メメントモリ
「……ここか」
サリエルは指定された場所に足を運ぶと、いつも喧騒に満ちた道場とは違い普段は使わない外れにある古びた道場がそこにあった。
ここで稽古をするのか、そう思ってしまうと衛生的に嫌気が差してくるのは必然だった。
「来ましたか、サリエル・サムハート」
「おはようございます当主……あの、何故そんなものを?」
少し遅れて来た当主はバケツの中に大量の雑巾を入れ、もう片方の手には箒を一式持ち歩いていた。
その様子からするにやる事は恐らく一つ、いや、確実に一つしかない。
「まずはこの道場を掃除してください、勿論一人で」
「……え」
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死神家第零道場、昔はよく使用されていた道場であったが新設された為に最後に使われたのが数十年前という代物であった。
第一わざわざこんな古い道場を掘り起こす必要性など無いと思うが、一ヶ月間の長期間となると普通の稽古場がまず空くことがないらしいので旧式の場所でするしかないという訳だ。
「よっと」
サリエルはまず誇り塗れの床を箒で払い除け、水を入れたバケツに雑巾に水を染み込ませた。
そして四つん這いになり床を滑る昔ながらの雑巾掛けをする、今ではモップと呼ばれる立ったまま雑巾掛けが出来る代物もあるらしいが伝統を寵愛する死神家はその類を滅法嫌う。
「……終わりました」
「うん、隅々まで綺麗に出来ていて素晴らしいです。では早速稽古を始めましょうか」
サリエルはもう既に広い道場の掃除を一人でこなしていたので、ここまで施してようやく稽古が始まるという現実が重く圧し掛かった。
しかしこんな事で折れていては示しがつかない、サリエルは自身にそう言い聞かせることで自らの体を奮い立たせた。
「では準備運動がてら腕立て伏せ500回、鎌振り1000回をしてください」
「っ……!?」
あまりに無茶な要求に冗談で言ってるのかと疑ってしまうが、ガイゼルが普段と変わらず何色にも染まることのない笑顔を見せる様子からどうやら本気だということをサリエルは察した。
「分かりました……」
サリエルの腕立て伏せの最高記録は100回、10歳の筋力にしては多い方だが500回など果てしなく遠い記録にも思えた。
だがやり切るしかない、早速難題が立ち塞がったサリエルは思わず困惑してしまうが、自分の気持ちが変わらないうちに否応無く手を動かそうとした。
そして5分後、自分の記録である100回を超えた当りで腕に限界を覚え始めた。
「そうだ、言い忘れてましたが途中で止めたらまた最初からですからね」
「え、そ、そんな……」
もう腕は限界を向かえているというのに、後400回連続でやり通さなければまた最初からという事実にサリエルは強いストレスが掛かる感覚が確かに伝わってくるのが分かった。
「107……108……」
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「218……2……19……」
「……どうしました?腕が止まっていますよ?」
「はあ……はあ……」
まだノルマの半分も終わってないというのに、これ以上腕が曲がる気がしなかった。
これが準備体操、こんなのを後一ヶ月、いつしか先のことしか考えることができずにいたサリエルはそれからの腕が止まっていた。
「まだ……やれます……」
だが逃げ出すという選択肢は彼女にはなかった、今ここで音を上げれば恐らく逃げ出した自分をずっと呪い続けることになったからだ。
そしてサリエルは額から垂れる汗を拭うこともできず、ただ腕を動かす事だけに集中するのだった。
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「499……500……」
何とか500回をやり遂げたサリエルはそのままぐったりと倒れてしまうが、ガイゼルは休ませることなく次の準備運動に移ろうとする。
「それでは、次は鎌振り1000回と行きましょうか」
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次の鎌振り1000回を何とかやり遂げたところでガイゼルはようやく休憩を取るが、もう既にサリエルの体は全身が動かない程に痛んでいた。
「はあ……はあ……」
「まさか本当にやり切るとは思いませんでしたよ」
「……?」
ガイゼルの意味深な発言に思わずサリエルは食い付く、何故ならその言葉にはまるで真面目にやり遂げた自分を鼻で笑うかのような裏の意味合いを感じられたからだ。
