六章
後始末には、準備の倍の時間がかかる。
するべき仕事は朝と同じでも、疲れ切った身体ではあれこれと余計な手間がかかってしまう。
まったく面倒だ。
撤去する廃材の多さに、少女は思わず舌打ちした。
慣れきっているはずなのに、廃棄物を一箇所にまとめ上げ、焼却場まで運ぶだけの簡単な作業を、鬱陶しいと感じてしまう。どうやら今日は本格的に調子が悪いようだった。
(何考えてるのよ。自分のためにやってるんでしょ。不満を零すなんてお門違いだわ)
そう自分を納得させようと試みても、効果はなかった。
白い柔肌が夕日に灼かれて、じんわりと熱を帯びる。
向こうの廃墟から、悪魔達の賑やかな笑声が響いた。
少女の手が止まった。
電池の切れた時計が動かなくなるように、少女はぴたりと動きを止めた。
止まるはずではなかったのに、少女の身体は、指一本すら動かなくなっていた。
「春川さん?」
不意に、どこかから声が聞こえた。
それでも少女はじっと固まっていた。
ただ、頭の中でぼんやりと、随分可愛らしい声だな、などと考えていた。どこかで聞いたことがあったかもしれない。とても印象的な美声だった。
「春川さんだよね?」
ペタペタと足音を鳴らして、声の主は少女に歩み寄ってきた。
二人の距離が数歩分にまで縮まったところで、少女はようやく顔を上げた。頭がいやに重くて、首がぎりぎり鳴りそうだった。
相手の姿を捉えた途端、さっきまでとは別種の緊張が、少女の全身を駆け巡った。
目の前には悪魔がいた。
紫の皮膚に羊の角、蝙蝠の翼に蛇の尾を持つ異形が、顔面に笑みのようなものを浮かべて、少女を凝視していた。
悪魔は問う。「ねえ、何で黙ってるの?」
――少女は答えない。相手の攻撃をいつでも迎撃できるように、身を固くするばかりである。
「ねえ……」何を言われても、少女に口を開く気はなかった。視線だけを、相手の瞳に真っ直ぐ注いでいた。
「……春川さんて、よく解らないわ」
微動だにしない少女に、悪魔は呆れたような溜息を吐いた。
木の幹にも似た太い腕を、そっと頭の上に回して、呟く。
「でも、そっか、やっぱり春川さんだったんだね。そっか……」
悪魔は何やら考え込むような仕草をして、また笑った。
間近で悪魔を見続けて、目が慣れたのだろうか、今度ははっきり笑ったのだと認識できた。
無邪気な笑顔だ。これだから悪魔は理解できない。訝る少女の前で、悪魔は頭上に回した手で、己の角を軽く握り込んだ。
そして、
「ぽきん」
と、いとも容易くへし折った。
「え?」
思わぬ事態に、少女は目を丸くする。
悪魔は彼女の驚愕には取り合わずに、武骨な掌で少女の両手を取ると、折った角を握り込ませた。
息を呑んで、少女は自身の手元を見つめる。
恐る恐る指を開いていくと、手中では紫苑のカミソリが輝いていた。
「春川さんて、何考えてるか解らないし、解る気もしないんだけど。でも、そういうのも、いいと思うよ。私、ちょっと憧れてたんだ」
くつくつと噛み殺すような笑い声を漏らして、「またね」と悪魔は去って行った。
その後ろ姿には、羊の角も、蝙蝠の翼も、蛇の尾も見当たらなかった。
カミソリの柄には、金字で『HANLON』と彫り込まれていた。