04 白馬に乗った美女 1
「いいか、何としてもバシルの野郎に勝つんだ! そのために、お前らに高い給金を払ってやるんだからな! 負けたりしたら承知しねえぞ!」
広大な畑を前に、拳を突き上げ発破をかけるのは、地主のトニだ。
作物の刈り入れのために臨時の働き手を集めていると聞いて、レヴァンは応募した。何しろほぼ一文無しで里から出る破目になったのだ。早急に金を稼ぐ必要があった。
何故だか知らないが、地主は隣のバシルに敵愾心を抱いているらしい。頑張ればボーナスも出すぞという大声を背中で聞きながら、レヴァンは鎌を手に取った。
「まあ、ほどほどにやるか」
確かに手元不如意だが、普通に日当をもらえれば当面は凌げるので、レヴァンはマイペースに刈っていく。
「おい、知ってるか。大河の橋、通行止めだってよ」
「ん?」
大河の橋とは、レヴァンが通ってきた橋のことだ。レヴァンは手を止めて、話しかけてきた男の顔を見返した。
「大河の橋って、東にあるやつだよな? 何でだ?」
「なんでも魔獣が暴れてるらしいぞ」
「魔獣? どんな」
「そこまでは知らねえよ。でも、おっそろしい魔獣らしいぞ。なんてったって、王都から軍がやってきて完全封鎖してるらしいからな」
「……完全封鎖」
「ああ。軍が陣取ってるから、こっちにまで被害はねえだろうが、物騒な世の中になっちまったもんだよなあ。ちっと前にも、魔獣に滅ぼされた村があったしよ」
「おい、そこ! 手を止めてるんじゃない! 給金減らすぞ!」
動かないレヴァンたちを見咎めて、トニががなりたてた。
「おおっと、こんな重労働させられてんのに給金減らされたんじゃ割に合わねえっての」
ぼやきながら、男は去っていった。
「…………」
レヴァンも作業に戻ったが、手を動かしながらも、思考は別のところにあった。
魔獣が暴れているという場所は、里に近いのか。
農夫が見たという黒煙と、何か関係があるのか。
気になるが、大河の橋が封鎖されているなら、里に戻ることは出来ない。大河の橋が、唯一の移動可能ルートなのだ。
農夫が黒煙を見た時にさっさと引き返していればと後悔するが、今更どうしようもなかった。
結局、なるようにしかならないのだと諦め、黙々と刈る。
いつの間にか無心で取り組んでいたレヴァンは、体の痛みに気付いて腰を伸ばした。タオルで汗を拭きつつ、ついでに辺りの様子を窺えば、どうやら刈り取りはバシルのほうが進んでいるようだった。
「くそ、バシルのやつめ……!」
トニの憎々しげな声が聞こえたのでそちらを見たら、ばっちり視線が合ってしまった。
「っおい、お前! サボるな! 働け!」
八つ当たりの叱責を受けたレヴァンは「へいへい」と刈り取りに戻る。トニは、素直に仕事に戻ったレヴァンにそれ以上構うことはせず、足取り荒く去っていった。向かう先は牛舎のようだ。視界の端で確認できたが、またとばっちりを受けたくないので、まじまじ見ることはしない。
そのまましばらく真面目に作業をして――
「ヴぉおおお」
「は?」
突然の吠え声に何事かと顔を上げてみれば、一頭の牛が、土埃をまきあげて隣の畑に突進していた。作業員を二、三人跳ね飛ばし、作物を踏み潰し、荒らしまわる。
バシルの畑は大混乱の様相を呈していた。逃げ惑う人、転んだ人、助け起こそうと手を差し伸べる人、何とか牛を止めようと近づこうとして、だがその暴れっぷりに腰が引ける男たち――
「ははは! いい気味だ! やれ! やっちまえ!」
その様子を、トニが大声上げて笑って見ていた。
だが、バシルもやられっぱなしではいなかった。暴れまわる牛の前に、鍬を持って躍り出て、その鼻面に振り下ろす。
「ヴぉッ!」
牛は悲鳴らしき声をあげたが、止まらなかった。反撃とばかりに体当たりをかまして駆け抜け、スピードにのったままターンする。倒れたバシルに向かって走りこみながら大きく息を吸って――炎を、吐いた。
「は!?」
レヴァンは目を疑った。
牛が火を吐いた。
常識ではありえないことが目の前で起きていた。当然、他の者たちも目を丸くしている。
「まさか、本当にいるなんて――って、やばい!」
レヴァンは水を汲みに走った。
炎はバシルを包み、周辺の作物にも燃え移っている。このままでは畑は全焼、風によっては一帯が焼け野原になってしまう。
だが、まずはバシルだ。
火を吐く牛は、今はバシルから離れたところを走り回っている。この隙にと、レヴァンは、転がって火を消そうとしているバシルに水をかけた。他の者たちも、それぞれ桶を手に駆けつけてくる。無事にバシルの火は消え、周辺の火も消えたが、牛はまだ暴れまわっていた。レヴァンは牛の動きを警戒しながら、バシルに声をかける。
「おい、大丈夫か、あんた」
「あ、ああ……すまない、助かった」
幸い、軽い火傷程度で済んだようだ。バシルの息は荒いが、意識ははっきりしていた。
「動けるようなら離れてろ」
レヴァンは牛の気を引くべく、タオルをひらひらさせながら、走り回る牛に近づいていった。狙い通り、牛はレヴァン目掛けて突進してくる。
牛の動向を見極めつつ剣に手をかけた時、鋭く飛来した一本の矢が、牛の横っ腹に突き刺さった。
「!?」
予期せぬ展開に、レヴァンは驚いた。だが、傾ぎながらも、牛は止まらない。だん、と力強い踏み込みでバランスを立て直し――そこへ、再び矢が突き刺さった。
牛のスピードが目に見えて落ちた。レヴァンは牛の突進を半身でかわしながら、その角を引っ掴んだ。ぐいっと力任せに捻り、全体重をかけて、牛の身体を地面に押しつける。そして素早く抜いた剣を、牛の首元に突き立てた。牛はしばらくもがいていたが、レヴァンは決して力を緩めず、逃げ出すことを許さなかった。
やがて、牛は力尽きた。完全に動かなくなったのを確認してから、剣を引き抜いて立ち上がる。
顔を上げて目に入ったのは、牛が吐いた火に焼かれる畑だ。消火活動は始まっていたが、火の回りのほうが早い。
それからレヴァンは、矢が飛んできたほうへ視線を向けた。
腕のいい射手は誰かと探してみれば、予想以上に遠くにいた。畑の前を通っている道に、新たに矢を番える、白馬に乗った女性がいた。
「?」
レヴァンは牛を見下ろしてみたが、生命活動が停止しているのは間違いなかった。再び女性に視線を戻したとき、ひゅん、と矢が放たれた。――遥か、上空に向けて。
「は?」
なんで空。
不思議に思いつつ、その矢の行方を追う。矢は曇り空を渡り、灰色の雲に重なって、レヴァンの視界から消えた。
一体何の意味が、と不思議に思ったその時、ぽつり、と頬に水滴が落ちてきた。
「!」
驚いて目を凝らす間にも、頭に、手に、水滴が落ち、瞬く間に土砂降りとなった。
消火作業に勤しんでいた人々も、突然の雨に驚いて動きを止めたが、もうその必要がないと悟ると、我先にと軒下へ避難し始めた。