荒れる街
ギャングのボスであるリディの確保に成功したエリックは、例の小太りの男が佇む換金所へと身柄を拘束した状態で地面を引き擦り懸賞金を受け取った。
男に掛けられていた懸賞金は百万ヘヴンド。ギャングのボスを仕留めるとなれば組織そのものを潰す勇気がなければできない訳だが、文字通りエリックが住むスラム街を占めていたギャングは崩壊した。
その原因の根源にあったのがサリエル・サムハートであり、彼女は死神家の奥義とされる『死相』を使用する事で複数人の武装状態であった構成員を威圧、本物の殺意を味わった彼等は術が解けた瞬間に建物の外へと出て行く程に萎縮してしまったのだ。
百万ヘヴンドを受け取ったエリックは街で二つしかない酒場へと直行、しかしそれは自身への褒美という訳ではなく___
「……本当に何でも頼んでいいの?」
「ああ、お前には何だかんだで助けてもらったからな」
何故だかエリックは頬杖を突き目を細めながらこちらを覗く、その様子にサリエルからも彼が何かしらの不機嫌さを現していたようにも思えてしまう。
だがしかしここで逐一相手の思惑を探るのは野暮というものだ。そう考えたサリエルは何故か気前のいいエリックを称えようとメニューを一望しながら言葉を挟む。
「そう、でもまさかあなたから私を信頼してくれるとは思わなかった……」
「だからあの時はちげえよ!俺はお前に借りを作っただけで信頼なんてしてねえ!だからこうやって受け取った懸賞金で飯奢ってんだろうが勘違いするな!」
「……」
勘違いとは言っても、結局は『助けてくれてありがとう御礼にご飯奢ってあげるね』みたいなニュアンスでエリックの発言を解釈していたサリエルにとって、彼は重度のツンデレか何かだろうかと思わず考え込んでしまう。
そして二人は注文を終え、暫くすると頼んでいた料理や飲み物が到着するのだった。
「しっかし、まさかお前があんなに強かったなんてな。正直驚いた」
「それはどうも……」
「なあ、リディの言ってた死神家って、何?」
「何って……」
恐らく此処では天界における常識と思える情報すら行き届いていないのかと推測すると、サリエルもまた無学者である彼に身元についても伝えても問題ないだろうと思い全てを話す決心を着けた。
「死神家というのは、天界の御三家として君臨する家柄のこと。数十年前まで私もそこに所属していたの……」
「死神家、聞き覚えがないな。そこに所属してたから『死相』ってやつも使えるのか?」
「いや、あれは本来死神家の中でも当主クラスの実力を兼ね備えていなければできない奥義、死神の中でも扱えるのは極少数なの……」
一見覇気を周辺に撒き散らしているだけに見える『死相』という奥義の仕組みは意外と複雑な構造となっており、自身のゾオンエネルギーを発散すると同時に脳の運動野や側頭葉に干渉していた。
特に運動野と側頭葉に干渉して体を動かす事ができない金縛りの状態に陥らせ、嘗て抱いた恐怖や恐怖のイメージを呼び起こす事で背後に死神が見えていると錯覚させる技であったのだ。
「ふーん、何だかよく分からないが、敵を動けなくして気絶させるなんて最強じゃないか?」
「そうでもない、効力を放つのはあくまで術者より格下の相手だけ、言い換えれば強敵には一切通用しないわけ……」
強敵ともなれば記憶やイメージでも恐怖という感情をそもそも抱かない、そうなれば『死相』の発動条件が整うことなく発動もしない、圧倒的な力を持っているからといって油断をすれば自身の足を掬われる事態に繋がる恐れがあった。
過信ほど己の首元に刃を向ける行為はない、それを知っていたサリエルだからこそ当主としての器があるにも関わらず『死相』を使うことを避けて通ってきた。それもこれも日々の己の鍛錬としてだ。
「てか、お前はこれからどうするつもりなんだよ?」
「目的を果たす為にこの街に残る……」
