03 予期せぬ旅立ち 2
翌朝、デメトリはレヴァンの宿代も払った後、捜索を続けると山に入っていった。
「気をつけろよー」
デメトリの背中に言葉を投げて、レヴァンは、簡単な旅行用具が詰まった荷袋を担いだ。これはデメトリが用意してくれたものだ。至れり尽くせりに恐縮する。
お詫びに、捜索を手伝いたい気持ちもあったが、そうはいかなかった。
ネストル曰く、里の周辺には人払いの結界が張ってあって、結界が作用しているうちは、誰も里を見つけられないのだという。しかも、どういう理論になっているかはさっぱりわからないが、結界は里の住人には効果を及ぼさない。だが里の住人が近くにいると、里外の人間にも里を発見できるようになってしまう、らしい。
つまり、レヴァンが同行して里の近くに行ってしまうと、デメトリにも里が見えてしまうわけで、それは絶対に避けなくてはならないことだった。
加えて、里に帰ったメリッサが、不審な男――デメトリに追われたことを話しているはずだ。となれば、里には数日間出入り禁止の触れが出て、里の入り口は物理的にも封鎖される。安全と判断されるまで、里には戻れないのだ。
どうせ里に戻れないなら、いい機会だから外の世界を思う存分見て回ろうと昨夜のうちに決めていたレヴァンは、とりあえずは隣町目指し、意気揚々と歩き出した。
「そんな! まだレヴァンは外にいるのに!?」
里長の決定を聞いたメリッサは、抗議の声を上げた。
昨夕、メリッサは里に戻るところを、見知らぬ男に追われた。レヴァンが機転を利かせてくれなければ、男に里を見つけられてしまったはずだ。レヴァンは里の危機を救ったといえるのに、そのレヴァンを外に残したまま、当分の間里を閉じてしまうなんて、メリッサには納得できなかった。
「有事の際の対応は、里人として心得ているはずだ」
「でも!」
言い募ろうとするメリッサに、里長は――メリッサの父としての顔で苦笑した。
「レヴァンのことだ。案外、外に出る機会を得て喜んでいるんじゃないか?」
里の住人たちは、長く留守にするべきでないと教え込まれていて、たまの外出も日帰りが基本。外泊など、滅多に許されないことだった。
だが今回は、里の閉鎖、更には里を救うためだったという大義名分がある。これ幸いと、レヴァンが遠出する可能性は大いにありえた。むしろご褒美と捉えてうきうきしていそうな様子が思い浮かんで、メリッサの肩から力が抜ける。
「……そうかも」
レヴァンを里から締め出すことに関しては、あまり気に病まなくても良さそうだと、ほっとして――
「あ、でも、もうすぐ私の誕生日だったのに」
メリッサの口から溜息が漏れ出た。
閉鎖解除は、メリッサの誕生日後になるだろう。それも短くてという話で、場合によっては長引くことも充分ありえた。
「誕生日に欲しいものはないかって聞かれてたの。こんなことなら、さっさとリクエストしておくんだったなあ」
残念がるメリッサの肩を、父親がぽんと叩く。
「レヴァンが気を利かせることを祈っておくしかないな」
「望み薄だわ」
「ははは。――ああ、メリッサ、レヴァンが留守の間、祠の手入れを頼んだぞ」
「はーい、里長」
祠の手入れは、欠かしてはならない日課だ。レヴァンが居ない間はしっかり代理を務めようと、メリッサは素直に返事をした。
足跡を辿って、デメトリは、ついに男を見つけた。
デメトリと目が合った男は、弾かれたように反対方向へと駆け出した。逃がすまいと、デメトリはショートスピアを投げつける。
ショートスピアは鋭く空を裂いて進み、男の背に突き刺さった。
「ぐあ!?」
男は倒れこんだ。倒れても尚、一歩でも遠くへ逃れようと地面を這うが、さほど進まぬうちにデメトリが追いついた。
「…………」
デメトリは男の背に膝を乗せて押さえ込むと、刺さっていたショートスピアを無造作に引き抜き、血がついたままのそれを、男の眼前に突き立てた。
「っ」
悲鳴を飲み込んだ男の耳に口を寄せ、低い声で問う。
「答えろ。お前があの魔獣たちを呼び出しているのか。どうやって魔獣を操っている」
「ま、魔獣!? 知らねえよ! 俺は何もしてねえ!」
「嘘を付くな。魔獣が出現する前、周辺で旅人が目撃されている。お前だ。何をした。誰の差し金だ」
「知らねえっつってんだ……っひゃあ!」
デメトリが血のついたショートスピアの切っ先を男の目に突きつければ、悲鳴の後、男は口をつぐんだ。
「話したほうが身のためだ」
「っ」
デメトリの静かな恫喝に、男は明らかに怯んだが、すぐに声を張り上げた。
「そ、そんな脅し、怖くなんかねえぞ! だ、だって俺は、守られてるんだからな!」
「ほう、誰にだ」
「か、神様にだよ!」
「――何?」
予想外の男の言葉に、デメトリの力が緩んだ。
「!」
男は、その隙を突いて身体をひねり、掴んだ土を投げつけた。
「く!?」
デメトリは咄嗟に目を庇ったが、間に合わなかった。土が目に入り、デメトリの身が引けたところで、男は無様ながらも立ち上がり――しかし、デメトリに腕を掴まれて態勢を崩した。
「あっ!」
男がバランスを崩した拍子に、内ポケットから石が転がり落ちた。親指の先ほどの石だ。
まだ痛む目でそれを見たデメトリが手を伸ばしたが、寸前で男が掻っ攫う。
「は、はは! やっぱ、俺は守られてる! 守られてるんだ……!」
背中に傷を負っているというのに、男は異様に興奮し、目をぎらつかせていた。腕を伝う血にも頓着せずに石を握り締め――そして、石から、ぶわりと闇が生まれた。
「っ!?」
次の瞬間、デメトリの身体は、衝撃で吹き飛ばされていた。
突然、馬たちが嘶いて棹立ちになった。
「おおっと、どうどうー、おーい、どうしたべー、お前らぁ」
手綱を握っていた農夫が、馬たちを宥めにかかる。
「なんだ、どうした?」
干草の上でいい感じにうとうとしていたレヴァンは、身を起こして尋ねた。
「わかんねえ。馬たちが何かに怯えてるようで……って、おんやあ?」
「ん?」
農夫の視線を追って背後を振り返ったレヴァンだったが、今渡ったばかりの大きな河と、晴れた空、そしてレヴァンの里がある山という、ごく当たり前の景色しか見えなかった。
「んんー、今、ちいっと黒い煙みたいなもんが見えた気がしたんだけんど……気のせいだったかいなあ?」
「黒い煙!? どこからだ!」
「んー、いや、やっぱ気のせいだっぺよ。もう消えちまってるし。ああ、馬たちも落ち着いたみてぇだし、日が暮れちまう前に、村にいかねえとな」
「…………」
気を取り直して馬を操る農夫の背と、故郷の山とを交互に見比べ――結局レヴァンは、干草の上に寝転がることを選んだ。