「その様子ですとゾオンエネルギーの供給をまだ使うことができないようですね、分かりました。ではまずはそこから始めましょう」
「あの、ゾオンエネルギーとは何ですか?」
サリエルは動かない体を無理矢理起こしてガイゼルに質問するが、体を曲げた瞬間に激痛が走り思わず壁に凭れ掛かる。
「ゾオンエネルギーとは大気中に漂うエネルギー体のことです。そのエネルギーを自身に供給すれば体にあらゆる付加強化を付け加える事が可能です。そもそもあんな無茶な準備運動を要求したのはあなたのそれを見極める為という訳です」
「……それ、口で説明するのは駄目だったんですか?」
「稽古のついでです、鎌を扱うにはどの道筋力が要りますしね」
この時サリエルは気付いてしまった、これは稽古などではなく修行だということを。
そしてこの稽古は過酷というより地獄だということを。
何よりこの当主は常日頃から笑顔を振りまいているが、やらせることはえげつないスパルタな一面があることが垣間見れた。
「それでは今日はまずゾオンエネルギーの供給からやりましょうか、それとも素手でまた腕立て伏せをしたいですか?」
「……いいえ、やり方を教えてください」
これからのことを考えると何としてもその技術を獲得しなければならなかったので、サリエルはボロボロになった体を立たせ稽古の本番に向かった。
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「ちょっとじっとしててね」
「痛い痛い痛い……っ!!」
初日の稽古をやり遂げたサリエルはそのボロボロの体で自分の部屋に帰ろうとすると、偶然通り掛ったミシェルが事の異質さに気付き彼女を自分の部屋に連れ込んでいた。
そして今にあたる、ミシェルがサリエルの体を触ってみるとそれだけで痛みを生じていることから重度の筋肉痛だということが察しがついた。
「これは酷いな……過労で完全に全身の筋肉固まってる……」
「っ……うう……!!」
特に腕周りを押さえるとサリエルは涙を浮かべ、うつ伏せの状態で枕に口を当て絶叫を抑えていた。そうでもしないと自然と悲鳴を上げてしまうからだ。
「えっと、筋細胞の治療はあれだから、こうか……」
「……何してるんですか?」
「ああ、今から神技で治療するから、多分これで少しは痛みが和らぐと思う」
ミシェルは神技『アンディゲル』を発動し、サリエルの固まった筋肉を少しずつ解いていく。
治療が完了すると回せなかった腕を回すこともでき、痛みもいくらか和らいでいたことにも驚かざるを得なかった。
「治った……」
「それは結果論、初日でこれじゃ一ヶ月なんて無理だよ?」
「……」
ミシェルの言っていることは酷く真っ当であった、初日で全身筋肉痛になる様子では一ヶ月など夢のまた夢であることは考えるまでもない。
今でさえ神技の治療が無ければ自分は全身の痛みで悶え苦しんでいるのだから、少なくとも自分一人でどうにかなるような代物ではなかったのだ。
「こんなの無理よ。そりゃ私にかかればこのぐらいの治療は出来るけど、それ以前に自身の体をもっと大切にすべきだと思うわ」
「……ありがとう、でも、大丈夫ですから」
先程まで痛みで涙目だった顔で稽古続行の意志を告げると、ミシェルはサリエルのそんな表情に感慨深い感情を浮かべながら両手で抱擁した。
「よしよし、サリエルは本当に偉いなあ……お姉ちゃん感動しちゃったよ……」
「ミ、ミシェルさん……痛い……」
サリエルはが彼女の腕元をパタパタと叩くとミシェルも抱擁する力を弱めたが、それでもまだ抱き締められながら頭を何度も撫でてきた。
「辛かったら逃げ出しても良いんだからね、あなたはまだ子どもなんだから」
「……はい、もう少しだけ頑張ります」
それでもサリエルは前に進む、それが自分が自分に科した罰なのだから_____
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稽古二日目、ミシェルの治療のお陰でサリエルの体は痛みがすっかりと引いていた。
その為に昨日の影響は全くと断言していい程何も無かった、さらに昨日コツを掴んだゾオンエネルギーの供給を活用することで準備運動も以前よりは苦しい思いをしなくて済んだのだ。
「999……1000……」
腕立てと鎌振りをやり遂げたサリエルはガイゼルの居場所を探すと、彼が道場の縁側からこちらを見ていたことに気付きそこまで歩いた。
「終わりました……」
「うん、昨日より辛くなさそうだね、ゾオンエネルギーの供給が少しずつ可能になっている証拠だ。取りあえず今は休もうか」
