始まりの運命
気が付けば、妄執の彼方に誘われていた
どこまでも明るく輝いていたその世界は、自分にとってはどこか特別で懐かしい場所には違いない
だがそこがどこなのか、自分は誰なのかも今は知らない話だった――
「――介くん」
「……お前は?」
薄暗い山頂付近の展望台で、一人の少女は艶かしい浴衣姿で彼の名前を連呼した。
「「新介君――」」
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「……!?」
まるで長い夢を見ていたかのような気分に浚われるが、眩んだ視界を見渡すとそこには見慣れない部屋の背景が視界に入る。
気が付けばベッドで寝ていた。そして横に置いてある鏡に反射した光を覗くと、そこには黒髪で顔は何処にでもいるような、強いて言うなら町中で会ったら十秒で忘れそうなぐらいの一般的な青年である自分自身の姿が見られた。
「こ、此処は……」
自分が誰なのかも、ここは何処なのかも全く分からない男は思わず項垂れてしまう。
長時間眠りに付いていたからか頭が痛く、どうにも体が重い。
「あ、気が付いたんだねお兄ちゃん」
「え、誰……」
向かいのドアから一人の少女が部屋に入って来て、その母親と思われし女性も姿を見せた。
どちらも男とは対照的な髪色だったが、外国人というわけではなく言葉も通じている。
「目を覚ましましたのね。家の近くで倒れていたので、此処で休ませていたんです」
「もう三日も寝てたんだよ、大丈夫?」
「あ、ああ……ありがとうございます……」
男は取りあえず野垂れ死にそうになったところを助けてもらったことに感謝し、まだ頭痛で頭が響く中半ば強制的に上半身を起こす。
「あの、よければお名前を教えてくれませんか?」
「ごめんなさい、助けてもらったのにまだ名前も名乗ってなくて……っあれ……」
しかし名前を名乗ろうとしても、自分の名前が何なのか脳の奥につっかえるように思い出せない。
これは当人である彼も嘆息を漏らさずにはいられなく、困難せざるを得ないのは致し方のないことであったのだ。
「どうしたの? もしかしてお名前忘れたの?」
「名前……」
――「「新介君」」
瞬間的に夢で見ていたことが脳裏に過ぎり、自分の名前が新介だということを仮定した。
「新介……だと思います……」
「新介君ね、ここらでは珍しい名前みたい」
「え?」
「私はマリ、マリ・ビヨット」
少女は新介が寝ているベッドの横に腰掛けて自己紹介をする。
新介、マリ、確かに自分の名前とは大分形式が違う気がしたが、違和感はそれだけに留まらない。
「もしかして旅人?別の地方出身とか」
「すいません、今までの記憶が無くて、自分のこととか今は全く分からないんです」
「そう、それは大変ね」
「あの、良かったらここは何処なのか教えてくれませんか?」
どれだけ脳内から情報を引き出そうとしても、ここは一体何処なのか、自分は何の為にここに来ていたのか全く分からなかった新介はマリの母親に尋ねる。
「ここは世界の中心よ、天界で一番栄えている都市」
「天界?」
「あら、天界を知らないの?だってあなたも天界の出身のはずだけど……」
新介自身記憶が曖昧でそこが何処なのか分からなかったが、彼女達の発言には些か違和感のようなものを覚えていた。
――おかしい、俺が居た場所はそんなところではなかった気がする。
こことは違う、もっと別の世界で。
「分かりました、取りあえずこれ以上お世話になるのも申し訳ないのですぐにここから出ようと思います」
「別にいいのよ、もっとゆっくりしてくれて」
「お気遣いありがとうございます、でも本当にこれ以上迷惑を掛けたくないので」
新介はベッドから立ち上がり、外に出る準備を始める。
するとマリーの母親が部屋の押入れからゴソゴソと一つの服を取り出し始め、それを新介の所までもって行こうとした。
「あの、よかったらこれを着て行ってください」
「これは?」
「マントです、あんまり派手な格好で出歩いていると盗賊に目を付けられてしまいますよ」
