虚飾の深淵
その日、新介は寝ることが出来なかった
あの夜、確かにサリエルの笑顔を目にした。しかしそれは同時に彼女の生前の記憶を蘇らせる行為に等しいことかもしれない
だからこそ彼は素直に喜べなかった。このままだと後に引けない何かが起こりそうで気が気でなかったのだ__
「何じゃ新介、もう起きてたのか?」
「……」
ソファで寝惚けていた新介に朝一で声を掛けたユピテルはまるで何の隠し事もしていないかのように清廉潔白の雰囲気を醸し出しているが、新介は彼女本人から聞かなければならないことがあった。
「サリエルの事で話がある、ちょっといいか?」
「……昨日夜分遅くに帰ってきてたようじゃが、何かあったか?」
ユピテルは新介が寝ていた向かいのソファに腰掛けると、彼の事情を聞けるように新介を尖らせていた。
「昨日、サリエルが笑った」
「……!?」
俄かには信じ難い話にユピテルは一瞬動揺するが、その後は冷静にその出来事についてを真摯に受け止める。
「そうか、それで話とは何じゃ?」
「あいつの過去について教えて欲しい。きっと感情を表に出さないのは何か過去に原因があるんだろ?」
「……まあ、御主なら教えても構わぬ。だがこれはわらわも推測じゃ」
『アンシャウト』
ユピテルはリビングの周りに音を掻き消す神技を発動する、それは満が一現在も寝ているサリエルと結に話の内容を聞かれないようにする為だった。
「サリエル・サムハート、奴は生前死神家と呼ばれる御三家に在住していた。その時から真面目で強く、死神家23代目当主の候補にも挙がっていたのじゃ」
天界において家柄を持つ家系とは代々神の称号を得ることに特化しており、神官以上の階級の者は家柄持ちが多い程の権威を持っていた。
その中でも雷神家、風神家、死神家は天界の御三家として君臨し、その当主ともなればG7の役職もこなせる程に実力を兼ね備えていると言われる。
そんな彼女が何故か死んだ、新介はこのことが随分と気がかりで仕方なかった。
「じゃがな、奴は先代当主を殺した。自らの手で」
「___え?」
ユピテルの言葉に新介は素直に受け入れることが出来ずにいる、彼女が身内の人間を殺した道理も理解出来なかったからだ。
「お、おい、第一何で?道理が無いだろ」
「言ったじゃろう、これはあくまでも推論。わらわがその場に居たわけでもないし何ならほとんど知らぬ」
「じゃあ何で、お前はサリエルに初めて会った時に正体を知っていたんだ?」
ユピテルは大きな溜め息をつき一瞬言葉を選んでいるようにも見受けられた、恐らく彼女もこの事を話すのはあまり気乗りしないのだろう。
「分かるに決まってるじゃろう、数日前に処刑されたことが新聞に載っていた人物がそこに居たんじゃからな」
「処刑……だと……!?」
サリエル・サムハートの死因、それは政府公認で執り行なわれる処刑であった。
ユピテルの話によると当時の新聞で取り沙汰された内容はサリエルが死神家の当主を殺害し、第一級の逆罪者として報道されていたとのことだ。
しかしこの記事ではサリエル・サムハートという人物は己の私利私欲で当主を殺したように思われるが、それと今の彼女の様子には食い違う部分がいくつも存在していた。
「ユピテルは、あいつが本当に自分の意志で師を殺したと思うか?」
「思わないな、少なくとも何か強制されることがあったに違いない」
あれ程までの精神崩壊を起こしておいて自分の意志で殺害したとは到底考えられないのは二人共同感だった。
何か別の事柄が関与しているのは明白、だがそれは当人にしかわかり得ない。
「新介、御主がこの話を聞いてどうするかは自由じゃ。じゃがな、人生には逃げれば良いことだってある。無理にサリエルの記憶を掘り起こせばそれこそ何をするか分からんからの」
「……そうか、お前もそうやってあいつを生かしてきたんだな」
別にユピテルを責めるつもりはなかった、同じ立場なら自分も同じ行動をとっていただろうと新介は思う。
「心配しなくてもあいつの記憶を掘り起こさせるようなことはしない、問題は感情の再起がどんな影響を与えるかだ……」