だが全く疲れていないと言ったら嘘になった、次の本番の稽古に移る前に休憩が必要なサリエルの気持ちを察したガイゼルは休憩を取ることを提案する。
二人は縁側に腰を下ろすと、サリエルは体から離脱した水分を取り戻す為にコップの中に入った水を勢いよく飲み干した。
「少しずつ順応してきましたね、昨日はどうなることかと思いましたけど」
「あはは、個人的に昨日の出来事はもう忘れたいです……」
「私の稽古を受けた人は毎回そう言いますよ、もっとも投げ出す者が多くてやり遂げた者こそ指折り数えれるぐらいしかいませんが」
相変わらずガイゼルは笑顔を振舞うが、サリエルにとって単一の表情でいつも接されるのは相手の思考や感情を読み取ることが難しい行為だった。
だからこそ常日頃からガイゼルが何を考えているのか分からないし、当主自体他人にその隙を与えようとしていない。
「サリエル、あなたはどうして私の稽古を受けるという選択をしたのですか?」
「……贖罪のつもりです。私は立派な規定違反を犯してしまいました。だからこれは自分への戒め、死神になる者として必要最低限の誇りを貫いたまでです」
今頃降格処分を受け入れたリアムは腹を押さえ笑っているかもしれない、だがそれ以上に誇りを貫かない者は恥じるべき存在だということはサリエルは信じていた。
「……なるほど、なら私はあなたを立派な死神にするのが役目かもしれませんね」
「え?」
「こちらの話です、どうかお気になさらずに」
いや、サリエルにとって先程の言葉は全く感情を表に出すことのないガイゼルの何かしらの真意のはずだと思った。
しかし肝心な所は聞き逃してしまい、サリエルにとっては大きなチャンスそのものを見逃してしまう結果となった。
「なら一つ良い言葉をお教えしましょう」
「言葉ですか?一体どんな……」
当主直々の言葉、その肩書きに思わずサリエルも緊張感が走り生唾を飲んだ。
「『死を覚悟しろ』、本来死神とは罪人の魂を開放するのが役割です。相手を殺す時は必ず相手に敬意を示し一思いに殺す、その意から死神は稀にこれを口にします」
「……メメントモリ、なるほど、ただ人を殺すのではなく相手に敬意を示すことで敷居を高くする訳ですか」
言わば形式化を意味するその言葉は、死神が私利私欲や悪戯に力を振るうことをしないと公言するという行為すらも意味したと強ち察しがついた。
「形式上ですが、これを公言してからでないと死神といえどもただの人殺しをすることになります。もしあなたが死神として魂の開放をしなければならない時は必ずこの言葉を言ってください」
「でも、今の時代にそんなことありえませんよね?」
戦争が終わった今の時代では戦いという戦いはほとんどない、確かに犯罪者こそはいるが死刑執行人でない死神には人を殺すことすらもしたことがない者もいるという話だ。
「さあどうでしょう、我々が深淵を覗かなくても、深淵は常にこちらを覗いてるかもしれません」
「……?」
ガイゼルのその言葉をサリエルは理解することはできなかったが、彼自身その目の奥に見据えている物はまさしく深淵なのだろうと思った。
一体彼がこの世界のどこまでを見据え、何を語りたいのか、サリエルは考えれば考える程目的を失いかけていることに気付きすぐさまそれを止めた。
「休憩はここまでです、それでは今日の稽古の本番と行きましょうか」
「……はい!」
サリエルは鎌を持ち道場の中央まで歩くと、ガイゼルも縁側から腰を上げ物置に置いてあった竹刀を取り出す。
「これから打ち込みを始めます、私はハンデとしてこの竹刀であなたの鎌を受け止める。あなたが一度でも私の体に傷を負わせることが出来たらあなたの勝ちとしましょう」
「お言葉ですが当主、いくら当主とはいえ竹刀では鎌に敵わないと思うのですが?」
「それにはコツがあるんですよ、まあ私はこれで十分身を守れるので問題ありません」
ガイゼルは表情一つ変えることなく余裕を漏らす、サリエル自身当主に敵うとは思ってないが鎌でかかれば竹刀など斬れてしまうに違いないと思っていた。
「……分かりました、なら遠慮なく行かせてもらいます」
「ええ、いつでも来てください」
サリエルは踵を踏み勢いよくガイゼルに鎌を振り翳す、しかしガイゼルはそんな彼女の攻撃はいとも簡単に交わしてみせる。
「……サリエル?」
二人の攻防が続くそんな中、ミアは茂みからサリエルの様子を傍観するのだった____
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