「本気かよ。言っとくが俺達が街を占めていたギャングを倒した事でこの街はもっと治安が悪くなると思うぞ、奴等のやっていた事は下衆だがおかげで街に蔓延る不特定多数の悪を屈服させていた。玉座に即位していた奴がいなくなれば必然的に覇権争いが起こる、そしてそれは俺達も他人事じゃねえ……」
「どうしてそう言えるの……?」
向かい合う形で座っていたエリックはこれまで見せたことがない程の真剣な眼差しを見せていたので、サリエルもまた彼の言う推論の根拠が知りたくなり尋ねるのだった。
「まず第一に俺達は『エリア1』を占めるギャングを崩壊させた。直接的ではなくても、そう追い込んだ事には違いない。そうなれば奴等から奴隷を買い付けていた顧客が俺達に怒りの矛先を向けるのは必然だろ?」
「確かに……」
「奴等を潰した時点で俺とお前は既に金主の一角であるロスチャイルドを敵に回した事になる。そうなりゃ俺達は晴れて賞金首だ。俺達を始末する大義名分を与えられたこの街の眠れる猛者共は確実に命を狙ってくる、よってこの街に残るのは危険過ぎんだよ」
エリックの言い分には一理あり、この街を統帥していたギャングを潰した事が原因で彼等と人身売買の取引をしていたロスチャイルドが激昂する可能性は十分にあった。
これから訪れるであろう覇権争い、そこにギャングを倒したとされる二人の賞金首を狩ろうとする者が現れるのは必然である旨をエリックが伝えたかった内容は理解できた。
「っておい、話聞いてるのか?」
「聞いてる……」
だがしかしサリエルはそんな忠告には見向きもせず、机に置かれた料理に手を掛けようとする。
その様子にエリックも少々項垂れた様子を見せるが、一体彼がどうしてこれほどまでに他人を心配する素振りを見せるのかサリエルには分からないでいた。
「向かって来る敵が現れたら倒せばいい、自分の身は自分で守れる……」
「そんなことは些細な事だってのか、本当にどこまで強気なんだよ」
「エリックは怖いの?自分の命が狙われるのが……」
サリエルが何となく質問を飛ばした矢先、エリックは自身の両手を強く握り締め奥歯を噛み締めるかのような苦い表情を見せていた。
葛藤という感情、己の相反する気持ちが混ざり合い思い悩んでしまっているのがサリエルからも窺えたのだ。
「……そうだな、正直怖いのかもしれない。賞金稼ぎなんて生業にするぐらいだからこうなる事は覚悟してたけど、それでも不安要素の方が大きいのは確かだ」
「そう――」
これは彼の選んだ道だ、これ以上の干渉は神としての道理と道徳に反すると決め付けていたサリエルは特段エリックという男に肩入れするのは避けて出ようと考えた。
しかし、それは不意に飛ばした会話と共に打ち砕かれる。
「そういえば、あなたって刃で人を斬ることには躊躇いはないのね……」
「まあな、別に始めてじゃなかったし。最初に人を刺し殺したのは十五の時だからな、奴隷としての生活に嫌気が差して主人を殺した事もあったよ」
「―――」
直後、サリエルは自身のおぞましい過去の記憶を振り返った。
十五歳の時自分は何をしていただろうか、今思えばその時はまだ順風満帆で仲間にも恵まれた生活をしていた記憶を思い出した。
それなのに、眼前の男は十五歳の時に人を刺し殺さなければならない程に劣悪な環境下に置かれていたのかと思うと随分と荒んだ気持ちになったのだ。
「環境がどうあれ俺の手はもう汚れている。再び値札が付けられても当然の人間なのかもしれない、でも、もう二度とあんな日々は繰り返したくないと今でも思う……」
恐らく奴隷として売られても、賞金首として送還されても行きゆく未来は同じなのだろう。
奴隷として過ごした幼少期、主人を刺し殺してまでスラム街に脱獄を果たし今まで一人で生きてきた。
そして彼はまた同じ人生を歩もうとしている、そう思うとサリエルは心が張り裂けそうな心情に包まれてしまう。
「――なら、私について来る?」
「え……?」
彼女自身、その選択が愚かな事だというのは十分に理解していた。