あの時、確かに新介はサリエルの表情を見た。どこまでも美しくどこまでも悲観的なその表情は新介の感情を複雑なものとした。
だがそれが原因で、彼女の固く閉ざされた何かが緩んでいくような気がした。
______
修行開始 八日目 朝
早朝にユピテルと会話をしていた新介は早々に朝食の準備をしていると、次第に結とサリエルも階段から降りてきてダイニングの机に座った。
「おはよ~おひぃちゃん~……」
結は相変わらずだらしない表情を皆に晒すが、サリエルは昨日の笑顔とは打って変わってまたいつものような虚無を見つめる目をしていた。
その様子を見るに、やはりあれは何かの奇跡だったのだろうと新介は一安心した。
その後四人は朝食を済まし、ユピテルと結は早々に修行場に向かった。
「それじゃあサリエル、俺達もそろそろ修行するか」
「……先に行ってて、用事を済ませる……」
「俺も手伝おうか?」
しかしサリエルは首を横に振り必要ないことを伝えると、キッチンに向かったところから皿洗いでもしてくれるのだろうと新介は推測した。
これは何かのご厚意と捉え、新介もそれ以上は手を貸すようには言わなかった。
「ありがとうサリエル、俺も修行頑張るから!」
「……うん」
新介はさっさと仕度をして、先に家を出て修行場に向かうのであった。
_____。
歩いて数十分、新介はサリエルとのいつもの修行場に着くと、自分の顔をペシペシと叩き何かを自分に言い聞かせる。
「……俺も頑張らないとな、もう一分張りだ」
結だってこの世界に来てから辛いことを我慢している、サリエルだって辛い過去を背負っている、ユピテルも自分達の為に色々と考えてくれる、そう考えると自分も頑張らなければならないことを改めて確認した。
「暑いねえ、その心」
「___!?」
一瞬、わずか0.1秒の間に自分の心臓が背後から鷲掴みにされた感覚に襲われ、新介は脊髄反射で背後を振り向いた。
「そんな殺気立つなって、別に報復しに来たわけでもないんだし」
「お前……!?」
新介の目の前に居たのは間違いなくメドラーナで出会った親子を殺そうとした人物であり、失われた称号の仲間と思われる危険人物だった。
「そうだ、いっそのこと友達になろうよ!俺の名前はディアス、昔もってた称号名は……忘れたわ」
「ふざけるな!誰がお前何かと!」
「あっそう、じゃあ別にいいよ。殺しはしないけど俺にはお前を捕らえる道理があるから」
次の瞬間、新介の背後にもう一人の黒ローブで顔を隠した男が棒状の武器で襲いかかろうとした。
「っ……!?」
「チッ……」
瞬時に新介は腕にゾオンエネルギーを纏わせることにより男の攻撃を防ぐが、現状二対一では圧倒的に不利なことは考えるまでもなかった。
「何してんだよロー、あんなに念入りに打ち合わせしたのに失敗するかな普通」
「お前がこんな安っぽい武器で仕留めようなんていうからだろうが、さっさと次の作戦に移るぞ」
「それなら大丈夫、もうこいつには仕掛けてるから」
『ディムーシェ』
すると新介が立っていた地面に術式が浮かび上がり、彼は間もなく猛烈な目眩と頭痛により思わず跪いてしまう。
「っ……何だよこれ……!!」
「状態異常の神技だよ、さっさと落ちろグズが」
ディアスと名乗る男がそのまま新介の頭を踏みつけると、もう意識を保つこともままらないのか目蓋も重く彼らの声も遠退いていくのが伝わった。
「こっちは確保したことを伝えろ、今頃あいつもサリエル・サムハートの確保に取り掛かってるだろうからな……」
「っ……サリエルが……何だって言うんだ……」
「おいおい、まだ気絶しないのかよ」
「答えろ……っ!!」
新介は自分の頭を踏みつけるディアスの足を握り必死に抵抗するが、ディアスは踏みつけるのを止め新介の顔面に一蹴り入れた。そして先程から途絶えそうだった意識は強烈な衝撃とともに、目蓋が完全に閉じることで無意識の世界に入る。
「やっと大人しくなりやがった。こんな奴が本当に今回の任務で誘拐するように命令された上野新介なのかよ」
「不思議と今はヴァンパイアを倒した程の力は身に付けてなかったようだな。持ち運びの時は認識阻害使えよ」
