その傷が癒えるまで
新介達が神技習得の為に修行を始めてから六日目、進展状況は予想通り長期戦に持ち越されていた。
結は神技覚醒のトリガーとなる部分の不足、新介に至っては神技の構えも未だに分からないでいる始末だ。
「はぁ……はぁ……」
今日はもう何度ゾオンエネルギーを練ったことだろう、そう考えただけでも額から汗が浸ってくるというのに結果は出せないという現実にどうしようもないもどかしさが襲う。
「やっぱ駄目か……」
来る日も来る日も同じ事の繰り返しで、これ以上イタチごっこの如く続けても何の意味もないことぐらい新介は分かっていた。彼もまたトリガーとなるべきものを必要としていたのだ。
「お疲れ、お兄ちゃん!」
「うわああ!」
水が入ったコップを持ってきた結は悪ふざけのつもりで新介の頬に引っ付けると、彼は冷たいという触覚の感覚が不意に伝わった反動で過剰な反応を示してしまう。
「ちょっとビビり過ぎ、お兄ちゃんってたまに情けないところあるよね」
「煩いな、第一お前はベタ過ぎなんだよ。いつの時代の恋愛漫画だっての」
結は思わずクスクスと笑いながら、新介の隣に座り自分ももう一つのコップの水を飲んだ。
気のせいかもしれないが、今日の結は何かが違う気がしていた。しかしその何かは到底分かり得ない何かなような気もした。
「お父さんとお母さん、今頃心配してるかな……」
「……さあな、幸い向こうでは夏休みだから学校からバレることはないし。案外俺達が失踪した事はバレないんじゃないか?」
しかしこれはあくまでも海外出張で親が家に居ない状態にある上野家の話であり、この世界に召喚された可能性がある藤宮美織は既に世間で失踪した人物としてメディアに取り沙汰されている頃合いだろう。
そうなれば自然に新介達の失踪も判明するのが必然、既に一ヶ月以上が経過している現在では海外に居る親にまで情報が渡っていることの方が可能性が高かった。
そんなことは考えれば分かっていた。しかし新介は結の不安を少しでも軽減しようと嘘をついた。
それが彼女の為になることを信じて。
「お兄ちゃんはさ、この世界に来てから不安になったことはないの?」
「そりゃあ毎日が不安さ、何の偶然かここに来てから変なことに巻き込まれ続けたからな」
「だよね、でもそんなの平気で乗り越えるんだから凄いよ」
どうにも今日の結の様子は変だった、あの普段は鬱陶しい程元気な彼女は声も覇気がなくどこか遠い所を見つめている。何せ新介は彼女から一方的に褒められることは珍しかったので何とも歯痒い感情に襲われる。
「どうしたんだ、何か今日変だぞ?」
「ん?そうかな?今日もいつも通りな気がするけど」
結の見せた笑顔を見ると新介は全てに察しがついた。とたんに彼女から目を逸らし新介は一口水を口の中に含んだ。
「お前が俺になることはないんだぞ」
「え……?」
一瞬結は彼が何を言ってるのか分からなかったが、それは自分の兄が最も共感できる行動をとっていたことにようやく気付いた素振りを見せる。
「お兄ちゃん……」
「寂しいんだろ?親とか友達とかに久しぶりに会いたいって思いで。俺ってさ、友人関係とかってそこそこ築けばいいと思って内心ではどうでもいいって思ってたんだ。でも、案外いなくなったら寂しいもんだよな」
周りの様子を見計らい、その場の空気に合わせて自分も適応させる。嘗ての自分がそうだったように彼女もまた虚像となろうとしていた。
「だから、俺の前でぐらい変に着飾んなよ。そういう時こそお兄ちゃんに頼るべきだぞ、なんてな」
次の瞬間、結は溢れ出す感情とともに新介の懐に抱き付き涙を流した。
この世界に来てからの不安、あの夏祭りの日に兄を巻き込んでしまったことへの罪悪感、素直になれない自分への嫌悪、全ての思いが確かに彼女の泣き声とともに伝わってきた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「……いいやこっちこそ、生きててくれてありがとう___」
__あの日、もしあの時に彼女が居なければ、確かにそんな未来もあったかもしれない
だがそのことを取り立てて彼女を責め立てるつもりなど毛頭なかった