まだ助けを懇願されていないのに救いの手を差し伸べる、それがどれほど無意味な行動かというのは自分が偉大だと思える全能神の背中を見据えてきたから理解したつもりでいた。
だが、サリエルは自身でも理解を超越した感情が呼び起こされ気が付けば再びエリックを救おうとしていたのに気付かされる。
「……お前を信じろってのか?」
「強制はしない、行動を共にしている間はあなたの背中ぐらいは守ってあげる。その代わりと言ったら何だけどあなたは私の目的に協力する。信頼関係を嫌うなら契約関係と捉えればいいわ……」
エリックが信頼関係を嫌う事は自ずから告げられていたので、サリエルはあえて契約関係という解釈を示し彼に揺さぶりを掛けた。
すると案の定彼は物珍しい物でも見たような表情に変化を見せると、単純に何か疑問があるのか喉の奥につっかえた言葉を吐き出そうとする。
「どうして、そこまで俺を助けようとする?」
「……分からない。でもこういうの、確か“同情”っていうものだった気がする」
喜怒哀楽という基本ベースの感情をようやく取り戻しつつあったサリエルにとって、誰かを特別助けたいという感情の正体はイマイチ理解に欠ける節がある事を自覚していた。
だからこそ、今自身が仕出かそうとする行動は同情にもならないただの偽善なのかもしれない。
しかしそれでも、サリエルは己の意志で確かに行動しようとしていた。
「……同情だって?違うだろ、同情ってのは同じ境遇に立つ者だけが許される感情だ。それ以外の哀れみは全て偽善って言うんだよ」
「――私は、嘗て大切だった人達が全員先に逝ってしまった。一人は寿命、一人は殉職、そして最後の一人は――私自身が殺した」
「……!?」
突如として一人語りを始めたサリエルの言動内容にエリックは目を見開いてみせる。
「あなたが偽善を嫌うなら、あなたの価値基準に従って私は同情してるわ……」
「いや、殺したって、第一お前何歳だよ?」
「あなたよりは段違いに年上、訳ありで体だけ幼児化してるけど、私もそれなりに人生を歩んでいるつもり……」
食事を終えたサリエルは口に付着した調味料を手持ちのハンカチで拭いてみせると、再びエリックと目を合わせ返答を待ち望んでいた。
それを見計らったエリックも未だに脳内が混乱している様子を露にする。当然、目の前の少女が自分より年上なんて突然言い出せば当たり前の反応だろう。
「正直お前の言ってる事は所々理解に欠ける節がある。胡散臭い奴を信頼する事なんてできねえし、契約関係ってのも信頼が付き物だろ」
「……そうね」
答えは得た。そう判断した矢先サリエルは店から出ようとする。が
「だから俺はお前を信頼しない。信頼でも契約でもなく、同盟としてなら手を組みたい。正直お前がいれば俺の身は安全そうだからよ」
「同盟……」
それは言わば一時的な共闘を意味しており、両者に信頼関係を必要としない敵の敵は味方的な考え方に基づく協定関係にあった。
両者は利害が一致しているだけのパートナー、彼が僅かながらも他人との接点を受け入れ始めていた事にサリエルもまた年長者として感慨深いものが感じ取れたのだ。
「面白い、それでも構わないわ……」
「いやそんな真顔で面白いって言われても、やっぱ信頼できないなお前……」
恐らくここは笑顔を垣間見させた方が高評価だったのだろう。とサリエルは思ってはみたものの、彼女自身本心から笑うことは何故か新介の目の前でしかできなかった為に無表情で切り抜けた。
「それじゃあよろしく、エリック」
「ああ、サリエル」
二人は握手をして、今此処で協定を結ぶ事を再確認した。
こうして二人の一時的な共闘は成立。果たして利害は一致しているかはさておき、こうしてサリエルの新しい生活は幕を上げたのだった___
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その後サリエル達は拠点となる廃墟の建物を探し当て、暫くはそこで生活する意向に固めるのであった。