「へいへい、まあこいつには借りがあったからな。一蹴り入れてスッキリしたわ」
ディグスは気絶した新介を確認すると術式を閉じ、彼をそのまま自分の肩に背負って西の方向へと走り出すのだった。
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「すっかり遅くなった……」
それから約一時間後、サリエルは細い両手でバスケットを貴重に持ち運びながら大地を駆け抜けていた。
その中にはたくさんの昼食用の弁当箱が入っており、形が斑ながらも新介の好きな塩と鮭のおにぎりを中心に作っているのが見受けられた。
「何で私……こんなことを……」
自分でも分からなかった、何故にこのような行動をしようと思ったのかさえも。
だが少なくとも彼と話していると胸の奥に違和感のようなものが生じた、その違和感は自分に害を与えるというよりも自分の何かを温かく包んでくれるものだった。
だからこそ、上野新介という人間ともっと話がしたいと考えた、それが今のサリエルにとって最も感情に近い何かだという結論に至ったのだ。
「新介……喜んでくれるかな……」
そんな事を考えている最中、サリエルは前方の光景を見て思わず目を見開いてしまう。
「___あなたが、サリエル・サムハートですね」
「誰……!?」
サリエルは両手で支えていたバスケットを無造作に置くと、すぐに自分の武器である鎌を召喚し眼前の黒ローブと仮面で顔を隠している男に刃を向けた。
それは男が放つ異様な殺気から『こいつは危険だ』というサリエルの深層心理が働いた結果である。
「何故刃を向けるのですか、私はまだ何もしていないというのに」
「っ……!!」
サリエルは先程から目の前の男が喋る度に頭に激痛が走る、まるで何か大切な部分が激しい外部からの衝撃で壊されているかのように自分の脳内を蝕んだ。
「あなたは……誰……はぁ……」
「そうか、貴方は私を知らないのですね。無理もないでしょう……」
「答えて……!!」
先程から支離滅裂な発言をする彼に向け鎌を振り回し、彼の顔を隠している仮面を取り外し黒ローブのフードも風圧で戻すことで露にした。
「ええ、確かにあなたは私の事を知らないでしょう。でも私はあなたの事を知っている」
「____え?」
次の瞬間、サリエルの脳内でこれまでにない程の衝撃が伝わった。
幼少期に武道に励む自分、生真面目ながらも笑顔を振り舞う自分
そして、師を自らの手で殺めた時の自分の姿
全ての記憶が、今この場で帰着した
「あ、ああ……」
泣いていた、自分が泣いてることを意識する前に既に涙は重力が掛かる方向を指針するかのように地面へと垂れ落ちていた。
「あ、あああああああ!!」
そして今まで経験したことのない激情に襲われるとともに、目の前の光景を受け止めれずにいる自分がいたことに気付かされ思わず跪く。
「あなたはどうして今、そうやって跪いているのですか?」
「あ……が……」
「久しぶりですね、死神家22代目当主にしてあなたの師、ガイゼル・ジークフリードです」
サリエルが顔を見上げると、そこには今も昔も変わらず静かな笑みを浮かべる師の姿が目に入った。
だがそれと同時に師の首を刎ねた記憶が生々しく鮮明に蘇ってきた。当時の肉を斬り裂いた時の感触、辺りに飛び散った血生臭い異臭、それに至るまでもう何度も人の首を刎ねていたはずなのに何度も嗚咽していた自分が確かに蘇った。
「何で、何で何で何で……!!」
「それは何故私が生きているか、という意味合いで正しいかな?」
そんなものは彼女にとってどうでもよかった、ただこの状況から逃れたくて、今にも逃げ出したくて必死になっていた。
「残念ですがもうあなたに話す道理は無いようです、だってあなたは私を忘れてたみたいですから」
「っ……!!」
次の瞬間にサリエルが跪いている地面に術式が浮かび上がり、彼女はそのまま気絶するのだった。
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