例えそれが貧乏くじを引くことになっても、何も出来ないことよりはましだった
例えその運命が最悪だったとしても、その運命を恨んだりしないと決意した____
______
「……報告は以上です」
「「そうか、今のところ拠点はどこにも見られないと……」」
サリエルは失われた称号の拠点となっている場所をラグーシャ全域で捜索していた数日間分の情報をユピテルに報告するが、数日間に渡っての段階ではまだ拠点の場所は判明していない状況にある。
「「ご苦労だったな、久しぶりに戻ってくるといい」」
「しかし、まだ探索が完了していない土地が……」
「「たまには新介の修行を見てやるのじゃ、探索ならまた今度すればいい」」
「……了解しました。今日の深夜頃戻ります」
ユピテルの心遣いを快く了解したサリエルは今夜帰宅することを伝え、大地を飛び跳ねながら家の方向へと足を動かした。
しばらくするとサリエルは自分達の拠点となっている家に着いたが、あたりは既に暗くなり日付もどちらか分からない状況だった。
_____……
恐らく全員寝ているだろうと思ったサリエルは出来るだけ音を立てないように中に入り、リビングのソファに向かうと新介が寝ていることを確認した。
「寝てる、か……」
キュルルル……
__それは自分の腹が鳴った音だとサリエルは自覚すると、ここ数日飲まず食わずだったことを思い出す。
しかし神にとって数日何も口に入れないことは大して問題ではない、なのに腹が鳴るというのは随分と人間染みた現象だと捉え、その原因も恐らく上野新介という人間が原因なのだろうと考えた。
「……サリエル?」
サリエルの腹の音が相当大きかったのか、熟睡していたはずの新介はすっかりと覚醒してしまう。
「……起こした?」
「気にすんな、腹とか減ってないか?」
サリエルはコクリと顎を使い返事をすると、新介は嫌な顔一つせずキッチンに向かい何かを作ろうとした。
「飯とかどうしてたんだ?現地調達とか?」
「……食べてない」
「食べてないって……お前体小さいんだから食わないと駄目だろ」
体形が小柄なのはユピテルと同じく無理矢理そうさせられたのもあるが、その細い手足で動き続けるのはかなりの負担になることは確かだった。
「筋力の低下はゾオンエネルギーの付加で補強してるから大丈夫……」
「けどそれって、やたらめったら体内のゾオンエネルギーを消費するってことだろ?かなりリスクがあると思うが……」
「大技を使わなければどうってことない……」
サリエルはどうってことないとは言ったものの、戦闘になった際にただ動くだけでも倍近くの体力を消費してしまうことがそうでないことぐらい新介には分かりきっていた。
だからこそ彼女を過保護なまでに気を配り、日頃から無理を犯す性格だったサリエルを心配していたのだ。
「あんまり無理するなよ、倒れてからじゃ遅いんだからな」
「……本当に、不思議」
「ん?何か言ったか?」
しかしサリエルは彼のそんな問いかけを無視して無表情を貫く、すると新介は不意に一つのことに興味を抱き聞いてみる事にした。
「そう言えばさ、お前の生前ってどんなのだったんだ?」
「え……?」
包丁で野菜を切りながらその言葉を放つと、サリエルは答えのない問題を突きつけられたかのように回答に当惑する。
「……分からない、記憶が無いの」
「……どういうことだ?」
「私が目を覚ました時には、何故か棺桶の中に自分が入っていて、何もない砂上の場所にいた。そして今のユピテル様が私を蘇らせてくれていた、私が誰で何者かもユピテル様は知っていた……」
賢者として生命を蘇らせる神技『フラグメント』には生前の記憶を消去するなどという代償はなかったはずだった。
当然どんな死因であれ肉体さえ無事ならば蘇らせる神技にそのような代償的なものが存在していてもおかしくないが、新介自身そのようなことは起こってないのだから可能性は低かった。
考えられるとしたら、彼女の精神的な何かが支障をきたしている可能性だ。
