通勤快速にて
朝6時08分。駅に通勤快速列車が到着した。自分が降りる駅まであと10駅。簡単に言えば、この電車の終点まで乗らなくてはならない。乗り込んでいく人の流れに乗り、一瞬の隙間を狙って座席前のつり革のあるところまで移動した。これが意外と重要で、ドアの前で戦おうとすると間違いなく駅にたどり着く度に恐ろしい波にのまれるため、その都度乗車することに挑戦し続けなくてはいけなくなるが、このエリアでつり革を持つことが出来れば、終点で降車の波に乗るだけですむのだ。
今日もそうやって空いているつり革のところに移動すると、目の前に俺と同じ学校の制服を着た女子が座っていた。この時間にうちの学校の生徒を見ることはほとんどないので、大体のメンバーは覚えているのだが、彼女は見たこともなかった。察するにおそらく転入生だろう。こんな美人がうちの学校に入ってきたら、さぞかし騒ぎになるだろうな。
当然、彼女は俺と同じ駅で降りるわけだ。見ていて飽きない美しさと謎を秘めているような雰囲気を持つ彼女が取り出したのは古典の教科書だ。一緒に取り出された綺麗な字でまとめられたノートの表紙には「2年F組 浅川 恵」と書かれていた。2年F組といえば、まさに自分のクラス。ますます興味がわいてきた。
俺は彼女を見て、一目惚れをしてしまったのだろうか。俺はそういうものは迷信だと思っていたし、恋愛みたいなものは友達から徐々に発展していって、その中で惚れるみたいな順序が欲しいと思うタイプだったので、にわかには信じられなかった。でも、体は正直だった。他の方向に目がいかなくなっていたのだ。いつもなら持参している本やマンガを読んでいるところだが、一度開いても、集中が続かなくなっていたのだ。
そんなことを思っていたら、誰かがそれを見ていたのだろうか、彼女の隣の席が空いた。誰も座らないので、と必要も無い言い訳をしてから、その席に座った。思い返してみれば完全に不審者だ。教科書に彼女が集中していることを良いことに、チラチラと目線をそちらにやった。横から見ても、その美しさは変わらない。「可憐」という言葉を体現しているのだ。そのとき、自分の行為を客観的に見て確信した。俺は一目惚れをしたのだと。そう自覚した途端、自分の顔が紅くなる。今までに感じたことのない感覚。誰かを好きになったことは何度もあったが、ここまで「惚れた」と自覚したことはなかった。
その状況をどう処理して良いか分からなくなった俺は、とりあえず彼女がそうしているように教科書をとり出すことにした。普段なら絶対にしないことだが、少しでも自分のことを知ってもらいたいと思ったのか、少しでもよく見えたいと思ったのか。
だが、慣れないことはするものじゃない。慌てていたせいで、ノートが教科書につられて出てしまった。そして、ノートは彼女の目の前に滑った。教科書の端にその光景が見えたのか、彼女はすぐに気づいて俺に渡してくれた。
「あ、あの……ノート……。」
「あ、ありがとう。」
「……同じクラスなんですね。よ、宜しくお願いします。」
「よろしく。」
俺はどんな顔をして彼女と話していたのだろう。きっとだらしない笑顔だった思う。ただ、俺は彼女と会話することができたことへの心の底から喜びをただひたすらに噛みしめた。その照れたような、恥ずかしそうなか弱い声に、俺はスッと心を惹かれてしまった。
さすがに初対面ということもあって、それ以上会話が続くことは無かった。出してしまった以上しまうことが出来なくなった古典の教科書をひたすらに眺め、彼女の隙を見て、いつも読んでいる週刊誌に読み物を切り替えた。今週の作品はどれも熱い展開ばかりだったので、横にいる彼女のことを一度忘れ、作品にのめり込んだ。
◇◆◇◆◇
終点のアナウンスが流れ、乗車していた人達が次々と降車の準備を始めた。入り口付近で競うように降りるサラリーマンもいれば、のんびりと鞄に携帯をしまう大学生もいて。そんな中、俺もマンガをしまおうとしたそのとき、肩に少しばかりの重さを感じた。
「えっ……。」
彼女はすやすやと寝ていた。俺の肩を枕にして。初対面からこんな夢のような事が起こって良いのだろうか。油断しきった可愛らしい寝顔をいつまでも拝んでいたい。心苦しいし、名残惜しいがさすがに目的地なので彼女を起こすことにした。
