20 海辺の魔獣 2
港町が近づくにつれ、風が湿ってくるのを感じた。レヴァンは、馬上で出来る限り背を伸ばし、遠くを望む。町並みの周辺に、きらきらと光る水面が見えた。
「あれが、海か……」
「ああ、レヴァンは山育ちだものね」
「おう。オフェリエは、海は?」
「私は……島育ちなの。そんなに近くではなかったけれど、行ったことはあるわ。魔獣が退治できたら、ゆっくり眺めたいわね」
「そうだな、楽しみだ」
そんなレヴァンの気持ちが伝染したのか、馬の足が速くなって、乗りなれないレヴァンはコントロールに苦労した。
南東の港町に着くなり、カロリナは町長の家を訪問した。聖女の威光が全面協力を引き出したので、レヴァンたちはすんなりと町長から話を聞くことが出来た。
「あいつは海からやってきて、人間や家畜を見つけると犬の口で咥え、あっという間に連れ去ってしまうのです。連れ去られたものは、誰一人帰ってきません……」
「いつやってくるかは、わからないのですか?」
憔悴しきっている町長に同情を寄せつつも、オフェリエは質問を躊躇わなかった。魔獣がいる限り、町長の苦労は終わることがないのだ。
「わかりません。それがわかれば、被害を減らせるのですが……」
町長は深い溜息と共に、力なく頭を振った。
「それは困ったな」
レヴァンも腕組みして考え込むが。
「じゃあ、明日は一日、外出禁止にしましょ!」
カロリナは気軽に提案した。
「おいおい、一日外出禁止にしたくらいじゃ、何も変わらないだろ?」
「大丈夫よ、その一日で私たちが倒しちゃえばいいんだから!」
レヴァンの当然の疑問にカロリナは自信満々に答え、彼女の意図を察したデメトリは眉を顰めた。
「囮になるつもりか。賛成しかねる」
「貴方の意見は聞いてないわ」
「…………」
カロリナの冷たい態度に、デメトリの眉間の皺が深くなる。
「――ですが、誘き出しても、倒せるかどうかが問題です」
微妙な空気から抜け出そうと、オフェリエは現実的な問題を提示した。
獲物を捕まえてあっというまに去るというなら速攻しかないだろうが、弓の一撃で倒せるとは思えない。
「それも大丈夫! だって私には神様のご加護があるんだから!」
だが、カロリナは無邪気に請け合った。
その無邪気さが不安を煽っているのだが、カロリナは気付かない。
「それじゃあ、明日に備えて、レヴァンさんたちはゆっくりしていて! 町長さん、私は怪我人の手当てをお手伝いします、案内してもらえますか?」
「おお、なんと慈悲深いことでしょう、流石は聖女様……では、どうぞこちらへ」
そうしてカロリナと町長は、困惑顔のレヴァンたちをおいて、さっさと移動してしまった。
「…………」
レヴァンたちは無言で顔を見合わせ、図らずも溜息が重なった。
カロリナは謎の自信で無策も同然で、レヴァンたちにも出来ることは少なかった。
結局、当日、無防備に浜辺を徘徊しようとするカロリナにレヴァンとデメトリが同行し、オフェリエは物見櫓から様子を見るということになった。
レヴァンとしては、後衛のオフェリエを一人離れたところにおくのは不安だったが、魔獣は海からやってくるらしいので、奥まったところにある物見櫓は比較的安全だろうと、なんとか納得する。
「で、なんだってカロリナは、そんなに自信満々なんだ?」
せっかく海が目の前にあっても、のんびり眺めている場合ではないし、オフェリエとも別行動だ。魔獣の出現を待つ時間を、せめて有意義なものにしてみようと、レヴァンは質問を捻り出してみた。
「なんでって……私は守られていることを知っているからよ」
太陽は東から昇ることを知っている。それと同じ調子で、カロリナは答えた。
「守られている? 何に」
「安息を齎してくださる、大いなる御方に」
そういって微笑むカロリナからは、敬虔さが滲み出ていた。
「安息を齎す大いなるって……つまり、神様のことでいいのか?」
「うん、そうよ」
「何でそう言える」
レヴァンが知る限り、神々は、この地を人間に託して旅立った。
