02 予期せぬ旅立ち 1
日課の祠掃除を終えたレヴァンは、やれやれと溜息をついた。
「調査に出て三年、音沙汰なしとか、ありえねー」
三年前の今日、異変を感じた兄は、本来ならば長期外出禁止の里を出て行った。そしてそれきり、なしの礫である。
「そりゃあ、隠れ里だし、手紙を送れとは言えないが」
箒を担ぎ、一人ぼやきながら祠を後にする。
レヴァンたちが住む里は、王都から遠く離れた山奥に、人の目から隠れるようにして存在している。
小さいながらも自給自足を行い、たまの交易も、里人が細心の注意を払って、麓の村を訪れている。故に、麓の村人たちは里の存在を知らない。山を良く知る猟師たちですら、里を見つけることは出来ずにいた。
「ん?」
パッと鳥たちが一斉に飛び立ったのを見て、レヴァンは辺りに視線をめぐらせた。
まるで何かに追われているかのような飛び方が、気になった。
もし追うものが里外の人間であったなら、上手いこと里から遠ざけなくてはならない。
レヴァンは箒を置いて、木々に身を隠しながら進んだ。少し行った先の獣道で人間の足跡を見つけ、麓の猟師かと思ったところで、人影が視界を過ぎった。
レヴァンは木の陰に身を潜めていたが、さらに気配を殺して、様子を窺う。
人影は、ショートスピアを携えた、旅装の男だった。足場が悪いせいだろう、走りこそしていないが、何かを追っているような迷いのない早足で――
「あれは」
男の視線の先を見て、レヴァンは眉を顰めた。
男が追っているのは、緑色の服を着た、蜂蜜色の髪の若い女性――幼馴染のメリッサだった。
里に戻るところを発見されてしまったのだろう。引き離すように動いているが、距離は縮まりつつあり、捕まるのも時間の問題にみえた。
レヴァンは素早く判断を下した。ザッと音高く足を踏み出し、大きく息を吸って。
「――おー、旦那! ちょっと待ってくれ、そこの旦那! 助かったー!」
「!?」
レヴァンの呼びかけに、男は足を止めて振り返った。そしてすぐにハッとしてメリッサのほうに視線を戻したが、その僅かな間に、メリッサは身を隠していた。
男の渋面が遠目にも見えたが、それには気付かない振りで大股に近づく。
「はー。ようやく人に会えた。参ったぜ。薬草を探し回ってたらすっかり迷子になっちまってさ。なあ、この近くの村へはどうやって行ったらいい?」
「……下れば、村がある」
赤褐色の髪で、がっしりとした体格。歳は四十あたりで、目元には、魔獣にやられたのか、古い切り傷があった。思案気に顎鬚を撫でながら言葉少なに答える男は、まだメリッサのほうを気にしている様子だったので、気をひくべく会話を続ける。
「と思って下に向かってたつもりなんだが、いつの間にか登りになってるし。あ、水持ってないか?」
「…………」
男は無言で水筒を取り出して放った。その際、腰元に短剣を下げているのが見えた。男は、中、近距離に対応できるということだ。
「お、助かる!」
そんな観察をしつつも、投げられた水筒を危なげなくキャッチし、勢いよく呷ってみせる。
「――そんな軽装で、山に入ったのか」
「あー」
男の指摘に内心どきりとしたが、焦りはおくびにも出さず、面目なさげに頭をかく。
「途中で足を滑らせてな。荷物はどっかにいっちまったんだ」
今のレヴァンは、少し草臥れた稽古着姿で、剣を一振り佩いている。手荷物はなくしたといえば、誤魔化しがきくはずだった。
「……そうか」
納得したのかしないのか、その短い返答だけでは量りかねたが、メリッサが逃げ切る時間は稼げた。
「とにかく助かった。ありがとな」
水筒を返して男と別れようとしたが、「待て」と今度は男のほうから声がかかった。
「身一つでは難儀だろう。私も一緒に行こう」
「え」
その親切に戸惑う。無愛想に見えて人が良いのか――あるいは、メリッサの代わりとして目をつけられたのか。
「あー、けど、あんたも何か用があって山に入ったんだろ? それはいいのか?」
「引き上げ時だ。山で夜を過ごすつもりはない」
「……なら、お言葉に甘えて」
これ以上ごねるのは不審を抱かせるだけだろうと判断し、一緒に村に下りることにした。
「デメトリだ。君は?」
「――レヴァンだ。よろしく」
表面上は友好的に名乗りあったものの、お互い、相手が探ろうとしていることはわかっていた。
ついでだから食事を奢ろうとデメトリがいい、断るのも不自然だからとレヴァンが受けいれる。
そしてその食事の席で、まずデメトリが質問を投げた。
「これからどうするのだ。家は近いのか」
「……いや、家はない」
咀嚼で多少の時間を稼いだ後、とりあえず嘘をついた。
「何?」
「二年……いや、もう三年前だったな。魔獣が出現し始めた、その時にな」
三年前に黒煙を見た日以降、動物たちは狂暴さを増した。積極的に人を襲うようになったのだ。だが狂暴化しない動物たちも依然として存在するので、それらと区別するために、狂暴化した動物たちは魔獣と呼称するようになっていた。
そして、その魔獣たちによって辺境の村のいくつかが壊滅したという噂を聞いていたので、レヴァンはそれを利用させてもらった。
「――すまん」
「いや。もう昔のことだ。それに、俺より辛い人たちはいくらだっている」
沈痛な面持ちで謝罪されて、レヴァンはばつが悪くなった。その気まずさを紛らわすために、質問をしかえす。
「そういう旦那は? あの山の中で何を探してたんだ?」
「人を捜している」
はぐらかされると思っていたのにあっさりと答えられ、だがその答えに首を傾げる。
「山で?」
「そうだ。目撃情報があった」
「ふうん。……というか、何でそいつを捜してるんだ」
まさか里の者が何かやらかしたのかと内心焦りつつも、レヴァンは興味津々を装って尋ねた。
「それは話せん」
素っ気無くも断固とした答えに、食い下がるべきか否か逡巡し――レヴァンは軽く溜息をついてみせた。
「――ま、いいけどな。ほどほどにしておかないと、俺みたいに難儀するぜ」
「肝に銘じよう。――これから、どうするのだ」
改めて問われ、レヴァンは、今度は取り繕わずに考え込む。
デメトリが山の捜索を続けるなら、迂闊に里には戻れない。せっかく山を下りたのだから、どこか観光するのもいいだろう。
「そうだな。気のむくまま足の向くまま。遠いが、王都までいってみるのもいいかもな」
三年前に里を出た兄の旅程には、王都も含まれていた。消息を尋ねてみたい気持ちはある。
「王都なら、多少顔が利く。仕事を探すなら力になろう」
魔獣の襲撃で家族を亡くしたという作り話が、結構な同情を買ってしまったらしい。デメトリの親切な申し出に、罪悪感が強まった。
「あー、縁があったらな。確実に行くってわけでもないし」
「そうか。必要になったら、酒場の銀翼亭で私の名を出すといい。世話をしてくれるだろう」
「覚えとく。色々と気を使ってくれて感謝するよ。もしまた会ったら、この借りは必ず返す」
まあ、会わないとは思うけど、とは心の中でだけ呟いて、レヴァンは軽く杯を掲げた。