「終点だよ?降りないと。」
「あ、お、おはようございます。あっ、か、肩……勝手に借りちゃって、すみません。」
「いいよ、いいよ。」
「あ、あの……」
彼女は少し恥ずかしそうに紅くなりながら言った。
「学校まで案内していただけますか?よく、分からなくて……」
「任せて。」
なぜ自信満々のどや顔で応えてしまったのかという反省点はさておき、見事彼女の案内役を勝ち取った。だが、如何せんこの駅は終点であり、始点だ。降りていく流れを逃した俺たちは入ってくる人の波にのまれそうになった。俺一人であればなんとなるが、一緒に立ち上がってみたところ、彼女は大分小柄だった。これだといつまで経っても降りられる気がしない。
「ど、どうしよう。」
「初対面で悪いんだけど。俺の背中にもたれるようにしててもらえるかな?」
「えっ?」
「俺が押し切るから、後ろ付いてきて。」
「う、うん。」
完全に人の流れに逆らう動きになる。彼女の両腕がぴたりとくっつき、彼女の温もりを感じたところで、俺は一気に前に体重を掛けた。不快感丸出しの人達を横目に必死に出口まで流れを押し返した。
「ありがとうございます。私一人じゃ降りられませんでした。」
「無事で良かった。ここからは一本道だから迷うことはないと思うけど、一応一緒に行くね。」
「宜しくお願いします!」
ぺこりとお辞儀をする彼女に心を奪われつつ、まだ閑散とした少し長めの一本道をのんびりと歩いた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。俺は沢村悠。」
「浅川恵って言います。」
「浅川さんって、転校生だよね?どこから来たの?」
「岩手県です。」
「岩手か~。おばあちゃんが住んでるから知ってるよ~。」
「そうなんですか!」
「でも、あんまり訛ってないよね。」
「生まれは東京なので。岩手にいたのも去年一年だけで。」
「そうなんだ~。部活は?」
「特に入ってなくて……沢村くんは?」
「俺はバスケ。っていっても、始めたのは中学校からなんだけど。」
「かっこいいですよね!バスケ!」
そんなありきたりなトークをしながら登校する。先にも述べたようにこの時間の電車で登校する俺のクラスメイトはいないし、そもそもうちの学校でこの時間から登校する人の方が少ない。そんな静かな通学路を楽しくお話ししながら誰かと登校出来る日が来るとは思わなかった。親と一緒に家を出て駅まで車で送ってもらっているせいで、普段はもっと寝たいと思うこの時間に登校しているわけだが、今日ばかりは早起きして本当に良かったと思えた。
学校に着いてからは、職員室まで彼女を送り届け、俺はいつものように教室で授業に必要な教科書類を机に入れたりしてから、部活に顔を出した。ひたすら朝練をすること約一時間。朝のHRが始まるタイミングで再び教室に駆け込んだ。
「今日は新しい転校生を紹介する。」
「浅川 恵です。宜しくお願いします。」
予想通り男子を中心にガヤガヤとしだし、今にも質問したい人達が群がりそうだったが、HR後すぐに授業が始まったので、お決まりの質問攻めはお昼休みに行われた。それを察知してか、立ち上がって移動を試みたが、周りを円形に囲まれ困惑する浅川さん。そんな彼女は教室を後にしようとしていた俺の方に視線をやり、助けを求めてきた。そして、躊躇うことなくいわゆる「クラスの人気者達」の輪を掻き分けるようにして抜け出し、その一斉の注目を背にしたまま、彼女は俺の方に向かってきた。
「が、学校案内してもらえませんか?」
「俺?」
「お願いしたいです!」
「わ、分かった。」
不穏な空気を彼女の後ろの男子達から受けつつ、俺は彼女を連れて教室を出た。
「一度ならず、二度までも助けてくれてありがとう。」
「いやいや、俺は何もしてないよ。」
「私、あぁいう時にどうして良いか分からなくて。」
「困ったらいつでも頼って良いからね。」
「ありがとう。」
その小さな声で感謝を告げる浅川さん。小柄な彼女が必死に目線を上げてくれるのが、なんだか可愛らしかった。だが、少しして、申し訳なさそうな顔をした。
「あの……。」
「どうしたの?」
「聞きにくいんだけど、沢村くんは何でこんなにしてくれるのかなって……」
