美貌の彼女の声は、容姿に見合って凛としていた。
「ん? ああ、そうだな」
親切な忠告に頷き、彼女のあとを追って、レヴァンは屋根の下に入った。
レヴァンと女性を待ち構えていたバシルが、二人に乾いたタオルを差し出した。
「これを使ってくれ」
「お、助かる」
「有難う御座います」
それぞれタオルを受け取って体を拭く二人に、バシルが笑いかける。
「いや、礼を言うのは俺のほうだ。あんたらのおかげで助かった。何か礼をしたいんだが」
「それは別に気にしなくていいが、あんたは平気なのか?」
レヴァンは、バシルの全身をざっと見た。服に焼け焦げた跡は残っているが、皮膚は綺麗なものだった。火を消し止めたときは、確かに火傷を負っていたはずなのだが。
「ああ、回復薬があたからな。それで治った」
「そうか、良かったな」
肉体の損傷を癒してくれる回復薬は、そこそこ高価で家庭に常備されているものではないし、一度開封したら、長くは保存できない。使える回復薬があったのは幸運といえた。
「――お礼の件ですが」
レヴァンとバシルの話が一区切りしたとみてか、女性が口を開いた。
「おう、俺に出来ることならなんだってするぞ」
胸を一つ叩いて請け負うバシルに、女性は畑に放置されている牛を振り返って告げる。
「あの牛を譲っていただきたいのです」
「あの牛を?」
「ええ。解体もしていただけると助かるのですが」
「――わかった。ちょいと待っててくれ。ああ、温かい飲み物を用意してあるから、好きに飲んでくれ」
そう言い置いてバシルが向かった先は、トニの家だった。何事か言い合ったあと、二人は室内に消える。
あの牛はトニのもので、勝手に処分出来ないのだろうと思い至ったが、トニの敵愾心を考えるに、一筋縄ではいかなそうな気もした。
だがまずはバシルのお手並み拝見と構えることにして、レヴァンは飲み物をとりにいった。ホットワインとお茶。レヴァンはお茶を二つ貰って戻り、一つを女性に差し出す。
「見事な腕前だったな」
「有難う御座います」
淡々と礼を言って、女性はお茶を受け取った。
「俺はレヴァンだ。あんたは?」
「オフェリエと申します」
端的で、そっけないともいえる態度だったが、レヴァンは気にせず話しかける。
「オフェリエ、あんたは、すごい魔術師なんだな」
一部の人間は魔力というものを持っていて、それを使って自然の力を操る人たちのことを、魔術師と呼んでいる。レヴァンの兄も、その一人だ。
「……何故、そう思うのですか」
無表情だったオフェリエが、柳眉を寄せて問い返してきたが、レヴァンは気負いなく答える。
「あんたが空に向かって矢を放ったら、雨が降った。魔術だろ?」
兄は風の魔術を得意としていたので雨を降らせることは出来なかったが、水が得意な魔術師なら、雨を降らせることも可能だと聞いたことがあった。
「魔術? この雨が魔術だっていうのか?」
レヴァンの言葉を聞きつけて、近くにいた男が口を挟んできた。男の声には疑いの色が濃かった。
「ありえないって言いたそうだな?」
「おう、ありえねえ。今時の魔術師に、天候操作なんて大技を使えるやつはいねえよ」
「え、そうなのか?」
自信たっぷりに断言されて、レヴァンは素直に驚いた。その反応に気を良くしてか、男は上機嫌に続ける。
「おうよ。魔術師の家で下働きしてた俺が言うんだから間違いねえ。今時の魔術師は、焚き火するので精一杯だぜ!」
がっはっはと笑う男は、酔いに任せて、今時の魔術師の駄目っぷりを吹聴しだした。話半分で聞いたとしても、天候操作が難しいことに変わりはなさそうだった。
「ってことは、この雨は本当に偶然か……それか、オフェリエが伝説級の魔術師ってことか」
「……まさか。多少の心得はありますが、魔術師と名乗ることすらおこがましいレベルです」
「ふうん?」
目を伏せたオフェリエの言葉が真実なのか謙遜なのか、判断に悩んだ。
だがレヴァンは、魔術には明るくないが、武芸に関してならば素人ではない。オフェリエが牛に放った矢の威力は、通常以上のものであったと確信している。それこそ、魔術的なものが施されていなければ有りえない距離と威力だった。
とはいえ、どうやらオフェリエは詮索を嫌っているようだったし、問い詰めなくてはならない理由もない。丁度バシルも戻ってきたので、レヴァンは話題を変える事にした。
「おう、どうだった、首尾は」
レヴァンが問えば、バシルはニッと笑った。
「大分ゴネやがったが、牛の管理責任とか損害賠償とか持ち出して、チャラにするからって納得させた。あの牛は好きにしろってよ」
「申し訳ありません、貴方に損をさせてしまいましたね」
当然の権利を放棄させてしまって、と頭を下げるオフェリエに、バシルは鷹揚に手を振ってみせた。
「あんたが気にすることはないさ。どうせ難癖つけるか知らんふりするかでうやむやにするような奴なんだ。こっちから言い出しただけって話だ」
「なあ、なんでトニは、あんなに敵対的なんだ?」
一体どんな確執があるのかと尋ねれば、バシルのほうこそ、心底不思議そうに首を傾げた。
「それが俺にもよくわからん。小さい頃から何かっちゃあ張り合ってくる奴だったが、ここまで酷くはなかったと思うんだがなあ……」
「エスカレートしたということですか? いつ頃からです?」
「そうさなあ……ああ、ほら、魔獣が出てきたあたりからか?」
「ってことはもしかして、魔獣だったりしてな」
「がはははは! あるかもしれねえなあ!」
「…………」
レヴァンが茶化し、バシルは楽しげに笑い飛ばしたが、オフェリエは浮かない顔だった。
「ん? どうした、オフェリエ」
「……いえ、何でもありません。それで、バシルさん、あの牛ですが」
「ああ、解体して欲しいんだったな。任せとけ。今、こっちに運んでくるからな」
言う間にも、男数人が牛を運びこんできた。バシルは腕まくりをして、解体用の包丁を構える。
「それで、どう捌くよ」
「その前に、確認させてください」
そう断ってから、オフェリエは牛の体全体を検めた。蹄もじっくりチェックしていく。
「……」
無言で淡々とチェックを進め――次にオフェリエは、牛の口を開けて。
「!」
そして、空色の瞳を大きく見開いた。