新介は自分の服装を確認すると、地味めな格好をしている二人とは違って、何処か現代風な服装を着こなしていたことに気付いた。
「それとこれ、ほんの少しですが持って行ってください」
「これは……?」
何やら円形の形を止めた銅貨のようなものを手渡され新介は困惑した表情を晒していると、その様子を察したのかマリの母親は口述で説明を始める。
「それはお金です。その様子では一文無しみたいなので、少しはマシだと思います」
「あ、ありがとうございます」
どの道通貨の価値など知らなかった為に、硬貨を渡されても使える自信がなかったが一応貰っておくことにした。
「もう行っちゃうの?」
「ああ、すまないな」
「……じゃあね、またいつか会おうよ」
「また野垂れてたら、お兄ちゃんを救ってくれ」
新介はそんな冗談を交わして、家のドアを開いて外に出た。
外に出ると建造物が立ち並び、そこに文明が栄えているように多くの人がそれぞれ歩いている光景が視界に入る。
「凄いな、だけど……」
自分が居た場所は少なくともこんな場所ではなかった。もっと高くて天にも昇るような、科学的な建物が立ち並んでいたような気さえしたのだ。
「おい聞いたかよ、三日前の光についてまだ解明されてないらしいぜ」
「政府が隠してるだけなんじゃないの?」
「いやそっちの方が無いだろ、何の為に隠す必要があるんだよ」
店が軒並みに並んでいる街では3日前の光について多くの言及がされていたが、新介には今は無視をしてもいい話だという事実は変わらなかった。
「取りあえず今はこの世界について聞くしかないな……」
自分が何処か別の世界から来たと仮定しても、まずはここの世界について尋ねるのが最優性である。
誰か話を掛けやすそうな、子供みたいな奴がいてくれたら幸いなのであるが。
「……」
「あ……」
偶然にも屋台のような場所に興味深く視線を向けている少女が目の前を通り、思わず目を奪われてしまう。
桃色の髪色に新介の胸元までしかない低身長。容姿の幼さから条件は全て満たしており、一瞬戸惑ったものの声を掛けようとした。
「そこの子、ちょっといいか?」
「何じゃ、マントなんて羽織って、旅人か?」
「ああ、まあそんなところだ」
何故か彼女は随分と婆臭い口調であり、こんなに人がいる中初回で特殊な奴に出会ったことには新介も自分は強運の持ち主なのではないかと思ってしまう。
「俺さ、無学者なのに旅人なんてしてるからここら辺の土地とか良く分からないんだよな、だから教えてくれないか?」
「……どうして御主に構ってやらないといけんのじゃ、情報を売るには相応の価値を提示するべきじゃぞ」
「あはは……相応の価値ね……」
どうにも生意気な子供だというのが印象だが、口調からして知性の片鱗を覗かせていた。故に、此処は引くに引けない状況下だと言ってもいい。
「……?」
最初から少女の視界は屋台のほうを向いていたのを見据えて、新介も何をそんなに見ているのか気になり確かめる。
だが実際に販売している商品の文字が読めなかった。
「何だ、字が読めない……」
「ソフトクリームじゃ、そんなものも分からんのか」
「ソフトクリーム、聞き覚えがあるな」
恐らく自分が元々いた世界に共通の食べ物が存在していたのだろうか、新介はまた何かを思い出しそうになる。
「そんなに食いたいなら買えばいいだろ?」
「あいにく無一文の身でな、訳あってこうやって街を徘徊しておる」
すると新介はとあることを思い付き、マリの母親からもらった硬貨をポケットから取り出す。
何か情報を掴む為にはこれが一番手っ取り早い方法、相手にメリットを提示することだ。
「じゃあさ、これ買ってやるから俺にこの土地について教えてくれない?」
「……考えたな、よかろう、その提案に乗ってやる」
「サンキュ、それじゃあ食べながら聞かせてもらうぜ」
新介は『100ヘヴンド』と書かれた硬貨を支払って、一つのソフトクリームと引き換えに情報を提供してもらうことになった。
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