新介がそうだったように、人は深刻な精神的ダメージを請け負った際に当時の記憶とそれに関連する記憶を揉み消そうとする。
サリエルにとっては生前の記憶そのものがトラウマに値する経験だった可能性があり、彼女が一切表情を表に出さないのも感情そのものを忘れている可能性があった。
「悪い、この話は聞かなかったことにしてくれ」
新介はそこまで推測すると、サリエル自身のトラウマを引っ張り出さないようにその話題を掘り起こすことを止めた。
「修行は順調……?」
「まあまあかな……いや、進展もしていなければ感覚も掴めていないってところだ」
現在新介はイタチごっこの道中にいる、このまま続けたところで何がどうなるわけでもないことぐらい分かっていた。
「現状を変える何かが必要だ、今のままでは効率が悪過ぎる」
何かの要因が必要だった、あの廃墟の館での出来事に匹敵する同等の何かの要因が。
しかしそんなのそう何度も起こらないし身内が死ぬなどという出来事はもう懲り懲りだった。
「……まあそんなところだ、もうすぐで飯が出来るから待ってろ」
しかしサリエルは大人しく待つことをせずに、新介が調理をしているキッチンに行き彼の横に立った。
「あの、何か用でも?」
「いや、珍しいものがあったから……」
どうやら彼女が気に掛かっているものは新介が新しく調達した白米のことだった。
天界ではほとんどがパンが主食な訳だが、あのテンションがおかしい八百屋の店主が珍しい物を仕入れたと言ってきたものが白米だったので迷わず購入していた。
「ああ、これ食ったことないのか?おにぎりだよ、やっぱ夜食と言えば炭水化物に限るぜ」
「知らない……」
「まあ、お前らの世界ではほとんど食べないらしいしな。だが絶品だぞきっと」
この世界では炊飯器のような米を炊くためだけに製造された機器などないので、夕食時に鍋で炊いていたご飯で鮭と塩味のを作っていた。
「やっぱもう二つぐらい作ろ、俺も食べるから」
「……私も手伝う」
「いいぞ、じゃあまずは手を洗ってくれ。そして鍋にあるご飯を手に取って具材を乗せるんだ」
サリエルは新介の隣に並び、両手で崩れ落ちそうになる米を落とさないようにして具材を取る。
具材と言っても鮭と野菜を炒めた物しかなかったが、鮭と塩だけを握っていた新介の様子を見計らってサリエルは野菜を選択した。
「よし、次にこうやって両手で米を握るんだ」
「……出来た」
しかし彼女の手から形成されたおにぎりは随分と潰れており、具材を取りすぎたせいか中身もはみ出していた。
「……うーん、まあ最初はそんなもんだよ。俺だって子供の時はよく失敗してたし」
「……解せぬ」
一瞬その出来にどう言葉を掛けるべきか悩んでいたが、ここは肯定もせず否定もせず次に繋げることが重要だと伝える事で新介は彼女を直接批判する事を避けた。
「けどこうやって誰かと料理するのは久しぶりだな。小学生の時に家族としたことがあるぐらいだ」
あの日、不器用ながらも無邪気な笑顔を振舞う結と、支度作業を淡々とする自分、そしてそれを手伝う母親とリビングのソファに座る父親の姿が確かに新介の心に浮かんだ。
あの頃の結と今のサリエルは似ても似つかないはずなのに、心のどこかでその姿を重ね合わせる自分がいた。
「よし、食べようぜ」
二人で握ったおにぎりを新介はダイニングの机まで運び、二人は席に座りそれぞれ一つずつ口に運んだ。
「んん~、やっぱおにぎりは塩と鮭に限る」
「おいしい……」
その時サリエルは何か重要な事を思い出したいような気持ちに浚われたかのような表情を浮かばせるが、やはり何度思考してもその事は思い出せないでいた様子を露にした。
「新介……」
「ん?」
「ありがとう――」
不意に彼女の顔を見ると、そこには笑みを浮かべたサリエルの表情が映った。
「っ……!?お前……」
確かに彼女は感情を露にした。なのに、彼女が示した表情は確かに笑顔だったはずなのに、その表情はどこまでも悲しい感情に浸っているようにも見えた____
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