強敵相手に身体的疲弊が激しかったエリックは早々に就寝、その際部屋に唯一あった埃まみれのソファをサリエルに譲り自身は刀を常に持ちながら壁へと持たれ掛けて眠りに付いた。
そして深夜を向かえつつあった時間帯にサリエルも就寝しようとするが、一つし忘れていた事を思い出してすぐさま建物の屋上へと向かった。
「……夜分遅くに失礼します。ユピテル様」
「「何じゃサリエルか、どうかしたか?」」
「いえ、少しだけ定期連絡でもと……」
その後サリエルはヴァイスに降り立ってから一日目の状況を通信デバイスを通してユピテルに満遍なく伝えた。ラグーシャでの定時連絡の時もそうだが彼女はこういうのにはまめな性格だったのだ。
そんな彼女から伝えられた内容を一度聞いただけで理解したユピテルもまたメモを取りながら頷いてみせる。
「「なるほど、御主はエリックという青年を助けたわけじゃな」」
「はい、最初に彼と出会った時、彼がそれを望んでいたので……」
「「ふむ、なら今その青年と行動しているのも、彼から意思表示をしたからか?」」
「それは……」
つまるところ協定関係の提案を持ち出したのは自分だという事はサリエルにも自覚はあった。
だからこそ返答に困っていた。それはユピテルにとって、サリエルが崇拝する全能神にとって最も相反する生き方であったからだ。
「……違います。全ては私の意志、エゴです」
「「……そうか」」
次にサリエルが彼女の顔色を窺った時には目から精気というものが感じられずに、まるで今のユピテルには何も見えていないのではないかという思いに駆られてしまう。
そしてユピテルは、忠告を述べる。
「「サリエル、そこから先は偽善じゃぞ?」」
「っ……分かってます……でも……」
分かっていた。己の行動が間違いだという事など。
そんなものは端から承知の上で彼女に報告した。だがいざユピテルにその間違いを指摘されると
―――気持ちが張り裂けそうになり、息も随分と荒くなっているのが自分にも伝わった。
「「そう気を乱すな、何もわらわは御主の行動を否定しているわけではない。自分がそうしたいと思ったからそうした、ならそれで良いじゃろう。わらわが自分の生き方しか認められない不毛な性格に見えるか?わらわはただ再確認したまでじゃ、御主がその道を本当に歩むかのな」」
「……はい、ありがとうございます」
無事ユピテルの承諾を得たサリエルは胸が掬われる気分に苛まれ、自然と呼吸の乱れも収まり随分と気持ちが落ち着いた。
「「だがあくまでも優先すべきは目的じゃぞ?それを忘れるでない」」
「分かっています。私は新介への恩義を晴らす為、この身を削ってでも絶対に目的を果たしてみせます」
それが自分を過去という縛りから開放してくれた彼への恩義なのだから。そう強く心に刻み付けていたサリエルはあくまでも優先は三ヵ月後の美織救出作戦にあった事は肝に銘じていたのだ。
「「御主も良い目をするようになったのう。これも新介に抱く想いの強さというわけか、色気付けよって」」
「……ユピテル様、絶対何か勘違いしてます……」
ユピテルは自身の頬に手を当ててどこか浮かれ気分でいる事が見受けられたが、何故だが新介の事が話題に上がるとサリエルは自身の胸がざわついていた感覚が伝わる。
しかしその感情の正体が未だに何なのか思い出せない、昔の師匠に抱いていた感情に似ている事は確かだが、それよりはどこか淡く少し切ない感情に近い何かであるというだけしか判明しなかった。
「「まあ冗談はこのぐらいにして、サリエル、以後任務に励むように」」
「はい、ユピテル様」
そこでデバイスの通信は切れて、サリエルは建物の中へと戻り就寝しようとするのだった。
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