「え、えっと……。この学校で初めて君にあった人間だし、その……何かの縁があるかも知れないし。」
「ありがとう。」
彼女の笑顔に撃沈され、返す言葉もないほどに照れてしまった自分が恥ずかしかった。
◇◆◇◆◇
それから来る日も来る日も、俺は彼女と同じ電車に乗っていた。もちろん同じ車両になることもあれば違う車両になることもあって。部活の朝練や大会で前後することもあった。その中で、彼女も徐々に恥ずかしがりが無くなって、友達と登校するようになって。
月日は経ち、少しずつ感じ始めた寂しさ。初めは自分が一番彼女と会話していたのに、今はそうでもない。容姿端麗・学力優秀で運動神経抜群とくれば、誰もが惚れるスター的な存在になっていくのも分かる。彼女が登校しているこの電車でいろんな男子生徒たちとも談笑している姿を見た時に感じるもやもや感で、自分が嫉妬していることを理解し、その度に情けなくもなった。唯一の救いは、彼女が誰かと付き合っているなどの事は入ってきていないこと。誰か別の人に惚れているのだろうか。そもそも彼女は元転校生。前の学校の生徒と付き合っているとか、もしくは未練があるなんてことも考えられる。次々と見えてきた盲点と、いかに自分が彼女を好きなのかを自覚し、日々苦しさが増していった。
そんな新たな日常の中で変化が起こったのは転校してから半年ほど経ったある日のことだ。いつもの電車に乗ってきた彼女は白い袋を持っていた。当たりをきょろきょろと確認してから、袋の中身を取り出した。手に持っているのは小さな包みだろうか。そして、それには丁寧に巻かれたリボンと綺麗な封筒が付いていた。誰か思いのある人にプレゼントなのだろうか?
誰に渡すんだろう。何が入っているんだろう。そんな考えても解決しないことを永遠と考えている内に時は過ぎてしまった。電車はどんどんと加速し、気がついた頃にはいつもの終点に辿りついた。ただ一度も彼女に話しかけることは出来なかったので、声を掛けようとも思ったが、降りゆく人たちに押されて早々と電車から降りた彼女を見失い、俺はいつも通りの通学路を歩いた。
「おはよう、浅川!」
「どうしたんだ、その荷物。」
「別に~。」
教室につくと、すでに彼女はクラスの人気メンバーに囲まれていた。袋の中身を必死に探ろうとするそいつらを横目に、俺は自分の席に着いた。
「沢村くん、おはよう。」
「あれ、いいの?彼らと話さなくて。」
「いいの。それよりさ。」
もはや何回も見たその白い袋を一度、背中で隠してから勢いよく俺の前に差し出した。
「えっ……。」
「今日、誕生日だよね♪ おめでと!これ、プレゼント」
「あ、ありがとう。」
「あと、もう一つ貰って欲しいものがあるんだ。」
「なに?」
手を後ろにして、少し緊張しながらどこか頬を染めながら彼女は呟いた。
「アタシ。」
「えっ?」
ここは教室。そして、まだ登校してるやつがいないとはいえ、タイミングも場所もめちゃくちゃだ。ざわつきはじめた教室。困惑する俺。それでも、彼女の目は真剣そのものだった。
「アタシ、あなたのことが好きなんだ。」
「いや、その、このタイミングじゃ無くても……。」
「みんなにも知ってもらいたくて。」
「……俺で良いの?」
「あなたじゃなきゃだめなの。」
「ありがとう。俺も君が好きだった。出会ってからずっと。」
あれから、10年か……。
「何やってんの?」
「昔のアルバム整理。」
「あぁ、懐かしい!これ、アタシが告白したときのやつでしょ!」
「まさか教室で告白される日が来るとは思わなかったよ。恵は本当に人気だったしな。」
「変な虫があなたに付いたら嫌だったんだもん。アタシの周りに邪魔が入るのも嫌だったし。」
「それでもいろんな人に告白されてたよな。」
「そうねぇ~。大学出るまで結構告られた気がするわ。」
「その度にひやひやしたけどな。」
「そうなの?アタシはいつだってあなたのことが好きだったわよ?」
「アホか。」
「本気なのに。」
……。
「で、アタシ達って初めて会ったのいつだっけ?」
「忘れたよ。」
「嘘ね。」
「嘘だ。」
「やっぱり。」
……忘れるわけないだろ。
「愛してるわ、あなた。」
「愛してるよ、恵。」
全てはあの通勤快速から……