その流浪する神々が、レヴァンの家に門の守護を命じたといわれているのだが、しかしレヴァンは一度として、その存在を感じ取ったことはない。
一体何があればそんな風に信じ込めるのかと、レヴァンは純粋に疑問だった。
それを感じ取ったのだろう。カロリナはそっと目を閉じ――静かに、告げる。
「――私の故郷はね、魔獣に滅ぼされたの」
「!」
レヴァンは思わず息を呑んだ。視界の隅で素早くデメトリの表情を確認してみれば、彼は苦い顔ながらも、驚いてはいなかった。
「気がついたときには、お母さんは消えていて、お父さんは倒れてた。……私も死を覚悟したわ」
「…………」
かける言葉を見つけられず、レヴァンは黙り込む。
「でもその時、声を聞いたの」
沈鬱な表情の二人とは対照的に、カロリナの瞳は輝き始めた。
「身を捧げよと。人を癒す力を授けてくださって、そのうえ、ずっと私を、お守りくださっているの」
その当時のことを思い出してか、カロリナは恍惚とした表情で、手を祈りの形に組んで空を見上げる。
「私には使命がある。慈悲深きあの御方の威光を知らしめす使命が。使命を果たすまで、私を止められるものなんてないわ……!」
「…………」
爛々と輝く瞳に、レヴァンは背筋が凍るような恐怖を抱いた。
「だから安心して! 私と共に居る限り――」
晴れやかな笑みを浮かべるカロリナの顔に影が差し、「逃げろ!」とデメトリが叫んだ。
「っ!」
レヴァンが咄嗟に身を引いた直後、カロリナとレヴァンの間に犬の頭が突っ込んできた。
がきん! と強く歯が噛みあう音が聞こえた。食いつこうとして、だが空振りした音だ。
攻撃が失敗に終わった犬は、着地と同時に離脱を開始しており、その脚が砂を舞い上げてレヴァンの視界を覆った。視界の悪い中、それでも犬の頭がカロリナを向いたのが見えて、レヴァンは焦った。
「っカロリナ!?」
慌てて呼びかけながら駆けつけようとしたが、目前に牙をむいた犬の頭があることに気付いて、停止を余儀なくされた。
ほどなく砂煙は消え、襲来者の全体像が見え始める。
「っ」
威嚇し、隙あらば噛み付こうとする犬の頭が――全部で六つ。その上部には女性の上半身。
「――引き裂くもの……!」
レヴァンは剣を一閃した。が、咄嗟に身を引かれたため、剣は犬の鼻先を浅く薙ぐだけで終わった。
「きゃんっ!」
犬は悲鳴を上げて、大きく後退し――
「レヴァン、まずいぞ!」
「!?」
否、後退ではなく、前進だった。「引き裂くもの」が向かう先、デメトリが示した先に――カロリナがいる。
「カロリナ!」
「きゃ……っ」
カロリナの腕に、胴に、犬たちが喰らいついた。犬たちの鋭い牙は、カロリナに深々と突き刺さって――
「っくそ!」
早く犬たちを引き剥がさなくてはと、レヴァンとデメトリが走り出した、その時。
ぞわりと、酷い悪寒に襲われ、思わず足が鈍った。
ただでさえ出遅れたのに、この上、と歯を食いしばって、レヴァンは無理矢理に足を踏み出した。
レヴァンを襲った悪寒は、カロリナを噛み千切ろうとしている「引き裂くもの」にも影響を及ぼしていた。いや、「引き裂くもの」こそが、その標的であった。計り知れない威圧を受けて、カロリナに食い込んだ牙から力が抜ける。
そこに、螺旋の風を纏った一本の矢が飛来し、「引き裂くもの」の女性の胸部に突き刺さった!
その矢は、尋常でない威力で女性の胸部を貫通した。貫かれた上半身が、ふ、と脱力する。伴って犬たちの顎からも力が抜け、カロリナの体は傾いだ。
「オフェリエ、ナイス!」
レヴァンはカロリナの体を抱き止め、すぐさま距離を稼ぐ。デメトリは「引き裂くもの」の前に身を晒し、その注意をひきつけた。
「カロリナ……!」
怪我の具合は、出血は、と焦って確認するレヴァンは、しかし腕の中のカロリナを見て目を疑った。
確かに深く牙が突き立って見えたのに――カロリナは出血していなかった。噛まれたと思しき場所は赤くなっているが、それだけだった。
「ふふ、平気よ。いったでしょ? 私は守られてるって」
まあ、痛かったけど。といいながらカロリナは、揺ぎ無く、誇らしげに笑ってみせた。




